FC2ブログ

ROCK FILL JAMにて演奏した話。

2018_08_06_002
岐阜県可児市文化創造センターにて開催されたROCK FILL JAMに出演する鈴木実貴子ズに同行してベースギターで演奏に参加してきた。

各務君が実家から借りてきた車で可児市に向かい、11時頃かな、会場到着。イベントは既に始まっているところで受付をして荷物を置いて、あとは文化創造センター内で行われている同イベントを見て回ったりクリエイターズマルシェでアクセサリーを見たり(正確にはアクセサリーを見る妻の横に突っ立っていただけだった。僕はそういうのセンスないからコメントを求められてもどうにも的外れな事ばかり言っている気がする)、フェス飯の屋台でホットドッグやカレーを食べたりした。
いやあそれにしても良いところだった、文化創造センター。元々こういう施設自体は好きなんだけれども、可児市文化創造センターは構造的にも開放感があるし(敷地面積も広くて芝生が広い)施設の間取り自体も余裕を感じる。あと地下の壁面に音楽や演劇や映画に関する新聞の切り抜きが貼ってあり、そのチョイスがまた読み応えがあって大変良かった。
前日の旅行、そして休日にしては若干の早起き、そして車での移動と地味に疲労が蓄積されていた身にはこういう精神のカンフル剤みたいなものが一番よく効く。単純な話だけれども、単純だからこそ強烈だ。
思いっきりやった結果、想像もしなかった方向に矛先が向かったって良い、兎に角その時出来る最大限の演奏をしようと静かに決心したのであった。

普段は恐らく演劇公演をやっているスペースなのであろう、天井も高く音も良く響く会場に、スタッフさん達があつらえてくれたステージが組まれている。照明も素敵だし屋根からは木や枝が垂れ下がっており雰囲気は完全に「山の中」だ。思わず声が出た。
前の出演者が撤収し、ステージに転換にため向かったのだがどうも様子がおかしい。客席にこそ漏れないようにスタッフさん達は迅速かつ穏便に動き回っているがどうも機材トラブルのようだ。当然出演者である僕達にもストレスを与えないよう配慮しているようで、ああ、こういうのわかると弱いんだよなあ、グッときちまうんだよなあ、と本来なら音にこだわるべきなのかもしれないけれども「ああいいですよ、もうそういう挙動だけで良い演奏出来る準備は出来ましたよ」くらいの気持ちになってしまう。
皆さんの尽力のお陰かどうにか復旧したステージで、与えて貰った場、整えられた環境で演奏を開始する。

いや、滅茶苦茶気持ち良いのね。鈴木実貴子ズの二人が色々なところで色々な人達に衝撃を与えてきたのは想像に難くないのだけれども、この日も多くの人が集まってきていてその全員が座って固唾を飲んでステージの上を見守っている。
バンドメンバー二人にサポートメンバー二人の言ってしまえば不定形なバンド編成ではあるのだけれども、何度か演奏を重ねてきてチーム感みたいなものがうっすらとたちこめてきていてこれがまた面白い。

この日は随分と健全な気持ちで必死な演奏が出来たのであった。
スポンサーサイト

ブタと貴様ら、デビュー戦

2018_07_09_001
新栄CLUB ROCK'N'ROLL 本多さんから「7月4日に何かやらない?」と一見ざっくばらん(過ぎる)けれどもその実相当に贅沢なお声がけを頂いて、ふむ、今の俺は何がしたいだろうかと考えた結果、即興演奏をするバンドを結成して演奏でその場に臨む事にした。
少し前だったら演劇作品を作ったり一人芝居を作ったり、きっと「楽器を使わない表現活動」を視野に入れていたのだろうけれども、今思えば自分でも意外な程すんなりと「あ、演奏したい」と思っていたのであった。
色々な活動を通じて結局楽器に帰ってきたのだろうか。いや、違うな。結局どれもが同じである、とようやく心の底から感じる事が出来ているのかもしれない。数年前には同じように口では「結局全ての表現は同じである」とか嘯いていたものの、自分でも視界の隅くらいにはけれども表現媒体の違いには明確な違いがあって場によってはその受け取られ方にも明瞭な違いがある、と認めていたのであった。そんな「こうであって欲しい」と自分自身含めての「そんな受取方しか出来ないなんて」というところへの反骨精神みたいなもの、そういう一心で僕は色々な表現にぶつかっていっていたように思う。
ようやく、何でも好きなように気軽に、真剣にやれるようになってきたのかもしれないな。
僕みたいな未熟者は何をするにしても時間がかかるのだ。

さて、随分と話が逸れたけれども、では今の自分が即興演奏でガッツリと組み合いたいのは誰だろうかと考えたところ小野浩輝さんと梶藤奨君(26時/数秒にも満たない)のお二人にお声がけさせて頂いた。片や大先輩、片やサウナ友達である。いずれにしても絶対に面白いセッションになるであろう敏腕のお二人だけに事前に軽く合わせますか的な一時間半のスタジオ入りは大変楽しみにして向かったのであった。
一時間ばかしぶっ続けで演奏したと記憶しているけれども良い意味で想定を裏切られ、これだから人と演奏する事は楽しいのだと思い知らされた。二人とも出す音出す音がいちいち格好良いからたまらない。

バンド名はゴールディング『蠅の王』から拝借して「ブタと貴様ら」とした。
ちょっとパンク過ぎるかとも思ったけれども元ネタが元ネタだ。良しとした。
一度こっきりの演奏かと思いきや、演奏後に自然と「またやりたいねえ」という話がメンバー同士の中で飛び交った。格好良い先輩に格好良い同輩からそんな言葉が出ただけでも僕は嬉しかったのである。
当日の演奏はどうだったかって?
バキバキだったぜ!

鈴木実貴子ズのレコ発でベースギターを弾いた話

2018_07_06_001
7月になった。何だか良くも悪くもないんだけどサクサクと時間が流れていく。サクサクと、というかスムーズに。
早いとも思わないし遅いとも思わないが時間がサクサク流れていく、そんな感じだ。

7月初日は今池HUCK FINNにて。鈴木実貴子ズの『平成が終わる/音楽やめたい』レコ発企画スリーマン(共演は明日、照らす3markets[ ] )にてベースギターでサポート参加である。
何だかHUCK FINNは久しぶりな感覚。実際久しぶりであろう。一頃は結構頻繁にステージに立っていたのだが、ここでベースギターを弾くのも随分とご無沙汰である。リハーサルでマイクを通したナベちゃんの声をきいてしみじみとそう感じてしまった。
願わくばどんな音楽も自分の中からスッと出てくる無理のないものでありたい。どんな音楽、どんな演奏であろうとも自分と直結した呼吸のような、そんな純度の表現でありたい、と思う。なかなかそうもいかない。そうである事が必ずしも良い事とは限らないのでは、とも思う。極論すれば自分自身がアウトプットする際にどう感じるか、ではなく僕のような演奏家にとってはアウトプットした結果がどう作用するか、の方が大事であろう。
僕が未熟であるが故に自分のアウトプットと作用が直結していないだけである。いやあ、なかなかコイツが難しい。

この日に於いてはベスト、だけれどまだまだやれる余地が見えてしまったという意味では悔しい演奏となった。相変わらず鈴木実貴子ズの二人は素晴らしかった。
今日の写真は妻撮影。実父が「子供が生まれると撮る事も多くなるだろうから」とデジタル一眼レフをくれたのだが、それを嬉しそうに持ち歩いている。きっと僕よりも妻の方が使う機会が多いだろう。

鈴木実貴子ズでの二連戦。

明後日より引越しである。
妻が妊娠に伴って仕事を中断、舟橋一人の低所得では家庭がままならぬので社宅に入る事になったのである。会社万歳。これで妻と生まれてくる子、僕の3人でどうにか生きていけるというもの。
引越し直前ではあるが準備は万全、というわけにはいかない。というかほとんど進んでいない。職場の先輩も「引越しは直前一晩が勝負だよね」と言ってくれたけれども、一晩でどうにかなるかどうか。三日間猶予があるのでどうにかなろう、と構えてはいる。
さて先週は鈴木実貴子ズの手伝いで二度、演奏をした。


仕事を終え、開場直後のAPOLLOBASEへ。
僕だけリハーサルに参加出来なかったのだけれども、なに、どうにかなるだろう、という妙な確信だけあった。
各自雰囲気が随分と異なる出演陣ではあったけれども、鈴木実貴子ズの二人は本当にいつも通りで素晴らしい。演奏直後に同じくサポート参加している各務君(紙コップス)と「実貴子ズのサポートは本当に楽だな」と話をした。
二人が非常に軸が強いので演奏に集中出来るのである。いやそれ、サポートなら当たり前でしょと言われるかもしれないけれども、そうでもない人達っていうのが結構いるのだから(そりゃあ人間だもんな)これは本当にサポートとしては快適である。良い曲を楽しく一生懸命弾いてれば良いのだから。正直、自分の力の至らなさを感じる事はあってもバンドとして酷い演奏をした事はないんだろうなと思っている。各務君も自分の演奏には不満はあるだろうけれども(彼は相当にストイックである。思い返せば自分の演奏を誇っている姿を見た事がない)、二人の演奏には何も文句はないんじゃないかな。これは確認してないから推測だけれども。

演奏後、妻と話していると共演バンドの演奏中はお腹の中で子供が動いていたそうだが鈴木実貴子ズの演奏中は大人しくしていたらしい。我が子よ、父親のファズベースがわかるのか。

日曜日は正午頃集合して一路京都へ。鈴木実貴子ズで京都でのミュージックサーキットに出演するため。
数日前から名古屋に来ていたアノランペの谷川さんも一緒だ。谷川さんとお会いするのは今回で三度目で(うち一度はすれ違い同然だったけれども)今までで一番ゆっくりお話する時間があったんじゃないかと思うのだけれども、いやいるんだね、あんなに良い人。気遣いと親切心が発言や行動の随所から滲んでるんだよね。僕、思わず谷川さんが良い人過ぎるのかそれとも自分含め身の回りの人間が優しくないのか一瞬考え直しちゃったもの。それくらい優しいの。結局谷川さんが良い人なんだなというところに決着がついたんだけれども。いや勿論そうだよ。
名残惜しかったなあ、谷川さん。車中に話で出た蒟蒻ゼリーを今度こそ渡そうと思っている。

京都UrBANGUILDは初めて出演するライブハウスである。木屋町周辺のライブハウスはVOXhallやDEWEYは出演した事はあったのだが。いやモノを知らないというのは恐ろしい事だ。こんなに近くにまだライブハウスがあったんですね。お恥ずかしい。
で、UrBANGUILD、凄く雰囲気の良いところなのね。音の広がり方という雰囲気といい、どことなくTOKUZOを連想するような、そんな感じだった。サーキットだったのでリハーサルも会場入りしてから出番直前までの僅かな時間で必要最低限のリハーサルをしていざ本番、みたいな感じ。こういうのは大好きだ。


だけれどもついついはしゃいでしまったのか、録音した演奏を聴き返すとちょっとベースギターの音が暴れまわっていた。幸いにも歌をかき消すとか邪魔をする感じではないのだけれども、理想的なストロングさよりも若干、気持ち、飛び出していたようなそうでもないような。

そうそう、これも書いておかないと。僕達の出番の前に演奏していたRibet townで野末さんに再会したのであった。
野末さんのお陰でリバーブの面白さに気付いたので本当に感謝している。いわばリバーブの師匠みたいなもんです。そんな野末さんと再会出来て嬉しかった。しかも再会したらリハーサル中で演奏中なのににっこり笑ってくれるの。ナイスガイ。

演奏後はそこそこ木屋町近郊で過ごして名古屋モドリ。
名古屋へ帰って来て皆で焼き肉を食らって家に帰った。焼肉、人生であんなに「丁度良い量」で終えられたのは初めてじゃなかったかしら。

『俺の温度、軸との距離」を四日市で再演。

年齢を重ねたらきっと悔しい思いなんてする事は減るんだろうなと、そんな甘い幻想を抱いていた。
雑誌やテレビやwebインタビューで見たあの人やあの人やあの人のように、一つの事をやり続けてきた人間だからこその苦悩こそはあれども根本的に自分の作品に対する葛藤や「完全に作ってあげられなくてごめんよ」みたいな思いを抱く事なんてなくなるんだと、そう思っていた。
勘違いだった。
幾つになったって、作った物に対してふと冷静になって「これはこれで良いのだろうか」と思う事はある。何より心にグサグサッとくるのは曲だったり作品だったりは問題ないのに自分自身の在り方や向き合い方やその日のバイオリズムが悪くて真価を発揮出来ずその結果、絶好調であれば瑣末な問題でしかなかった作品のほんのちょっとした綻びが大きな大きな穴になって顕在化する事である。
数日もすれば清々しい思いと共に「あの苦渋は舐める必要があった!」と思えるものの(根っからのポジティヴであるからして)、その時その場所で「やっちまった...」となる時は決してそんな風には思えずただただ悔しい、強烈に悔しくてなんなら悲しいだけである。
嗚呼、一つの事だけやってきたらこうもならなかったのかもしれないけれど、僕はあれもこれも面白そうな事はやりたいし自分が自分であり続ける事だけを続けようと思ってしまっているからなぁ!

さて、話を戻すと最近いつそんな思いをしたかと言うとつい先日、4月28日の事である。
場所は四日市ドレミファといろは、どこからか僕がそんな作品を作ったと耳にしたゴウさん(ドレミファといろは店長)から「うちでもサウナやって!」と連絡を貰ってメンバーを再集結、たった一度の上演の思って臨んだあの日以来の『俺の温度、軸との距離』再演となった夜の事であった。

作品が進んでいくのに併せてパフォーマンス(僕の場合は演奏)しながらどこかで違和感というか「ああ、ここ、直したい!」と思いながら演奏していたのであった。
つまりは作品の粗が目立って感じたという事で、しかし現場ではどうにかするしかなくその時その時で最善とは何か、とアティチュードから探りながらの演奏となったのであるが、長期的なスパンで見ればこれは進化していて感じ方が変わったのだなあとも言えるけれど、いやいやでもそんな作品として受け取られてしまう作品に申し訳ない。その時最善を尽くしているとは言えどもこの作品の面白さを伝えられないであろう(120パーセント理解して欲しい、というのはエゴだろうか?)お客様にも申し訳ない。
それでも好評は好評で滅多に僕の事を褒めない同業者諸兄も「今回の良いね」と楽しんだ旨を伝えてくれたりはしたのだが、いやいや違うんだよ、もっと面白く出来るんだよだなんて言えるわけもなく。
尚更悔しい。こんな事をここに記録として残す事が美しくない事であるという自覚くらいはあるのだが、それでもやっぱり無駄にしないためにはやはり記録にしておく他、ないのだろう。


各々が課題を感じていた、とは終演後に判明したけれども、それでも共作者達は素晴らしいパフォーマンスを披露してくれたのであった。感謝感激。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

お問い合わせ

お問い合わせ、出演オファー、サポート依頼等はこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ

検索フォーム