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『SEE SHE SEA』

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6月8日、9日と名古屋市青少年交流センター ユースクエアで上演となった音楽家 いちろー君の『SEE SHE SEA』という作品に演奏で参加した。

この作品、普段は廃墟文藝部に所属して劇伴を書いたり他団体に作曲で参加したり、僕も参加する白線の内側でキーボードを弾いたりと大忙しのいちろー君が珍しく主導で作り上げたもの。当初こそ「僕の音楽のライブ演奏を行うので手伝って下さい」というオファーで音楽メインの公演が想定されていたようだけれど、結果的には俳優によるテキストの体現も含めた一つの作品となったのであった。
オファー時は「あー、今まで彼が書いた曲をバーッと演奏するのかな」とシンプルにライブを想像したのだが、そりゃ演劇が好きで演劇を愛してクリエイションを重ねてる彼だもの、単純に曲だけを淡々とやるよりそこに意思と意味を込める事でとても彼らしい作品となったな、と感じた。

稽古自体は少し前から入っていたのだけど振り返ってみれば各参加メンバーの出自というか、どういった人でその人から成る表現は何なのか、をいちろー君が探る時間が多かったように思う。その最中はその行為にどんな意味があるのかこちらとしては捉えきれない部分もあったのだけど、作品の初稿が提示された際にそこに演奏者それぞれのソロコーナー(というか厳密には役者と演奏者2人のアンサンブルだが)が記されていた事で、重ねられてきた時間がそういう形で帰結したのかとストンと腹に落ちたのであった。ああ、思っていたよりもこれはそれぞれの表現が求められていて、集団としての物作りなんだな、と。いちろー君の作品の中でその人の色、時間と空間が求められているんだなと僕は(勝手に)そう解釈した。
変な話ではあるけれど、それによって他のシークエンスとの繋がり、「演奏」する上での軸みたいな部分がスッと出来上がったのであった。

あと非常に印象に残っているのが出演者の大半を占めるのが演奏家である中で、作品に関わるのが舞台に上がる面々だけであるわけはなく、舞台を作り上げるというか司るというか、そういったわかりやすく言うと音響であったり照明であったり舞台監督であったり制作であったり、そういったプロフェッショナル達の仕事の丁寧さとその所作の美しさであった。瞬間を積み重ねて積み重ねて積み重ねて積み重ねて、そうやって作り上げていってるんだこの人達は。普段ある種その場その場というか、瞬間的にどうあるのか、どうするのか、どう弾くのかを考えて演奏に臨んでいる自分からするとその姿勢というのは自分や周りの人間とはまた違った種類のストイックさを感じたのであった。
今回の座組は大変ストイックで、そして円滑で、普段不慣れな環境での演奏に対するストレスや会場にいて演奏する時間以外の時間、所謂待ち時間のストレス等は微塵もなかった。普段結構、会場入りしてから本番までの時間って所在に困る事があるのだけどね。

作品そのものについて触れるのはある種の野暮さも感じてしまうので言及は避けるけれども、いちろー君の在り方というか一つの集大成だと思うのでそういった機会に声をかけて貰って作品に参加出来たのは大変嬉しかった。

演奏の半分は即興であるが故に、仕掛けたい時に仕掛けられるように足元も色々とそれなりに詰め込んだ。
ソロコーナーはホットタッチ(音響の堀場眼助さんがこのために抜き差しの際に自動でミュートされるサイレントプラグを使ったシールドケーブルを作って下さった。滅茶苦茶便利だったので普段使いで欲しいくらい)にリングモジュレーターをかけて電子音のリズムを作り、ミートボックスをかけて重低音のリズムを打ち、その上でファズをかけて即興で演奏した。会場入りする道すがら、アート・リンゼイの音楽を聴いていたのでそういう演奏になった。影響受け過ぎ。
完全暗転(こういう現場の暗転はライブハウスのそれの比ではない。本当に真っ暗)の中での演奏に舞台からの撤収、となかなかない経験も出来た。演奏家としてはどんどんと経験値を重ねていきたい。

個人的にも挑戦のし甲斐のある公演であったし、何より楽しい人達と出会えたのでそれがとても嬉しかった。
「またね」と言ってお別れした。「また」の機会は公私ともに作っていかないといけないなァ、とぼんやり思いながら。

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娘の情操教育とサカエスプリング。

6月1日、この日はサカエスプリングに出演する鈴木実貴子ズの手伝いで演奏。
入り時間が遅めで、会場入りの前に練習を一時間するにしても夕方から家を出れば良い程だったのでそれまで家で家族とゆったり過ごすか、と思っていると朝方、妻から「今日はタキナオさんの個展に行こう」とお誘いが。
成程、確かにこのタイミングなら行ける、と早速準備して家を出る。かしやま君(あたらしいまち)にも声をかけてみるとたまたま予定がなかったそうなので一緒に出掛ける事になった。

改めて振り返るとタキナオさんの作品でじっくり拝見したものってそのほとんどがタキナオさんのライトドローだった事に気がつく。
何ならタキナオさんのライトドローイングと一緒に演奏した事がきっかけで始まったご縁なので「タキナオさん=ライトドローイング」という印象が強いけれども画家なんだもの、キャンバスに感性を投影しないはずがなかった。
で、何が凄いってやっぱりタキナオさんの作品ってタキナオさんそのもので。じっと作品を観ているとそれこそライトドローイングのように立体的に動いて感じられるし、同時にライトドローイングってキャンバスに描かれた瞬間の連続なんだな、とも感じた。
娘を抱っこしながらボーッと観ていると、何だか心のひだの中に染み渡ってくるようでサウナと水風呂を行き来した時のような感覚に陥った。滅茶苦茶良い。あの絵が部屋に一枚飾ってあるだけで毎日リラックスする時間が作れそうだ。
生憎と持ち合わせがなかったのだが(ポストカードを買うには買ったけれども、なんだろう、キャンバスに描かれたものと立体感が違うように感じてしまった。素人ながら)、タキナオさんの作品はいずれ絶対に拙宅に一枚飾りたい、と心に決めた日であった。

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8ヶ月の娘の情操教育について考える。
僕は自宅のリビングでゾンビを撃ち殺したり殴り殺したりするゲームを最近遊んでいるのだが、こういうゲームがリビングのTVで遊べるのも今のうちかもしれない、と最近思う。娘もそろそろ自分が目にしているものが何であるのか理解出来るようになってくるはずだからだ。
ゾンビゲームが教育上子供に与える影響について是非を問いたいわけではない。暴力的なゲームや映画、表現物が子供に与える影響なんてものを僕はここで言いたいのではなくて、娘には自分の趣味嗜好を自分で手元に手繰り寄せる権利があると考えているだけだ。幼い頃からゾンビものに慣れ親しんでみろ、そういうのが好きになってしまうかもしれない、自分が好もうと好まざると。ゾンビものを好きになるなら自分で行き着いて欲しい。それもきっと親のエゴではあるけれども、彼女には自分の「好き」を自分の手で自分の感性で構築して欲しいからこそ、僕は彼女の前でゾンビゲームで遊んだりしないようにしようと思っているし楽器演奏も無理にさせようとは思わない。何を好きになるか、見守りたいなあと思う。
そういう意味ではこの日のタキナオさんの作品展然り、僕の周りの友人知人にはとても刺激的な才人が多いので娘の情操教育には困る事はなさそうだ。一体誰から刺激を受けてどうなっていくのか、楽しみである。

夕方、鈴木実貴子ズの練習に一時間ばかし入りこの日のセットリストのおさらいをする。
先日も思ったばかりだがサーキットフェスは会場入りしてからあっという間だ。この日の会場は新栄TweeHall。CBCのすぐ近くにあるのだが恥ずかしながらこの日初めて足を踏み入れた。普段はパーティー等で使われているそうで、確かにバーカウンターにその片鱗は見られた。鈴木実貴子ズはこの会場のトリ。
この日の演奏は自分の中でも今後、突き詰めて考えていくべき課題が浮き彫りとなる演奏だった。つまり、結果的に収穫は多かった。

娘もそうだけれども、僕も感性をもっともっと磨かないといけない。

京都にて旧友と再会。

5月26日は京都へ。
サーキットフェス『いつまでも世界は...』に鈴木実貴子ズが出演、有難くもサポートで演奏に参加してきた。
今回は京都での滞在時間も短そうだし帰宅時間も早めで済みそうだったので妻と娘も同行、鈴木実貴子ズと同じくサポート参加の各務君(紙コップス)とは現地集合する事になった。
新名神高速が開通してかた関西方面への遠征は体感上、移動時間が短くなったように思える。この日は日曜だからなのかスポーツカーの集団が物凄い速度で追い越し車線を疾走していった。ッビューーーーン!って音がするもんだからたまげちゃった。

娘用のイヤーマフも用意してバッチリだ、と準備していたのだが肝心の抱っこ紐を忘れてしまった。広いわけでもないライブハウスの中、ベビーカーはいかがなものか。妻が機転を利かせて風呂敷で抱っこ紐のようにしてくれた。こういう時に行動力と決断力、そして機転の利くパートナーで本当に有難い。僕は演奏前には気持ちが急いて駄目だ。普段でも頭の回転が良いわけでもないのに余計に機転が利かなくなってしまう。
ちなみにこういう時の鈴木実貴子ズの二人は本当に優しい。自分達も演奏前だっていうのに妻と娘にまで気を遣ってくれる。気を遣わせてしまった、わけなんだけれども演奏でその分お返しせにゃあ、と気張る。

転換中、持ち込んだベースアンプヘッドから音が鳴らず焦る。足元のエフェクターが原因なのかそれともアンプ側なのかトラブルシューティングに時間を割くよりサーキットフェスの限られた転換時間、出来るだけバンドの音作りに時間を割いた方が良い結果が得られるのは明らかで、ライブハウス常設のアンプヘッドに接続を差し替えて足元も必要最低限のシステムに組み直す。
よし、音が出た。気持ちをブーストしてくれるファズペダルに突き刺すようなオーバードライブは失ったけれども、プリアンプに直接入力した愛用の楽器の音は、うん、なかなか良いじゃあないか。やれる、やろう。

サーキットフェスだから、ではないのだろうけれども転換から演奏終了までの体感時間はこういう日は物凄く短い。
この日もあっという間に演奏が終わった。タイムテーブルとにらめっこしながら多くの人が会場を行き来するサーキットフェス、多くのお客さんは何を観るか聴くか「選ぶ」事になるわけなのだが鈴木実貴子ズの音楽は多くの人に選ばれていた。
演奏の良し悪しについては最近、毎回こう思う。「もっとやれたのに」と。こればっかりは悪い事じゃないし気持ちに実感が追いつく日というのは来るのか果たして来ないのか。到達した時にのみそれがわかるだろう。
演奏を終えてまだフロアに人が残っている中、急いで片付ける。物販を手伝っている妻から娘を引き取らなければならない。
慌てて物販スペースへ向かうと妻がニコニコしながら娘を抱いていた。聞くとライブハウスのスタッフさんや何ならお客さんも娘を可愛がってくれたらしい。人の親になって痛感するけれども世の中、本当に優しい人が多い。本当に有難いし頭が上がらない。
汗をかきかき地上へ出ると、往来の向こうの方を昔共演した知人のバンドマンが歩いて行った。何人か見た事があるようなないような、そんなバンドマンも見かけた。そりゃそうだ、サーキットフェスだものな。

娘にミルクを上げ、折角京都で一緒に演奏したのだから帰りの時間は調節して、中途のサービスエリアで一緒に夕食でもとってから解散しようと時間をやりくりしていると各務君から電話。彼は演奏終了後、近くの会場で演奏していた太平洋不知火楽団を観に行っていたようだ。ベースの大内君と久しぶりに会ったので良かったら顔を出さないか、との事。妻と娘とそちらへ向かった。

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完全に丸顔になっている僕と娘、怪奇大作戦オマージュの大内君と各務君。

旧友は、果たして全然変わっていなかった。前に会ったのがいつだったのか忘れてしまうくらいには大内君と僕はそれぞれ別の場所で時間を経てきたはずなのだが、以前と全く同じ感覚で話せたのは驚いた。下手すると同じ名古屋で月に一度会ってる人よりも気楽にお話出来ちゃうんだから、これは一体何なんだろう。決してお互い言葉が多いわけではなかったけれど、近況を話したりゴジラやスターウォーズの話をチラチラしたり、した。
大内君は色々経た上で太平洋不知火楽団で再びベースギターを振り回している。僕は転々としながらもマイペースに色々と演奏している。共演が楽しみだな、旧友よ。

10連休4日目。

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10連休4日目。平成最後の日である。
鈴木実貴子ズから「平成最後の日にワンマンライブを行うので演奏で参加して欲しい」と声をかけて貰ったのは実は結構前の事で、その時はまだまだ日があるなぁと漠然と未来の話、くらいに思っていたのだけれども思い返せばお誘いして貰ってからこの日まで結構あっという間だったな、という感じ。
今まで何度もこの日記には書いた気がするけれども時間の長短の尺度はどの段階から、どの視点で切り取るかで一気に捉え方が変わる。平成が終わるこの日、から捉えるとやっぱりあっという間だったんだな、と思う。

自覚しているが結構なミーハー野郎でお祭騒ぎも嫌いじゃあないもんだから「平成が終わる!令和がやって来る!」と世間で話題になっている事にも当たり前のように一緒になって感慨深くなったし、きっと元号が変わっても何かが具体的に変わるわけでもないのに妙にしんみりしちゃったりして、けれどもだからといって何かをするわけでもなくこの日を迎えた。
ただただ、この節目になるであろう日に演奏に打ち込める事を有難く思った。

アポロベイスに集まったお客さんは、それはそれは大勢だった。写真からもわかるだろう。具体的な数を書くだなんて事はしないけれども、この節目の日に家族で過ごすでもなく仲間とパーティーするでもなくアポロベイスに来て音楽を浴びる、取り込む事を選んだ人がこれだけいるという事に手伝いの身でありながら感じ入った。凄いなあ、鈴木実貴子ズ。
前半戦は普段の2人で8曲、後半戦は僕と各務君の2人が加わってバンド編成で8曲。手伝う、とか引き立てる、とかそういう考え方もこの場合出来たんだろうけれども気持ちの上では「一緒に撃ち抜きに行く」くらいの気持ちで楽器を担いだ。
良い演奏が出来たと思う。

演奏が終わってアンコールをステージ脇から観た。
前半戦も同じ位置から観ていたけれども、ようやく演奏前の緊張から解き放たれて普通の状態で楽しめる瞬間である。格好良い演奏だった。良いバンドだなあと2人を観て思う。

物販の手伝いで会場にいた妻と、実家にて預かっていて貰った娘を迎えに行き、帰宅。
どうしたってこの日のそれぞれの思い出(というには時間が経っていなさ過ぎるけれども)や平成を振り返る話になる。
平成という時代は僕の人生の大半である。物心ついた頃には当たり前に平成で、それが元号であるだなんて意識するまでもなく人生の時間の大半は平成であった。だから振り返るというにはどうにも言葉が正確でない気がするしその渦中で大半を過ごした僕が適切な距離感で言語化出来るのかどうなのか、という感じがしないでもないけれども。

平成という時代、楽しかった。
令和は、例えば生まれてまだ1歳にもならない娘が、楽しく生きていけるような時代であって欲しいしそうしていくつもりだ。

鈴木実貴子ズ『現実みてうたえよばか』ベース録音の思い出。

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3月20日、鈴木実貴子ズのアルバム『現実みてうたえよばか』が発売となった。
有難い事に今作も関わる事が出来た、というか全曲ベースギターで参加している。当たり前かのように声をかけて貰ったもんだからさも当たり前のような顔して弾いたけれども、嬉しくて嬉しくて。
全国発売しているCDに自分の音が入っているっていう事ではなくて(そういう、いわば初期衝動的な喜びは勿論ゼロではない。これは例え何度経験したって嬉しいだろう)、自分の演奏を自分の音を信頼してそれを自分達の作品に介在させる事を潔しとする人がいるという事が、だ。
さてここについてあまり長々と書くとこの日記の湿度感が途端に上がってしまう。なのでその辺の心情的な部分は次の一言に集約しようと思う。
素晴らしい作品に参加する事が出来て、光栄だ。

さて、折角なのでまだ記憶があるうちに今回の収録曲についてベースギターを演奏した立場から備忘録を書こうと思う。
評価反省というのは向上し続ける上で必須の行為だと思うけれども、いつの日かこれを読み返しながらCDを聴く時のために出来るだけ細かく書こうと思う。
録音は2パターン、録音時期によって「四日市ドレミファといろはでのアンプ録り+素のライン録りをミックスしたもの」と「オーディオインターフェース経由、プラグインで音作りしたものをライン録り」に分けられる。使用楽器は全曲メインのYAMAHA SBV550改、あとは極々一部でBOSSのリバーブやファズを使用した。サンズアンプやエフェクターは今回ほぼほぼ使用せず、兎に角良い意味で素材の提供という立場で演奏をした。如何様にも調節出来るように最良の録音データを渡す事に注力した結果である。あ、でもPCでライン録りしたものについては録音を担当して貰った各務君と「やっぱりアンプっぽい方がグッとくるよね」だなんて言いながら結構ブリブリバキバキの音にした。アタックは出ている分には削る事は出来るので問題ないが、出ていないものを出す事は不自然極まりないのでこれについては結構迷わずに音作りした。
僕はピック弾きの方が指弾きより圧倒的に演奏力があるのでほぼほぼピック弾きで、暖かい音を出したい際は「指弾きの音が出ますよ」と謳われているピックを使った。これ、面白いんだよね。普通のピックがゴムっぽい素材で挟まれてるの。確かに、それっぽい音が出る。
こうして振り返っても割とシンプルな環境でレコーディングしたな、と思う。ミックスに関してはもう完全にお任せした結果、曲毎に最適な風合いに落ち着けて頂いたと思っている。特に注文つけたりとか、そういうのはおこがましくてしていない。


1.『音楽やめたい』
いきなり申し訳ないのだがこの曲、ドレミファといろはでマイク+ラインで録音したのかライン録音オンリーだったのかいまいち記憶があやふやである。
ベースラインについてはこれはもう全曲ほぼほぼそうなんだけれども鈴木実貴子ズのお二人と相談しながら作った。一度目のサビ直後のハイポジションでのベースラインは元ベーシストの高橋君が口で歌ったベースラインをコピーした。
人様の提案は積極的に聞くようにしている。それが採用されて、録音やライブで何度も弾き込んでいるうちに自分のものになるからだ。

2.『アホはくりかえす』
これは多分、ライン録りのみだったはず。
前半はほぼほぼベースは白玉で、この一音に託して伸ばす感じは鈴木実貴子ズのお二人とディスカッションして完成した記憶がある。最初に曲を聴いた時は何とはなしに「全編勢いを出す感じでダダダダッと弾こうかな」と思った記憶があるのでこの一音に委ねるスタイルは新鮮だった。結果的に曲の緩急に貢献出来て素晴らしいベースラインだと思う。

3.『あきらめていこうぜ』
ライン録り。
最初はもうちょっと色々やろうと思ったのだけれども最終的には最もシンプルな方向にまとまった。
ちなみに曲のバンドアレンジは練習スタジオで皆であーでもないこーでもない、とやる場合と曲(この場合の曲というのは実貴子さんと高橋君の二人が演奏しているもの)をインターネットを使って共有して、各務君と僕がそれに自分達の演奏を重ねて再びデータ送信し、それを元に皆で練る場合と二種類ある。後者の場合、各務君がリードギターを重ねてきてから、つまりベースのパート以外が全部出来上がった後に後出しじゃんけん的にベースラインを考える事も少なくない。「ここはギターが細かく刻んでるからベースは敢えて大きく」とかそういう贅沢な考え方が出来るようになった。ビートルズでポール・マッカートニーがそうやってベースラインつけたりしていたそうですね、あんな風には弾けないけれど。

4.『見たことない花』
ライン録り。
これは二人の録音データが送られてきたのでそこにベースを重ねて送り返して、を経て完成したアレンジ。
途中でコード弾きをしているところがあって曲中でも「あ、和音弾いてる」って割とわかりやすんだけれど、ここ、ボリューム奏法にするか和音にするかでディスカッションになった事を憶えている。結果的に和音で大正解だと思う。

5.『アンダーグラウンドでまってる』
ライン録り。後半の盛り上がるところは歪ませた記憶がある。
これはライブで何度か演奏して自然と出来上がったアレンジだったのでもうそのまま、ライブを意識するとかそういうわけではなかったけれどもいつも通り弾いた。
振り返って聴くと曲の途中からベースが合流するイメージで演奏に加わっていっていて、この頃というのは二人の鈴木実貴子ズの曲にベースを「添える」みたいな気持ちが今よりあったんだなあと気付く。ここ最近はもうバンド編成で曲を構築する、みたいな気持ちがある。これはこれで良いな、と思った。自画自賛ですまんね。

6.『新宿駅』
ドレミファといろはでライン録りとマイク録り。
ベースラインを考える段階でザックリとしたギターアレンジがのった音源が手元にあり、それを聴きながらベースパートを考えたもんだからギターが細かく刻んでいるところは大きく捉える、みたいなそういう発想で演奏内容を考えていった記憶がある。
恥ずかしながら音楽理論はほぼほぼ知らないに等しいのだが、感性で作った割にはこの曲のベースは自分が考案した曲のものとは少し違った感じがあって、ライブでの演奏経験はまだないがいざするとなったらきっと耳コピして臨まなければならないだろう。
こういう経験も面白いものだよ。

7.『平成が終わる』
ライン録り。
この曲、難しいんだ。ライブで演奏する時も緊張感あるもの。難しい内容を弾いているとかそういうのではないが、雰囲気を出すのが難しいなって未だに思う。こういう曲は空ピッキングを入れてリズムを波で捉えて弾いた方が絶対的にリズムが安定するのは明らかなのだけれど、どうしても気持ち的に点で合わせにいってしまう。狙ったところで、ガッと弾く。
その方が凄味が出るんじゃないかという妄信に囚われて、はや何年になるだろう。演奏行動が自己表現であるならば、こういう妄想や執念は演奏に顕在化して然りなんじゃないのだろうか。

8.『ばいばい』
ドレミファといろはでのライン録りとマイク録り。
これもスタジオでせーのでアレンジをした記憶。あ、いや、違ったかな。何にしても演奏しながら自分の中のファッキン・オルタナティブなバンドからの影響を意識せざるを得ない。疾走感のあるルート弾きって本当に気持ち良くてエレクトリック・ベースギターという楽器で成せる演奏の一つの究極系だと思う。これくらいのテンポ感、こういう曲ならこうであって欲しい、みたいな演奏が出来た気がする。

こうして書いてみると、自分の演奏に如何に知性がないかわかる。あ、饒舌でないだけか。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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