餃子にみる諸行無常

2016_07_21_001
世界で一番好きな餃子(異論は認める、そりゃあ俺だって世界中の餃子を食べたわけじゃあないからネ)は、やっぱりおばあちゃんか大将が焼いた方が旨いってもんだ。
この餃子とあの類を見ないラーメンが食べられなくなったら、と思うと恐怖でしかない。一番好きな食べ物(母親の手料理を除く)が二度と食べる事が出来なくなった身からすると相当な絶望を味わう事は疑いようがないと思っているわけだが、実際のところ長く生きるというのはそういう事なのかもしれないなと半ば覚悟は出来ている。
だってそうだろう、たかだか32年生きた程度で逢わなくなった友人はごまんといるし「君とずっと一緒にいたい」と思った女性とは何度かの別れを経験した。「このバンドがずっと続けば良いな」と思ったバンドはあるバンドは解散し、あるバンドはコンスタントな活動が難しい状況になっている(普段は活動を継続しているバンドの喜びの方が勝つけれど、それでも度々センチメンタルになったりするよ)。

ずっと変わらないもの、不変なものなんてないんだ。
これは32年生きてきて一番知りたくなかった事実の一つだ。
自分が憧れたテレビに出ていたあの人は自分より先に死ぬし、自分よりずっと年下だっていうのに自分より幾許かセンシティヴだったあの娘さんは死んでしまった。ずっと切磋琢磨していくもんだと思っていた友達のバンドは活動のペースを落とし、かつてのバンドメンバーは今のバンドで楽しそうに活動を続けている。好物だったラーメン屋はなくなってしまったし、僕も白髪が随分と増えた。
そう、誰かにとっての僕も「変わったもの」の一つだろう。
替わって(誤字では、ない)いくものが多い中で数少ない変わらない関係の人に言われた「人間というのは自分の知らないところで物事が変わっていく事が許せないんだよ」という言葉が今更心にズンとくる。あの時僕は変わった側、として言われていたけれども、当たり前の事だけれども僕からすれば変わってしまった事も沢山あるし変わってしまった人も沢山いる。

けれども特にご飯が食べられなくなる程とか、涙が滲んだりする程何かを思うってわけでもない。ちょっとした感傷を感じたりはするけれども、その程度だ。
変わらないものなんてない、だなんて当たり前の事なのだから。
それでも変えたくないものを変えない努力はしているからこそ、抱ける諦念なのだとも思う。
変わる快感もあれば、変えたくない執念も同じくらい尊いもののはずだ。
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習作

「彼女」に対する片思いは、彼女の日記に対して始まったと言って良い。

当時ぼくたち若者の間で流行っていたSNS。「m」で始まるアレといえばピンとくる人も少なくないだろう。
自分の好きなコミュニティに所属して同じ趣味の人間と出会ったり日記を公開して他人からのコメントを待ちわびたり逆に友人の日記にコメントをつけてやりとりをしたり、と自分のパーソナルスペース感はあったものの同時にそこがしっかりと開かれている、という今思えばよく出来たあのSNSに多くの人間が面白味を見出し、ぼくも御多分に漏れずそこに日記を書き、自分の趣味の世界で同好の士とのやりとりを楽しんだ。
毎日自分のページに訪れる「見知らぬ誰か」と「知ってる友人」のページを訪れてはダラダラと眺めたり気の利かない言葉の一つも残す。結構な時間をあのSNSに費やしたのだった。

そのSNSでぼくは彼女の日記に出会ったのだった。きっかけは憶えていない。彼女がぼくのページに訪れた履歴が残っていたのか、それとも友人の日記を閲覧している時にそこに残された彼女のコメントをたまたま目にしたのか。いずれにしたって些細なものだったと思う。
彼女はバンドをやっていて、共通の友人伝いに彼女のバンドの事を聞いていたぼくはすぐに「ああ、あの人だ」と名前くらいは浮かんだと思う。
ぼくは何の気なしに彼女のページを見に行った。彼女からすれば見知らぬ僕が自分のページを閲覧しに来た、という履歴こそ残るものの、どうせ見知らぬ者同士どんどんとその痕跡を残しあうのが常のSNSだ、ぼくも大勢の中にすぐに埋没するだろうと軽い気持ちで彼女の名前をクリックした。

そのSNSで見知らぬ人のページを閲覧するとぼくはまず日記から覗いてみる事にしている。
人の日記ほど面白いものはないし、何より日記は人そのものを表しているからだ。日記が思慮深い人間は思慮深い人間だし、気配りの行き届いた日記を書く人間は気配りの出来る人間で、面白い日記を書く人間は面白い人間である。
彼女の日記がどうだったかというと、決して美しい日本語は使われてはいなかったし文章も整えられた精緻なものではなかったものの、冗長ではないセンテンスと改行を巧みに、しかし恐らくは無意識に多用した独特のリズム感と宙に浮かんでいるような言葉を主に使った、それまでに見た事が、いや、読んだ事がないようなものだった。
素直に面白い、とぼくは思った。それだけではない、夢中になった。
彼女と直接コンタクトこそ取ろうとしなかったものの、ぼくが履歴を残すと律儀にぼくのページにも履歴を残す彼女の名前を辿って、ぼくは毎日のように彼女の日記を読みに行った。
彼女自身に興味があったのか、と問われると正直なところ微妙なところだった。その証拠にバンドを観に行こうとは思わなかったし、彼女の趣味の世界にもそこまで興味がなかった。ただただあの独特の日記をずっと読んでいたい。
それだけがぼくの願望だった。

彼女の日記には彼女の病気の事が書かれていた。
彼女は心の病を患っているようだった。日常生活にも支障をきたす程のものだったようで、時にそれに苦しんでいる様子も相変わらず宙に浮かんだような言葉で書かれていた。
ぼくの身近にも心の病を患っている友人が何人かいた。けれども彼らと彼女が決定的に違うのは、彼女は全く他人を意識せずにそれと闘っているところだった。他人の助力もはなからあてにしていないような、そんな気配が彼女独特の文章の行間から滲んでいた。今思い返すと彼女の日記には「つらい」という言葉が一言もなかったように思う。
病気なのだから、辛くて当たり前だし悩んで当たり前だし他人の助けを欲して当然だろう、だけれどもそれが一切ない。こう書くと孤高の人、という印象を持つだろうけれども、さも当たり前のように自分と自分の病気以外が眼中にないような日記を書く彼女からはそれさえも感じられなかった。
それでぼくはますます彼女の日記に興味を持った。毎晩のように宙に浮いた言葉を独特のタイミングで改行する彼女の日記を読み続けた。

そんな日記の書き手と読み手という関係が変化したのは、意外にも彼女からのアクションがあったからだった。
その夜もぼくはそのSNSにログインした。そのSNSは他人にメッセージを送る事が出来る。いつもは何て事ないやりとりを友人としていたのだが「メッセージが来ています」との通知にメッセージボックスを開いたぼくは信じられないものを目にする事になる。彼女がメッセージを送ってきたのだった。
共通の友人の存在を察した彼女はただただ無邪気にぼくにメッセージを送ってきたのだった。毎晩のように自分のページを訪れてくる見知らぬ男の存在に不信を抱く事も警戒する事もせずに、あの日記特有の文章をぼく宛に送ってきたのだった。
秘め事を見つけられたような照れ臭さとその何倍ものきまずさを感じながら返信を打つと、すぐにそれに対するリアクションが返ってきた。
こうしてぼくたちはオンライン上の友人になったのだった。

住んでいる場所も近くて共通の友人もおり、そしてやりとりを重ねてお互いに違和感がない関係が続けば「直接会ってみよう」となるのは不思議ではないはずだ。その提案にぼくはさしたる抵抗もなく賛同した。彼女と個人同士のやりとりを続ける事でぼくは彼女自身にも彼女の日記と同じくらいには興味を抱いていたから。
忘れないように書いておくと、彼女からメッセージが来て直接会う事になるまでそこまで時間はかかっていないはずだ。
だけれども不思議と下心や淡い期待はなかった。お互いになかった、と断言して良いだろう。彼女に対して女性に対する期待をその段階で抱くには、彼女の書く日記は浮世離れし過ぎていたから。単純に「あの日記を書いている人と会える」という期待だけはあった。
少し嘘をついたかもしれない。
下卑た期待はなかったにしても、高揚感はあったかもしれない。
彼女の日常が写真としてアップロードされている、非公開のパーソナルなWEBのURLを教えて貰い、ぼくはそこに投稿されていた彼女の写真を見ていた。率直に言ってしまえば、彼女の容姿は整っていた。そこに映っていた彼女はやはり、生活感なんてとてもなかったのだけれども。

直接会った彼女はとても楽しそうに話をした。共通の友人の話から始まり自分の学校生活、バンド活動や趣味の話、それこそ日記の文章そのままに宙に浮いているような言葉を使って話をした。
ぼく自身もそういう経験がないわけではない、という事を知っていたからか共通の体験を有する者同士の気さくさで、彼女は自分の自傷行為についてもそれまでと変わらぬ口調のまま楽しそうに話をした。思春期の頃、辛い環境に置かれた人間のうち何人かは「不幸自慢」を楽しそうにしたけれど、彼女のその楽しさは自分の好きな本や音楽や映画について語るそれと同じようで、彼女が自分の病気を日常のものとしている事が痛烈に伝わってきた。
会話の弾みから彼女が自分の傷だらけの太腿をぼくに見せる事になった。差し向かいで挟んだテーブルの下を覗くと、彼女がワンピースの裾をゆっくりと持ち上げるところだった。太腿にはしった何本もの傷跡は彼女の白い肌とコントラストを成しており、それがそこにあるという事実やその意味合いも超越したものを感じさせた。ぼくは素直にそれを「綺麗だな」と思った。

その夜、ぼくたちは終電を逃してしまった。
よくもまあ何時間も何時間も話し込めるものだ、と思うけれどもぼくたちには話す事が沢山あった。お互いの人生経験を宙に浮かばせて、それに向かって捉えどころがあったりなかったりする言葉を意図的にぶつける。相手の投げたそういう言葉、どうとでもとれるような言葉を探ってみたりそのまま曲解して話したり、そういうのが楽しい夜だったのだ。傍から見たら一周して気楽なペシミストを気取りたい若者達のおままごとに見えたかもしれないけれども、それはそれで相手次第ではとても楽しい事だった。
ぼくたちはタクシーに乗り込んだ。すでに歩こうにも話し疲れていたし、ゆっくりと休める場所が欲しかった。かといってやっぱり目の前にいるのは「女」ではなく浮世離れした「彼女」だもんだから、ぼくの下心は誠実さによって圧死させられており、この素敵な友人との行先はぼくの自宅となった。
実家住まいのぼくの家ならば迂闊な事をしようにも出来ないはずだ、と彼女が思ったのかそうでないのかは定かではないけれども、疲れた様子ながらも特に考える風でもなく「そうしよう」と彼女はタクシーの座席に身を沈めたのだった。

豆電球だけつけた電灯の下、ベッドと床に敷いた布団で横になりながらポツリポツリと話をした。互いに眠気にまみれながらの話だったので何を話したのか憶えてはいないけれども、日記を読む事で始まった彼女との関係、そしてこの夜の膨大な会話に決着をつけるようなものでもなく、本当にただただ眠りに落ちる間までのうろんなやりとりだったと思う。
朝方、帰宅する前に彼女と出会った母親は目を丸くして「まあ」と言った。突然息子が見知らぬ女の子を家に泊めたのだ、母親なりに精一杯の抗議だったのかもしれないと思ったけれども、彼女が帰宅した後の母親の「なに、あの凄い雰囲気ある娘さん。あんな人初めて見た。ミドリマコみたいな子だね」という言葉から察するにそうではなかったらしい。
ミドリマコ、が緑魔子である事をぼくが知ったのはインターネットで調べた後の事で、母親にそう思われていた旨を彼女に告げると悪い気はしていないようだった。

その後、幾つかのやりとりを経て結局ぼくは彼女に恋愛感情を抱いてしまう。
誠実さというていの良い言葉の下に隠していた高揚感の正体は結局自分にない浮世離れした彼女に対する憧れで、相応の時間を重ねるうちにそれが女性としての彼女に対する尊敬の念に切り替わっていったのだった。
けれども当時は煩悶もさせられた恋愛感情に対して、ぼくは微笑ましい気持ちで当時を思い出すのと同時に、幾許かの疑問も抱いている。果たしてあれは、あの感情は純粋な恋愛感情のそれだったのか、という疑問だ。
何故なら彼女に思いを告げて彼女らしい言葉で自分の恋愛が成就しない事を悟った瞬間でもぼくの気持ちは然程動揺する事はなかったし、その直後、いやその瞬間から彼女の良い友人という席に抵抗なく収まる事が出来た。その後彼女と交流を続けていく過程で生活環境の変化に伴って彼女が生活感を伴うようになると同時に彼女が受け入れていた心の病も少しだけ良い方向に向かっていき、反比例するように僕と彼女の交流も疎遠になっていった。かつては崇拝と言っても良い程だった彼女に対する感情も現実味を伴った友人に対するものへと変化していったのだった。
「あれは、本当に彼女に対する恋愛感情だったのか」という疑問に対してはあの瞬間だけを切り取るのならばイエスだし、今現在のぼくの視点から振り返るのであれば半分はノーだ。今のぼくからするとぼくは彼女の日記と彼女が無意識に醸し出していた浮世離れした気配から勝手に偶像を作り上げて、それに恋愛をしていたのではないか。

「彼女」の偶像の半分が彼女の実像そのものだったとしても、それに向けた僕の感情が純粋な恋愛感情だったと言えるのかどうか、今現在のぼくからするといささか自信がない、というのが正直なところだ。

そんな事を、未だに良い友人である彼女に対して思っているのだった。

ものを作るという行為


最近は「ものを作るという事」についてよく考える。

嘘だ、ずっとずっと考えてきた。時に漠然と、時に緻密に、時に真摯に、時に適度な距離感で、時に投げやりに、ずっとずっと考えてきた。
作るという行為そのものについて、作るという過程について、作ったその先、作ったものがどこに何をもたらすか、作り続ける事、そのために必要な事、それの楽しさ、それにまつわる煩わしい諸々、何かを作ってそれを人に提供する、披露する人間として当たり前な程度には考えてきたつもりだ。
そしてその都度、その時の自分に相応しい、相応しいと思える/思いたい、その時の自分を鼓舞したり奮い立たせたり、時には一息つくためにちょっとだけ甘やかしたりするために、その時なりの答えを出してきた。

ここ最近はだがしかし、もっともっと根本的な「では何故俺はものを作るのか」という事について自分の人生と照らし合わせて考えている。動機、というか目的というか、そういう類の話。
そこで思い返す今まで自分が作ってきたもの達。
幼稚園の頃に作った紙で作った怪獣は自分が楽しく遊ぶため、小学生の頃に勝手に作った壁新聞は自分が面白がるため、中学生の頃に書いた小説は思い付きを具現化するため、高校時代に作ったバンドはやってみたかったから、大学卒業の頃に組んだバンドは気のあう仲間と楽しく遊ぶため、そのバンドで作った壁新聞は音源は自分達の表現欲求に忠実にあらんとするがため、そのバンドでプレスまでして作ったアルバムは自分達が作ったものをもっと良い品質で人様に「自慢」するため。これはその後も何度も繰り返した。その時一緒にものを作った人間達との「どうだ、俺達こんなに良いものを作ったんだぞ」という自慢だ。28歳の冬に作った演劇作品は自分の頭の中を、いや人生を、その時の生き方を人の眼前で叩きつけるために作った。

結局、僕は僕のためにものを作り続けてそれを面白がって楽しんでいる。
惰性で続けた事も時にはあったかもしれないけれど、そういうのは記憶に残っている限り、僅かな回数ではあったけれどことごとく失敗した。
人は自分の表現欲求が一定以上に高まると何かを作り、それを人前にて晒す。
評価や結果を気にして作るものよりも欲求に忠実であり続けた方が僕の場合は結果的に良いものを作った、と言えるだろう。それが評価された、されるは別の話として。

だから僕はものを作り続けるのだ。
作る事が目的ではない。やりたいから、やるのだという当たり前の結論に至った際にその力強さに思わず顔が綻んだ。

深夜の納豆ご飯の罪。

深夜に食べる納豆ご飯は罪悪の味か?
否、それはやはり歴然と納豆と白米が織り成すアンサンブルであり、それを咀嚼する度僕はこう思う「日本人で良かった」と。
納豆はタレを入れる前に混ぜると粘り気が増してより旨いように感じる。けれども深夜に食べるそれは意図的にそうはしない。タレを入れる前にかき混ぜるという行為は精神的に余裕があってこそ成り立つ行為で、深夜の納豆ご飯にそれは似つかわしくない。深夜に納豆ご飯を胃袋に入れるというのはよほどのっぴきならない状態であり、つまりは余程腹が減っているという事であり、そんな状態で悠長に「タレは後で、ね」なんて言ってられるか。
似つかわしくない、という様式美のような間隔を僕は重んじる。深夜の台所でタッパーに入った白米をそのままレンジで温めて、電子レンジのタイマーがご飯をかっこむのに丁度良い「その時」を示すまで(ちなみに25秒、だ)横目で睨みつけながら、僕はその間さえも無駄にしまいと片手間で納豆にタレを流し込み奴らをかき混ぜる。
タレをぶっかけられた後で初めて箸を入れられる納豆達はその粒と粒の間に入るタレが潤滑剤になってゆるゆるとしかかき混ぜる事が出来ない。大体からして、手応えが違う。タレを入れる前にかき混ぜる時の音を「ニッチャニッチャ」と表現するならばタレを入れてかき混ぜる音は「ザラリザラリ」だ。
こうなると粘土と粒と粒の間に充満する膜を期待するのは愚の骨頂で、奴らは粒自体がスタンドアローンな存在、希薄な粘り気のみで繋がった豆の集合体になってしまう。
だけれども、それでも旨い。天晴れよ。

さてここでこのブログを読んで下さっている諸兄に問いたい。
納豆ご飯を食べる際、貴方は白米と納豆を混ぜ合わせる派だろうか、それともそうしない派だろうか。
僕は断然後者であり、白米とその上にのった納豆の分量を比率で捉えながら箸でそれらを持ち上げ、そのまま口の中に放り込んで咀嚼する。これはもうショートケーキをフォークで切り取って口に運ぶのと同じ感覚で、つまり口の中では納豆と白米の二層状態。ここの温度差っていうのがポイントだ。
白米の温度がうつった納豆っていうのはどうしても、解せない。これはもう完全に好みの問題だけれども、納豆の冷たさと白米の温かさのアンサンブルっていうのは味わう上でも大事なポイントと認識している。
所謂「丼ぶっかけ飯」の類でもそうだ。ご飯とぶっかけられる「具」の部分を完全に混ぜ合わせるのなんて卵かけご飯くらいのものだ。味噌汁をぶっかけても白米とぶっかける味噌汁の量の比率に気を遣ってぶっかけるので味噌汁のプールを白米が泳ぐ、なんて事にはならない。卵かけご飯も一頃、その点にこだわって丼の半分を卵の池にして、そこに白米を落とし込んでは適時、適切な比率の白米と卵を口の中に流し込んできた。この食べ方だと卵かけご飯を楽しむ時間の半分以上が「サラリサラリ」といった一種優雅ささえ漂う行為になる。
反面、「ぶっかけてる」のにその行為に伴う快感は半減するので粗野な気持ちの時は緩めに混ぜるのが良い。
卵かけご飯くらいじゃあないか、混ぜるという行為を許容出来るのは。

納豆に話を戻そう。
しかしてそうやって箸で山から切り取って口に運ぶ、という行為も重量感のある納豆とそれにかかっているタレの潤滑剤的な働きによって白米の山からそれらがこぼれ落ちる、という事がままある。そういう時は一種の落胆と同時に、いきおい混ざってしまった(白米の山からこぼれた納豆はどうやったって山の上に復帰させる事は出来ない。それは至難の技である)納豆と白米を口の中に運ぶ事となる。
この時に箸で運ぶよりも「ええいままよ」とかっこむのが良い。二次的な副産物ではあるけれども、この思うように事が運ばなかった事によるやけっぱちな気持ちさえも楽しむためには潔く現状を受け入れ、納豆と白米を丼(僕の場合はタッパーである事も少なくないが)の端に口をつけ、口の中に向けて箸で押し出してやるのが良い。
この場合の敗北感というのは、清々しい。負けを認めた人間だけが到達出来る天上の快感である。

そうやって一杯の納豆ご飯を食べ終えて、納豆の粘度の残滓が残ったタッパー或いは丼を眺めながら「また、やってしまった」と思うのも敗北の快感である。
いや、背徳の、というべきか?

10年後の舟橋孝裕へ

これを読んでいるという事はこのブログを書き始めた当初の「10年後に自分自身で読み返してニヤニヤする」という目的が達成されているわけで、という事はこれを読んでいる君は、あ年上だからちょっと丁寧に呼びかけた方が良いのかな、まあいいか、10年後の舟橋孝裕、貴方はこれを2023年9月26日ないしは27日に読んでいるはずである。
そちらはどうですか?元気にやっていますか?そもそも、どこでこれを読んでいるのだろう。貴方の隣には誰かいるのだろうか。
「ほら、これ10年前の僕が書いたんだよ」だなんて言いながら、隣にいる恐らくは(強がりです、いるといいな。いるよね?ね?)君が「うちのカミさん」とでも呼んでいるであろう人と笑い飛ばしながらこれを読んでくれたら僕はこんなに嬉しい事はありません。
10年後の僕よ、君は当然このエントリー以外も読み返しているであろうから、そして何より君は僕自身だから当然気付いていると思うけど、僕のブログ、ここ最近、何だかちょっと違うよね。
つまらない、とか嘘ばっかりってわけではないけれど、何だか読み手っていうのかな、本来なら君だけを意識して書き始めたこのブログを僕の友達や僕に興味を抱いてくれている人が読んでくれるってのをさ、実感しちゃって書ける事っていうのをその大半は無意識に、ほんの少しは意識的に選んで書いてる気がしないかい。
それが悪い事だとは今の僕は思わないんだよ、曲がりなりにも人前で何かをやって人に何かを突き付ける、わかりやすく言えば僕ってバンドマンじゃん(君は今の僕が望んでいるようなバンドマンになっているであろうか。なってろよ)、そういう人って自分で思っていないところで人に影響を与え得るっていうのはわかっているつもりだ。だって人は相互作用で影響を与えあうでしょう、だったら人様からお金を頂戴して何かをやるに足りている僕はそういうのを意識すべき、とも思うんだよね。

でもさ、同時にそれってこのブログを書き始めた本質からはどんどん外れていく事でもあるわけだよね。いくら記憶力が悪い君でも出発地点くらいは憶えているかと思うんだけどさ、大学生の頃に書き始めたこのブログ、最初は読み手なんて意識してなかったもの。数年前まで全然意識せずにさ、好き勝手書いてたんじゃあないのかな。
文体や書く内容の変遷、それさえも僕の記録であるからしてこの変化ってとってもドキュメンタリーではあると思うんだけどさ、じゃあ2013年9月26日(わかっちゃいると思うけど29歳の僕ってまだ昼夜逆転してるから日付的には27日ね)にこう思った、っていうのも立派にドキュメンタリー足り得ると思う。
話がそれ気味であるからして結論付けて方向修正するけれども、これからはちょっと好き勝手書いてみようかな、だなんて思うんだよ。思うにこのブログがそういう方向性に向かってきたのはここ数年の「ブログが僕の全て、名刺代わり!」みたいな思い入れだったんだよね。見知らぬ人にはじめまして、って挨拶するのがここだったわけでここが僕の拠点だったからね。

でも僕はここ最近HPを作ったんだよ。君がこれを読んでいる今も形を変えているにしても同じような役割のものはあって欲しいなって思うんだけどさ、僕はそれをここ最近始めた。
だからそこに所謂外向けの僕をまとめて僕を投影して、ここは確かにそのHPからもリンクは貼ってあると思うんだけど、もっと人間的に好き勝手書いてしまおうと思うんだよね。落ち込んでる、とか葛藤とかそういうの、ほら、これも忘れていて欲しくないんだけど友達のとても可愛い女子高生が亡くなったじゃないか、それ以降幸いな事に浮き沈みがちらほら生まれてね、多分ここ数年で一番僕、人間らしいわけだよ。いや、君がどうなっているかはわからない。細胞は日々死んで再生して、きっと10年もすれば同じものって僕の意思くらいなものだろうからね、肉体的には全く別個の個体と言えるのかもしれない。ひょっとしたら肉体の変化に伴ってそういう部分も変わっているかもしれないね。変わる事を楽しみたい、と思って生きていくだろうから変わっている方が自然かもしれない。

10年後の君が今現在、2013年の僕の記録をこうして読み返して「何て馬鹿なんだ」と思わないと良いなと思うのだけど、僕は今、気持ち的な浮き沈みって奴が満更害悪でもないと思えているのですよ。

もう始まっちゃってるけど軌道修正して、何をしようかって思ったらわかりやすい近況報告ね、きっと忘れたり記憶が薄れてるかと思うから。
箇条書き気味になるかもしれないけれどどうかご容赦を。

まず、前述したように浮き沈みを愛してる。
人を殴る際は拳を引くわけだし、飛び上がる前には体を落とす。その後のアクションを想定出来ていれば、少なくともそのイメージさえあれば落ち込む事も悪くないのかな、むしろもっと人間らしく力強くダイナミックに人生を謳歌するためにはそういうのも必要なんだろうなって思ってるよ。

転職してさ、恐らくは君は今頃正社員になってるだろうけれども、その仕事を始めたばかりで精神的にも将来のヴィジョンが見えていよいよ安定してきているよ。矛盾してるかな。兎に角、精神活動っていう意味以外での浮き沈みはなくなった。将来への不安とかそういうものから解き放たれて、僕は充実した健全な状態を保っている。
でも不思議なもんでね、今日実感したばかりなんだけれどもきりがないね、僕の欲しがりっぷりったら。
望んでいた状態を手にしたら、今度は自意識の部分で葛藤してる。
人前で音楽を演奏したり何かを表現したりする人間としての葛藤っていうか、自意識が、自己顕示欲が満たされない状態っていうのが続いているよ。もっともっともっともっと、人に面白がられたい。僕はね、10年後の君はどう思っているかはわからないけれども、僕はまだまだ僕の面白さをもっと人に突き付けないといけないと思ってる。
まだまだ正当な評価を得ていないとさえ感じているのだよ。
評価を気にして何かを作るっていうのはナンセンスかもしれないけれども、でもそういう観点で突き詰めて考えると僕にとってはまだ自己表現=自己顕示欲なのだな。表現自体の楽しさっていう点だけにフォーカスして表現っていう行為を楽しむ事が出来ない。部屋で一人で良いものを作って「ああ、何て素敵なんだろう」って楽しむ事がまだ出来ないんだ。でも僕はまだまだ諦めないつもりだ。もっと面白い事が出来ると思っているし、僕の強靭さっていうのはこれから発揮されるだろうと盲信している。

でも皮肉な事にねえ、自己顕示欲が満たされない(これは周りが僕を評価していないのか、それとも僕の欲求が増大しただけなのかはわからないけれどね)この頃だけれども、そんな中僕のベースギターの演奏技術、表現力っていうのは可能性の片鱗を感じさせてくれるには十分な実感を僕に与えている。変なもんだね、バンドマンとして、ベースギター奏者として、僕は今凄く充実した段階を踏んでいると思っている。
ところで君はまだ、サンズアンプを使っているかい?もし何か変化があって君の演奏にサンズアンプが介在していなかったら、生産が中止になって(ま、それはないと信じてる)価格が高騰していたとしても是非何とかして手に入れてまた使って御覧なさい。10年前の自分を信じろ。

あんまり長く書いてもあれだから今日は兎に角この辺で。
これからは10年後の君に親切なように思いっきり、兎に角思いっきり書いてやるつもりだ。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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