エフェクトへのモチベーション。

ジャムセッションや瞬間を切り取らんとする即興演奏の際、最も必要なのは瞬発力。思い描いたフレーズを「再生」する表現力と周囲が何をやっているか、そして周囲の演奏に対して自分が「どこに」いるかを意識して演奏するのが重要であるというのは一般的に言われている事だし事実その通りだと思う。

以前はコードというものを意識して弾いていたのだが、たまにそんな概念を必要としない瞬間がある。
フィードバックノイズ(正確に言えば音程はあるのだろうけど)が場を支配する瞬間。もしくは大前提として理論をとっぱらってやろうとする瞬間。大きな音で気持ちのいい(悪い)音を一斉に出す、無条件に気持ちのいい快感に身を委ねる瞬間。

今まではそういう時はありとあらゆるエフェクトを繋いでその場その場で出てくるものと格闘するのが好みだった。だけどコレ、言い方悪けりゃ出たとこ勝負。

昨夜ある人と神田佑介でセッションする機会があったのだけどそれを終えて思ったのはノイズすらも掌握して演奏すると凄味が違うだろうな、という事。

意識が変わった。
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徒然と書く。

b22492b2.jpgメモ程度に箇条書き。
これらは今後の日記のシナプスであり、機会を改めてしっかりとまとめようと思う。

・うん○を漏らしてしまう事と、うん○を漏らした事をあっけらかんと暴露する事、どちらが人間としての尊厳を失うのだろうか。ちなみに僕は今年の夏くらいにやってしまった。

・小さい頃は意識しなかったけれど、女性になりたいくらい女性が好きだと言っても過言ではない。ただそれは「男性である」という大前提があっての事なので性転換へ結びつくものではない。

・上記の写真は僕が大学3年生の頃のもの。目に線は入れているものの、歴然と僕であり、僕である事は明白である。この頃から変態的なものに『憧れて』いた。
本質的にはそういったものに『憧れる』に過ぎない常人でありはいて捨てるほどいる一個人に過ぎないのであるが、「その好みと嗜好がおかしい」と言われ目標を達成はしていないもののどうやら憧れを体現する事には成功しているようである。

・小さい頃にまだまだ幼子だった僕を抱っこしていた祖父。祖父は僕を落とした。僕の顔の先には机が。それで追ったのが右眉毛のYの字の傷。
祖父と僕の絆である。

・第2次世界大戦の頃、日本軍の若き兵士敏夫青年は戦地で熱病に倒れた。
現地の病院に収容された敏夫青年。程なくして一人の看護婦が敏夫青年に惚れているという噂が敏夫の耳に入った。冷やかされる敏夫。だが当の本人からは何も言われぬまま。
そんな或る日その看護婦が敏夫の元にやって来た。
「あんたは国に帰りなさい」
彼女はそういうと敏夫青年のカルテに「緊急ニ送還ノ必要アリ」と書きつけた。実際敏夫青年の肉体は順調に回復しており、今や敏夫青年は健康そのものだったのだが看護婦の計らいによって敏夫青年は帰国する事になった。
敏夫青年が戦線に復帰する事になっていたら乗船していたであろう潜水艦が太平洋の真ん中で敵艦に撃沈されたのを敏夫青年は後に知る事になる。敏夫青年の所属していた部隊の戦友達は皆、潜水艦と運命をともにした。
部隊唯一の生き残りとなった敏夫青年は帰国後清子と結婚。男の子を授かる。
子は謙治と名づけられ健やかに育てられた。
その子が数十年後に芳樹と孝裕という二児の父親になろうとは誰も知る由もなかった。そんな時代の話である。

最近の文章事情。

ここ数日間、「文章」を愛でている。そうなってしまった僕にとって愛でる対象は随筆や小説、誰かのブログに記された日常だけではない。
自分で書く日記、メールまでもがその対象になり、何かを「記す」という行為が必要以上に楽しく感じた。言い回しや言葉使いにも普段より気を使えたし、「言いたい事を遠回りしつつ的確に記す」という普段から意識している事に意欲的になれた。

いい気分だ。
僕から意味不明なメールが届いた方、申し訳ない。

彼女の思い出。

僕が雑貨屋でアルバイトをしつつ学生をやっていた頃の話である。

「学生である」という事が付属品であるという認識からもわかるように、僕はほとんど大学には行かなかった。大学というシステムは学業に無気力な者には本当にありがたいシステムで、どれだけ講義に顔を出さなくても自称・気のいい友人達以外は誰も何も言わない。それはつまり、気がつけば落伍者になっているという事。

僕はいつ確定するかもわからない留年という現実を漠然と眺めつつ、夜に眠りに就こうと布団に入ると「このままでは自分はどうにもならないし、将来はろくでもない人間になってしまうのではないか」と考え一人焦った。だがそんな一見誠実な学生然とした焦燥感も翌朝目を覚ますと寝ている間にどこかに置き忘れたのか僕は前夜の焦り等どこ吹く風、生きてさえいればどうにでもなると自分に言い聞かせるでもなくごく自然に帰結し、やはり大学には行かないのだ。僕がそういった将来をそれなりに考えようとする姿勢を眠っている間にどこかに置き忘れたのであれば、それはきっと寝床でしかない。僕は不幸な事に夢遊病患者でなかったし、いくら物忘れをするとは言っても夜中に起きだしてどこかへ行った事くらいは憶えていられたのだから。

だから、僕はほんの少しの安定と安堵感を毎晩毎晩寝床の中で囲っていた事になるのだ。説明に大きく時間を費やしてしまった。そう、とにかく、そんな頃だった。

当時、付き合っている女性がいた。彼女は恐ろしく色白で、およそ生命力というもの、生きとし生ける者全てが有するであろう生への執着というものが希薄であるような印象を人に与えた。自殺を仄めかすでもなく、自傷行為に耽るでもなく、彼女はただそこにいるだけで見る人に「コイツはふと目をはなした隙にどこかへ行くか、死んでしまうのではないだろうか」という印象を与えた。
そういった印象は儚さへ繋がり、一部の男子大学生にとって儚さとは私小説の行間からたちのぼる耽美なイメージであったり、共に墜落していく、一線を越える、超越的に荒唐無稽な行いをする等の共感を求める自己破壊の対象であったり、もしくは単純な庇護欲求の対象であったりする。つまり噛み砕いて言えば彼女はモテた。
だけども彼女と交際しているのがキャンパス内でも有名な変人奇人不気味な存在の僕であったので、男子学生諸君は僕に下卑た笑いとともに彼女との関係を追及するでもなく、ただただ静観するしかなかったようだ。
たまに勇猛果敢な一部諸兄が僕という存在を踏まえたうえで彼女に言い寄っているのを目にしたが、彼女はそれらの求めは全てはねつけているらしかった。
ある時は冷然としたその眼差しで。またある時は有無を言わさぬ拒絶の態度で。
彼女は僕の前では恋する乙女然とした態度はとらなかったし、言葉も非常に少なく、ただ僕の気まぐれな求めに応じるだけの自動人形のようですらあったのだが、とにかくそういった他の男性を受け入れない姿勢こそがどうやら彼女の愛情表現であったようなのだ。

そんな彼女とのあれは確かきっと83回目のSEXの後の事だ。
彼女と僕は火照った体を一つのベッドに共に投げ出して(僕らの間では性交後の蜜のような時間はほとんどなかった。彼女がそれを好まなかったので。大概の事は許容する彼女も性交後に体を重ねるのだけは許してくれなかった)うとうととまどろんでいた。
ねえ。私がどこかへ行ってしまったらどうするの。
彼女がぼそりと呟いた。その口調は愛情表現を誘発させるための口上でもなく、自暴自棄に陥った人間がそうするような自己卑下でもなく、純粋にわからないから問うている、というようなそんな口調だった。
雑貨屋を継ぐとするよ。
大した感慨も込められていなかった僕の言葉でも、彼女はとりあえずの回答として満足した様子。そのまま切れ長の目を閉じた。これ以上何かを言ってきたり問いかけてくる気配はなさそうだった。
僕はと言うとその質問の真意を理解できないまま、ゆっくりと少しずつ眠りの中へ沈み込んでいった。意識が暗転する直前、ふと水滴がトタン板に垂れた時のようなトチャンという音を聞いた気が、した。

彼女が死んだのは、僕らが85回目に体を重ねたラブホテルからの帰り道だったようだ。かねてからしつこく彼女に言い寄っている男が同じキャンパス内にいるらしい、という噂は僕の数少ない友人、九十九から聞いていたのだけれど、犯人はどうやら彼らしかった。恐らく彼は僕と彼女が体を重ねた回数以上に彼女に求愛をしたのだろう。ともすれば彼の彼女に対する感情には、僕や他の男とは違った真に迫るものがあったかもしれないし、彼女を一番求めていたのは間違いなく彼だっただろう、というのは容易に想像がついた。
僕と彼女が体を重ねる度にお互いに距離を広げていったのに対し、彼は彼女に求愛し、拒絶する度に焦燥感と絶望を感じていたのだろう。彼の感情も同じ男であるし、日陰者の僕には理解できないでもない。だが彼のとった行動の結末、彼が成し遂げた成果には賛同しかねた。寧ろ、僕は参ってしまった。
それからは心のどこかが妙に無感動になってしまったようで、それでいてふとした弾みでタガが外れるようになってしまった。九十九に言わせると「以前より俗っぽくなった」らしいのだが、それが僕なりの悲しみへの対抗手段なのかは判断できなかった。僕は絶望に瀕して世の無常さ、残酷さを恨みもしなかったし、亡き彼女の情景、そして彼女の問いにセンチメンタリズムや渇望を感じるでもなく、ただ打ちのめされ、変容してしまったのだった。

君の気持ちは、わかる。
数ヶ月の後、僕は彼にそう告げた。恐らく、彼女に対して人と共有できるものがあるとすればそれはきっと僕達だけではないのだろうか。お互い立場は違えども、そして彼女に対する切り口は違えども、彼女に対して自分自身の中に居場所を空けていたという意味ではきっと僕と君程誠実に彼女に対して接した人間は他にはいないぜ。
僕と君は彼女に対して誠実に不道徳であり続けたんだ。それって、凄い事じゃあないか?人の顔色を伺って態度を変える人間は沢山いるし、僕には彼らを攻める権利もなければ攻める気力もないけれどね。その点では僕らは自分の意思を貫いて『しまった』。
彼は僕と彼を遮断するものの向こうから答えた。
だがその返答は僕の頭の中で最近たまに鳴りだすザワザワという音で掻き消されてしまったのだった。

不完全BR

22a5ee66.JPG「畜生、腹減ったな…」
神田佑介(男子2番)は外を伺いながらそうひとりごちた。彼が潜伏しているプレハブには気持ち程度の窓が設けられていたが、その窓からはプレハブ北側が一望できた。ひらけた工事現場の南側は切り立った急斜面になっており、そちら側から他の参加者が急襲してくる事は考えづらい。佑介を襲うには必然的に北側から攻めるしかなく、そんな北側に面した窓は見張りにはうってつけだった。

このイカれたゲームを企画した政府(あの麻異憲一と名乗ったスパゲッティヘアーの担当教官の言葉をふっと思い出した。「この国はすっかり駄目になっちまったぜぇ」なるほど、この国の駄目っぷりは政府が体現している)から支給されたバッグの中にはやたらとパサついたパン、水の入ったペットボトル二本、このプログラム会場の地図、コンパス、そして今もしっかりと佑介の両手に握られているSPAS12ライアットガンが入っていた。この重厚なショットガンは武器としては当たりの部類に入るだろうし(当然だ。舟橋孝裕(男子3番)の武器が注射器だった事を考えれば大当たりと言ってもいい)、プログラム開始以降銃声を聞いた記憶はなかった事を考えても、ともすれば本プログラムで支給された武器の中では唯一の銃火器かもしれず、それは「優勝」という二文字を想起させるには十分だった。
だが佑介が「籠城」を選んだのはひとえに彼の慎重さによる。無駄に歩き回って体力を消耗したり、隙をつかれるよりは現在地点が禁止エリアにになるまでは体力を温存すべきだと彼は考えたのだった。
夜の闇の中では感覚が鋭敏になる。気のせいだろうか、何かが視界の隅で動いた気がする。皮膚がざわざわと泡立つ感覚。よく目をこらした。よく、見ろ。よく、見ろ。よく、見ろ。

…何も、誰もいない。緊張がとけた弾みで、佑介自身意識せずに溜め息が出た。真冬の寒い季節だというのに脇の下に嫌な汗をかいていた。
「やあ神田くん!」
突然プレハブの扉を開けて何者かが飛び込んで来、佑介に向かって飛び掛かった。
散々イメージトレーニングを重ねた甲斐あってか、瞬間的に恐慌状態に陥りながらも佑介の肉体はその義務を果たした。影に向かって銃口を向け、引き金を弾く。
闇が支配する真っ暗なプレハブにズガンという銃声(いやいや、参った。こんなに大きな音がするなんて!)が響き、佑介の視界が一瞬真っ白になる。

それきりパタリとも音はせず、佑介は視覚が再び暗順応するのを待った。

舟橋孝裕(男子3番)が大の字に倒れている。体は資金距離から散弾をくらったせいか、ズタズタになっていた。それはまるで、路上に放置された動物の死骸のようだったのだけれども、事実「死んでいる」点では両者の間に何ら違いはなかった。

咄嗟の事とは言え、俺は人を殺してしまった!覚悟はしたものの(そう、覚悟完了!って奴だそれは)、実際に友人を殺してしまった事実に佑介は動揺した。
彼は、バッグを引っ掴むとプレハブから駆け出した。勿論その手には未だにSPAS12がしっかりと握られていた。




佑介が駆け出した数分の後、孝裕の死体に異変が生じた。体が小刻みに痙攣し、両の目が開いた。白眼だった部分は真っ赤に染まっており、瞳孔の具合も猛禽類のそれに酷似していた。

舟橋孝裕(男子3番)。支給武器、Gウイルス。
神田佑介の決死の脱出劇はまだ始まったばかりだった。

I still alive…

夜食。

6df662e4.JPG久々の画像付更新。今日の画像は今夜の夜食、カップヌードルシーフード味(354kcal)。汁も飲み干してしまったので塩分過多だろうな。お湯沸かしながらイカの塩辛つまんでたし(これも旨味があってとても旨かった)。

体内時計が学生時代から4時間くらいずれているので、普通に言えば昼食であるであろう食事が自分にとっては朝食である。
で、仕事終わってから一食、夜中に一食。この計三食は体に悪そうだ。大体からして朝方まで起きていると日中生活していても白昼夢の中にいるような感覚に陥りがちで、できれば5時前には眠ってしまっていたい。

幸いにも体質的にこんな不摂生極まりない生活を続けていても現状では肥満化の傾向は見られず、体重は53~56kgを行ったり来たりだ。

諸々の不調をなくすためにも安定した生活リズムは必須で、健全なる体内時計を取り戻す努力はすべきだろう。

注意しないとなあ。
とか言って夜食にこんなジャンクなもの食べてたら説得力がまるでないのだけど。

腹痛。

頻繁に腹痛に見舞われる。腹痛が襲ってくるタイミングに一定の条件があるのに気付いたのは高校二年生の頃だ。

ストレスが溜まったり、緊張すると下痢を伴う腹痛を感じる。そんな症状と長く長く付き合ってきた。
過敏性腸症候群、という病名がついているのを知り、腹痛自体に理解を深めると同時に頻度が増した。
「あ~緊張してるなあ。症状出たらどうしよう」という緊張。それによる腹痛。下痢。そんな流れを経験するうちに一連の流れはループするようになる。悪循環、だ。

かかりつけの医者に行った。「副交感神経の異常が引き起こすものだからこれを飲んでおさえておいて」と渡された錠剤。どうやら「緊張する→神経伝達の異常発生→消化器官を活性化させる信号が送られる→下痢」という流れの中の二つ目の矢印を和らげ、ストップさせるらしい。

生理的に効果があったかは定かでないが、「薬を飲んだから大丈夫」というプラシーボ効果は多いにあったようで通学時間は手渡された錠剤に大いに助けられた。

端から見ると冗談のような症状だったに違いない。毎週決まった時間に下痢をするのだから。だが無理もないのだ。体育が好きではなかった僕は体育の前の数学の時間、公式と数字の世界の中で迫り来る運動に対して密かに緊張していたのだから。
数学教師はそんな僕の理解者で、授業中だろうが無許可でトイレへ行っていいと宣言していた。お陰で僕はお約束のように毎週木曜の数学の時間にはふらりとトイレへ行っていた。
個室で排便すると腹痛自体はおさまるのだが、決まって惨めな思いに駆られたのを憶えている。

臨床心理学への好奇心と、養護教諭の薦めで某大学院内の心理臨床相談室へ通いだした。その頃にはもう、腹痛と下痢の原因は精神的なものだと確信していたので。通学もままならないようでは日常生活に支障をきたす。どうしても治さねばならなかった。

毎週土曜の午前中に行われるカウンセリングは僕の一週間の楽しみの一つとなった。いい気なもので、大学院生の女性と密室で過ごす50分間は、当初の目的が霞む程刺激的だったのでる。彼女からすると放っておいても喋りまくる僕は随分と楽な来談者だったのではないだろうか。
だが臨床心理学への好奇心から色々な種類の臨床検査をせがむ僕はさだめし厄介な来談者でもあっただろう。

何はともあれ、大学へ入学する時分には過敏性腸症候群は随分とおとなしくなっていた。今では「ああ、お腹弱いなあ」と思う程度。それプラス新陳代謝の良さも手伝ってか、なかなか太らない体質であるのは感謝すべきなのかは定かではないが、とりあえずの安息を僕の腹は得たのだった。

それでも今夜は、焼肉を食べた後に漏らしそうな程の排便への欲求をMY BLOODY VALENTINEを聴いて誤魔化しながら帰宅せねばならなかった。

2006年の長いあとがき

年内予定していた全公演が終了したという事で不完全密室殺人舟橋孝裕としてではなく、脚本家フナハシタカヒロとして「あとがき」を。

06年初夏に始まりつい先日終了した6公演。前口上のみ書いたのが2公演、残りの4公演全3エピソードは曲間のナレーションも書かせてもらった。


「猫神家の一族」
「我が人生に一片の悔いなし」
「その名は悪意」
「ミケと私の物語」
「しばしのお別れ」
そして
「九条院家の崩壊」


沢山の遊び心と一握りのセンチメンタリズム、そして雀の涙程の美意識を織り交ぜて書いてきたこれらのエピソード(前二つは山田氏との共作であるが)にはやはり愛着がある。

・「猫神家の一族」
この頃は前述の通りタイトルと前口上のみ書いていたので曲間は山田氏のアドリブ。だけれども両者の間にイメージの齟齬なくうまく進行したと思う。横溝作品ほどおどろおどろしく、陰影のきいたエピソードにはならなかったがいずれこれを雛型にリライトしたい。

・「我が人生に一片の悔いなし」
山田氏との共作。このエピソードの前口上において「読者に物語る」形式が初めて明確に提示された。時代考証等をしだしたのもこのエピソードから。

・「その名は悪意」
神田佑介氏原案。人のパスを受け取って脚本を書き上げるのは難しいがうまくいくとこれほど愉快な事もない。この回から曲間のナレーションにも着手した。概念上の題材を抽象的な語り口調で語るというのは個人的に新しい試みだった。

・「ミケと私の物語」
初回以来久しく殺人事件を描いていなかったのでそろそろ殺人事件を、と思っていたものの突如思い付いたこのエピソードに感情移入してしまい結局こちらが採用。各務氏は元ネタに気付いていた模様。ライブの進行に添って思った通りのものが書けたという手応えをこの回程強く感じたエピソードはそれまでなかっただけに非常に印象深い。この公演を観たお客さん(その頃失恋した様子)から「死にたくなった」というコメントを頂き、バンドが「遊び心」としてとらえている「エピソード」としての側面が受け手にとってはインパクトのあるものなのだと感じた。

・「しばしのお別れ」
年内最後、そして日程的に近接した二公演という事で初の前後編という方式をとった。美しく哀しい犯罪者、というその筋では先人達が挑戦し続けてきたジャンルに手をだした。前編で犯人の背景を描けた事で後編での感情移入の仕方が違ってきた。尊敬し、慕ってきた諸作品へのオマージュを込めたエピソード。
「戦争が生んだ悲劇」というのが意識としてあったのだが、公演日が偶然にも真珠湾攻撃の日だったようで何かしらの命運的なものを感じてしまった。書き上げるのに一番時間がかかったかもしれない。

・「九条院家の崩壊」
1stミニアルバムのエピソード。音源を製作するにあたり「普段とは違った事を」と女優田中絵里氏にナレーションを依頼、氏がナレーションを読み上げるのを大前提として書き上げたエピソード。富豪の令嬢という、これまた王道なイメージを十二分に楽しんで書いた。氏の演技といい、池上琴恵嬢のイラストといい、イメージ以上の仕上がりであった。
不完全密室殺人のベーシックと言えるであろうエピソード。


とにかく、全てが印象深い。
演奏する側の思惑としてはこれらは演出、遊び心であるわけであくまでライブがメイン。主題とするのは曲であったり詞なのだけれど、やはり遊び心はやりきってからこそ。真剣に遊びきらなければ意味がない。
ある公演においてはエピソードが曲に影響を及ぼした事もあって、非常に嬉しかった。
来年も色々と書こうっと。

年内のライブ予定全終了。

先日栄はTIGHT ROPEで行われた『isn't anything4』出演をもってして我々不完全密室殺人の年内のライブ予定は全て終了となった。
呼んでくださったゴンザレスさん、ありがとうございました。

メンバーとも話していたのだが、このイベント、とにかく濃い。それぞれのやっている音楽に特化したミュージシャンがそれぞれの音楽を演奏。
学生時代所属していたサークルの先輩ともご一緒でき、実に有意義な時間を過ごせた。

初めて不完全密室殺人の音楽を聴く人にもインパクトを残せたようで、音源も色々な方に買って頂けてこんなに嬉しい事はない。
3月くらいまでライブ活動は一旦お休み。また会う日まで『しばしのお別れ』です。

『しばしのお別れ』前編

不完全密室殺人第5回公演『しばしのお別れ 前編』にお越し頂いた皆様、ありがとうございました。

今回の脚本は初の前後編という試みで、脚本を書くにあたっても非常に頭を使った。いつもエピソードが降りてくるのを待っているのだけど、なかなか降りてこなかった。

我々は「バンドである」という意識でやっているので極端な言い方をすればナレーションやらエピソードは掲げるコンセプトであれども『遊び心』である。真剣に遊び倒そうとしている。メンバーも脚本が良いといい具合に演奏に反映されるようだし、手は抜けない。

で、ああいう脚本になったわけですが。
何の意識もせずに第二次世界大戦をテーマに扱った。今から66年前の昨日、真珠湾攻撃が行われ戦争が開戦したとは正直知らなかった。
不甲斐ねえな、と思う反面、偶然に驚いてもいる。

遂に。

不完全密室殺人の音源が完成しました。
昨夜山田くんと一枚通して聴いてみたのですが、大変手応えを感じる一枚です。

ある日探偵加賀美詳平に一通の手紙が届く。ある実業家の娘から届いたその手紙は思わぬ内容だった。
完全なる密室内での首吊り死体。果たして自殺なのか、それとも…!?

不完全密室殺人「九条院家の崩壊」

普段のライブがTV時間のレギャラー放送だとしたら12月の2公演は年末特番、この音源は劇場版(それに相応しいゲストも参加しています)、と言えるでしょう。

活動を開始して一年に満たないバンドの一枚目にしては一瞬びっくりするような値段設定をしましたが、是非聴いてみて下さい。もっと驚いて頂けると感じています(勿論良い意味で)。

それにしてもびっくりしたなぁ!

blogについて。

結局僕が尊敬する物書きっていうのは頭の中を「ホラこうですよ」と文章で表現して、多くの人間に共感は得られなくとも「そういう事か」と理解させる事ができる人間なんだろうなあ。

僕にはそんな文章は書こうとした事がないし、何より書けないのでこういう文章になっている。僕という人間はこのblogを読めばわかって貰えると思っている。

文章、内容、行間、句読点、その位置、反復、言い回し、etc.
「自分がどんなものか書き付けておくために整理しないまま勢いで書いてしまう」というスタイルを選びつつ、前述の尊敬する物書き達への憧れを込めて書いた文章がこういうものだ。
以前ある人に言われた事がある。僕の日記というのはどこからどこまでが本音で、どこからどこまでが冗談で、どこからどこまでが嘘で、どこからどこまでが「この人は隠したいのだろうけど滲み出てしまっている」的な文章なのかわからない、と。

日記という文学は実に難しい。自分自身への記録という概念は公開される事によって喪失された。今や日記は「自分はこんな生活を送り、自分はこんな思想を持っています」という自己紹介、自己顕示めいたものになっている。勿論悪い意味ではなくてね。
日記を公開する人達の中には多くの共感、多くの反感、そして奪ったり奪われたり、言葉と論理の奪取劇、最終的には人間模様を求める人もいるだろう。
僕が今まで目にしてきた人の日記というのは共感できるものであったり、反感を抱くものであったり苛々したり悲しんだり、喜んだり笑ったり、和まされたり嘲笑を浮かべたくなるようなものだったりした(つまり僕は他人の日記にそこまで一喜一憂する人間なのだ、とどのつまり)。

だけど文章を文章として、純然たる「表現」として考えた時、その表現技法に感じ入ったのはただ一人。あの人の文章は実に美しかった。
リズム、行間、言葉遣い。読んでいるうちに自分の日記がトゥーマッチなものだと再確認してしまったものなあ。
その人の日記が美しいのは、きっとあの人が「読まれる」という事をそこまで意識していないからなのかもしれない。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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