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自戒。

fa8be256.JPG最近、一個人としては兎も角、表現者としては不健康な時間を過ごしてきたように思う。

これも結果的に言える事であって、その時その時というのは可能な限り前向きに、健康的で、そして全力ではあったのだがやはり判断力と構成力の不足という観点では不健康であったという事は否めない。最悪なのはそれが、ここ一番という時にこそ陥りがちだったという事である。

バンドメンバーは既に見抜いていると思う、否、確信しているのだが僕という人間は一個人としてもそしてまた表現者としてもプライドが高い。最低限ではなく、人に訴えかける表現というものには相応のプライド、自信、確信、決定力が必要だと信仰しているのだが、仮にそれが絶対たる真理であったとしたとしてもここ最近の自分の精神というのは一体何故ここまで、というくらい不必要に肥大したプライドに振り回されていた、と断言できる。

それは何において、どの瞬間にと明言できるものではない。だが議論のふとした弾みに感じる感じ方、そして発言を突き動かす根本にあるもの、表現の仕方、全ての根底に確実にそれは影響を及ぼしていた。一体全体どこの世界に美しくない自意識の塊で動かされる民主主義の表現集団が存在するというのだろうか。
さらに悪質なのはこのブログの投稿者が、議論という場においては場の空気をそれ相応に読んで発言するという事である。これはそのままその醜い自尊心が顕在化しづらいと言い換える事ができる。
そもそもが表現者の集団、それぞれがそれぞれの発想、美意識を有する人間の集合体としてのバンドにおいては自分の意識を貫き通すという事にさほど意味はない。勿論一表現者がその表現者足らしめる根底の部分(それは感性に関する部分、とでも言えるだろうか)に関しては貫ききらないにしろ強調する事が望ましいし、主張は必要であろう。だがその結果が他の発想を阻害する結果になり得るのならばその主張は「支配」ではなく「主張」で留めておくべきなのである。

根本的に自分達自身が癖のある(悪い表現を敢えてするのならば共同作業の相手を選ばざるを得ない)人間が集まっているバンドだと自認しているのならば、僕は議題進行役としてその場に存在する以上、感情移入を必要以上にしない方が良いのだ。
良い、と断言しないまでも最近の僕の取り組み方は過ちだったと感じている。
一呼吸おいて冷静に考えれば現状でももっと円滑、そして何より僕自身が自分を恥じない携わり方ができただろうに、と思う。

まあ、あれだ。これぐらい書いておけば僕自身、これを自戒として今後はもう少し建設的に介在する事ができるだろう、と考えている。

僕とインターネット。

f97d48db.JPG今日の一枚はスタジオ作業後、スタジオの壁にあった大きな姿見の前でスラムダンクを気取る不完全密室殺人。

会った事も話した事も、ともすれば同じ空気を吸った事すらない見知らぬ方に自分達の音楽、表現が肯定される。これは非常に嬉しい事だ。

そしてそれを可能にせしめたインターネットの力を僕は信奉している。狂信的ではないし、弊害や齟齬がそこに発生し得るのは重々理解しているつもりだけれど、それでも前向きにインターネットによる情報発信の力を行使していきたい。
一昔前ならば自分の表現を他人にアピールするには、それ相応の手間と時間と費用が必要とされただろう。
それを音楽という表現に限定するならば、自分の見知らぬ人に自分の音楽を聴いて貰うには途方もない過程が必要で、選択肢は少なかったろうと思う。
音源を流通にのせたり、或いは委託販売でも良い、遠方で自分達の音楽を提供し得る環境を作ったとしてもそれが人の手に渡るには知名度、話題性、宣伝等様々な要素が関わってきただろう。
だが今はどうだ。音源はインターネット上で簡単に公開できるし、受け手も気軽にそれを聴く事ができる。ライブ映像も簡単に閲覧できる状況が作られている今現在、発信者は簡単に全世界に向けて自分の表現を解き放つ事ができるようになった。

勿論、受け手の手にそれが届くには受け手の興味をひく必要があるし、そこに辿り着いて貰えるような努力が必要だろうけれども先人達が行ってきた行為とそれに対する労力に比べればそれは些細な事だろう。

情報が行き交い、過多とも言える状況になって受け手の耳は肥えているとも言えるのだろうけれども、それが回り回って結果的に音楽の間口を押し広げ、表現者の励みとなるのだとも言える。

インターネットがなかったら確実に我々の表現に触れる事がなかったであろう方々が、インターネットのお陰で我々の表現に触れたのだ。

インターネットがかなりの普及している昨今では元手がなくともすぐさま行動に移る事が可能なインターネットを有効利用しない手はない、と感じている。

クラシック音楽を聴いて感じる事。

233655eb.JPG音楽が日常生活に寄り添うようになった頃、最もよく聴いていたのはクラシックだった。中学校の音楽の授業でスメタナが作曲した「モルダウ」を聴いたのが僕がクラシック音楽に親しむ契機となった。当時の貧困な語彙力ではその時の感動は「格好良い」としか表現できなかったが、あの感覚は今ならこう表現するだろう。
「モルダウ」の旋律に幼い僕は心揺さぶられたのだ、と。それは実に雄大で、叙情的な旋律だった。

結局の所セックス・ピストルズに憧れファッション・パンクを気取るまで僕はクラシック音楽とアニメソングばかり聴いていた。MDウォーマンとコンポをクリスマスプレゼントか誕生日プレゼントか、何かの記念日に買い与えられた際もクラシックを上質なスピーカーで、又は耳に差し込んだイヤホンで聴いて楽しんでいたのだ。

今思えば、そしてこれは今なおそうなのだが僕が好むクラシックというのは「わかりやすい」ものが多い。有名な曲或いはとっつきやすい曲ばかりを好んで聴く。映画に使われるような曲もまた然り。

極論してしまえば“ロックバンド”の演奏では“オーケストラ”の圧倒的は出せないのではないかと考えている。各楽器が一斉に一つの曲、主題を奏でる事によって聴衆が感じるカタルシスは“ロックバンド”のその比ではない。音圧、高揚感、そしてそれは多重的であり構築されたものである。元々からして全く違うベクトルで成り立ってきたそれらを比較する事自体が無意味でナンセンスな事なのだろうが、同じ“音楽”にカテゴライズされるものとしてその違いは明白だ。
逆も然りであり、それは史上にロック音楽、それ以前にクラシック音楽という範疇と違った音楽が生まれ、そしてそれらが今なお愛されている事からも明らかである。

そんな事を考えながらも両者の間にある種の一貫性も感じられるから興味深い。幾度となく同じ旋律が繰り返され、13分かけて高揚していくラヴェルの「ボレロ」にはリフに通じる概念を見出だす事が出来るし、明らかにある種のクラシック音楽の影響を受けてそれを昇華したクリムゾンからもそれは感じられるのだ。
本当に面白いと感じる。
とりあえずホルストの「火星:戦争の神」はしっかり聴いておきたい。

今後の活動。

東京疲れも少しずつ癒えて参りましたが、まだまだ一息つくには早い様子。

3月1日には学生時代に所属していたサークルライブに参加してきますよ。大学のサークルのライブにこいつ出して大丈夫かって面子であります。メンバー集めた後輩タナエリに感服。あんな思い切った人選できるの貴方だけです。
人生初のコスプレ。楽しみです。

で、3月4月とライブの予定がじわじわ決まってきています。また東京に行く事ができそうで本当に嬉しい。まだ二回しか行っていないのに池袋手刀ドームの居心地の良さは異常。またあそこで演奏できる事が本当に嬉しい。野心と展望を持った出演バンドにバンドの事を考えた、そして何より面白く刺激的なブッキング。バンドの自己表現のためには惜しみなく力を貸して下さるスタッフさんと、ちょっと類を見ないくらい好きになりそうなライブハウスです。

まだ告知できませんがまた面白い事を考えているので一度でも我々のライブを観た事のある方は楽しみにしていて下さい。

東京遠征終了。

20日の東京遠征をもってして2月に予定していた不完全密室殺人のライブは無事終了した。この二度の遠征によって学んだ点は多く、新鮮な出会いと刺激的な表現、そして旨い飯がそれを彩ってくれた。
東京でのライブで我々は確信犯的なライブ進行を目指していた。パフォーマンス、見せ方ではない。そこは意識してどうにかなる話ではないし、意識してどうにかする事柄と判断するには我々はパフォーマーには徹し切れない。つまり、気持ちが盛り上がっていない瞬間に盛り上がったふりをする事はできないし、恐らくそれは観ている側にも伝わる程無理やりな演奏になってしまうだろう。

ならば当然の成り行きとして感情移入し得る進行を予め構築しておけば、後はただひたすらに演奏に集中すれば良い。予定調和な爆発もなければ、行き過ぎるあまり狙いを逸れる行為もなくなるはずである。

果たしてライブは終了した。後に残るのは、筋肉痛と楽しい夜の思い出、そして移動疲れである。
ライブの出来に関してはやはり、今後観て頂いて判断して頂くのが最もフェアであると言えるのではないだろうか。

バンドの構築といわば、破壊。

バンドというものが一表現者の集団であると定義するならば、その表現に介入する人員が固定されるべきだという定義はナンセンスである。しかしてバンドを表現者の一集団と捉えるならば、継続的に同じ人員で表現を練り上げるというのはその定義の本懐だろう、と考える。

さて、そもそもが自宅に於ける内向的な表現の集いとして始まった不完全密室殺人だが、当初この集団(詳しくは後述していくが初期段階では我々は“バンド”ですらなかった)を立ち上げた構成員達が掲げたコンセプトでは「固定化されないドラム奏者」「毎ライブ異なるドラマーを迎え入れ、その都度変容する楽曲」というものがあった。弦楽器奏者3名(うち一名は名目上はサポートメンバーであった)は集いはしたものの、ドラム奏者の不在は紛れもない現実であり、人前で披露されるかその段階では定かでなかった楽曲達には便宜上リズムマシンによる打ち込みが導入されていた。
不完全密室殺人は意識せざるとも一表現者の集団という側面から開始したのである。

集団設立から数ヶ月、集団がライブという場を意識し始めた頃、我々はスタジオという鍛練の場に踏み入るにあたってドラム奏者という存在について今一度考慮しなければならなかった。
当初掲げたコンセプトに沿って様々なドラマーに声をかけた。5名以上のドラマーが参加を呼び掛けられ(彼らは様々な、違った表現を持つバンドに参加していた)、実際スタジオでの鍛練に参加可能な人間はその半数以下まで絞られた。不定形という側面に強い魅力、可能性を感じていた我々は最初期の狙い通りに運営を進行する予定ではあったが、度重なる鍛練、編曲作業において様々な弊害を意識せざるを得なくなった。
「即興要素がほぼない今、ドラム奏者を固定しない事の一体どこにその意義があるのだ?」「紛れもなく“バンド”として活動しようと思案している今、ドラマー不在のままパーマネントな活動が可能なのだろうか?」

可能性の吟味の結果、最良の結果であると思われた神田佑介もモチベーションが一致、加入となり、同時期に各務鉄平も正式加入を果たした。こうして我々は本質的に“バンド”となったわけなのだが、神田佑介が一時的にバンドの演奏活動から離脱して一定期間を経験した今、僕は「メンバー固定化」のメリット、そしていわば「メンバー雇用制度」のメリットを痛感しているのである。

メンバーが固定化された一表現集団内において、その集団はその集団特有の“言語”を持ち得る。一表現者が集い音を重ねる事を繰り返す事によって各々の表現が寄り添い、同化し得る。対して出入り自由、固定化されないメンバーにおいては固定化されたメンバーとの演奏によって受けるものとは異なる、違ったベクトルへの刺激を享受し得る。不確定要素、表現の距離感、マイナスイメージに限らず感じる違和感、それらが有機的に作用して思いもしなかった刺激を受ける事が起こり得る。これは固定化されたメンバー間でも往々にして起こる事なのだが、極論してしまえばそれは前例がない楽器奏者を導入した際に顕著なものとなる。前例のない音、旋律、そして意思が既存の楽曲に注ぎ込まれるのは他では感じる事のできない感覚である。
とどのつまり、最小人数たる四人編成と、サポートメンバーを導入した編成、或いは結果的に13人もの大所帯になった連隊編成の向かう先は、それらの差異を意識して設定されたものである。

全ては表現欲求の赴くままに。我々4人をつき動かしているのは結局そこなのだろうけれども。

かつての夢。

昨夜観た「ドッグヴィル」の余韻がまだ消えない。一生忘れられない映画になるだろう。ニコール・キッドマンにも一発で惚れた。
あの映画の舞台表現は、僕のやっているようなバンドには大いに参考になるだろう。
しっかりとした脚本に表情とパントマイムだけで空間を作り出せる役者、そして適切かつ空気をぶつ切りにしないナレーションがあればあれだけの事がやれるのだ。

映画を観て時間を過ごす夜を連続二夜経験して、かつて自分が映画に携わる職業を志望していた事を思い出した。高校3年生、誰しもが進路について悩む時期に僕は突発的に日本映画専門学校に自分の欲求実現への活路を見出だしたのだ。
しかしてそれは映画に携わりたい、より刺激的な人生を送りたいという漠然とした欲求だけであり、スピルバーグのようにカメラ越しに友人を撮影する事で自らのクリエイティビティを高めたり、映画をそういう観点から沢山観るといういわばそれを現実のものにするための下準備すらしないままの発想に過ぎなかった。
当時の僕にとって映画は映画に過ぎず、自分が映画に関係する仕事に就くというのは好きから直結した憧れであり同時に突発的な衝動であった。
担任教師、両親から説得を受けた。彼らは恐らく理解していたのだろう。僕の提案したその進路が“自分なら何か創り出せる”だとか“仕事を映画に決めてしまう”という確たる信念、覚悟もなしの一案であり、受験期の若者にたまに起こる衝動、いわば一過性の熱のようなものに過ぎず、嵐が過ぎ去るようにその瞬間を凌げばいずれは他の活動に目移りするだろう、と。

彼らの「大学卒業後にまだ映画がやりたかったら、その時は専門学校に行けば良い」という言葉に納得し、僕は進学の道を選んだ。

今はそれで良かったと思っている。

『ドッグヴィル』


続・我が逃走
『ドッグヴィル』という映画を観た。

この映画は体育館のようなスペースに線が強いてある。そしてそこには「チャックの家」と書いてある。それはそう、丁度建物の間取図か地図を上から眺めた図柄に似ている。
驚くべき事に一つの村での出来事を描いたこの映画での舞台セットはこれだけなのだ。壁もなければ扉もない。あるのは机等の家具と、あとはちょっとした装飾品のみ。
当然建物の壁はないので今会話している人物以外の人間が何をしているか筒抜けなのだ。一見奇妙なこの舞台セット、だがそれがこの映画に於いては全く違和感がない。
むしろ人間の姿をまざまざと描くのが本懐であろう監督にとっては、恐らくこのセットこそが最適にして唯一の方法だったのだろう。

主演はニコール・キッドマン。「アイズ・ワイド・シャット」の頃から美しい女性だとは思っていたが本作における彼女の美しさといったらない。それ故に彼女の境遇に感情移入して観てしまった。これが監督の本意かどうかはわからぬが、もしそこまで狙っていたのだとしたらニコール・キッドマンは恐ろしい女優である。

しかしこの視聴後の後味の悪さといったら何だ。「確かにそう、確かにそうなのだが…!」といった感じ。以前から抱いていた人間の本来の姿への印象をそのままさらけ出された気分。しかも描き方が丹念で丁寧だから展開に違和感を全く感じない。
展開に結末、このどちらにも納得してしまったが故に感じるこの後味の悪さ。

是非観てみて下さい。三時間近い映画ですが、大いに観る価値があるかと。
なにがしさんとトバゴさんが薦めていた理由が理解できた。

あークサクサする。とりあえずニコール・キッドマンは目茶苦茶美人だという所におちつけておこう。
スッキリするために近々「地獄の黙示録」のヘリ部隊のシーンだけ観よう。

今回ほど良いサンプルが得られた事があっただろうか。

大阪での2度目のライブはバンドとしての課題が浮き彫りになった。

嬉しい事に不完全密室殺人というバンドを始めてから毎回お客さんに反響を頂く。ネット上を徘徊していても読んでいるだけで顔がニヤついてしまうような感想を書いて下さってる方がちらほら。
今回も今回で人の記憶に残るようなライブはできた様子。

ただ、08年になってからライブに我々にしては新しい方法論を導入して以来、ただただ印象に残るだけのライブをしてしまっていたようである。

大暴れ、混乱、暴走、破壊、衝動、焦燥、アングラ、etc.様々な形容が可能だろうし、何より楽しんで頂いているのは伝わってくるのだが我々自身それでは、そこに安住してはバンドが続かず、第一に我々のやりたい事がやれていないと感じる。感情を打ち出す音楽が感情を吐き出す“だけ”のものになってしまう。
そんな瞬間はあってもいい。ただ、それだけでは駄目なのだ、やはり。

ステージ上に混乱と狂騒を繰り広げて観客の記憶に残るのはその残骸だけだなんて悲し過ぎる。残すべきは、提供すべきは感情の伴った力を有した音楽であるべきだ。

尊敬してやまない音楽家が言っていた。“種類は問わない、人がひきつけられるのはパワーを有した音楽である”と。最近注視しているある人物が言っていた。“セットリストというものは料理を提供する際のメニューのようなものだ”と。

ならば我々がすべきは確信犯になる事である。
愉快犯にして知能犯、そしてそれを確信犯的に行使する劇場型犯罪者のように我々は進んでいく。

現段階で気付けて良かったのだ。何故なら実感を伴う発見程、武器になるものはないからである。

ここは本質的にはブログというよりかは日記でありたい。

最近は画像も添付せずに殺風景なブログが多くなっております。

昔の記事はもっとなんていうかこう、見栄えを気にしていた形跡があったのになあ。口調(文調?)も今と違った感じで今よりは親しみやすかったはず。

しかし昔の記事を読み返すと自分の事ながら面白い。今より感情的だったり、青臭い事を書いていたりする。まだ前のバンドにいた頃だし、学生であったが故に大学での出来事など綴って非常に日記日記しておりましたね。
あ、それと今程長文でなかった。

インターネットで自分の日記を公開するようになって(実はこのブログを書く前にも個人サイトで毎日書いていました)随分と経つけれど、年々読み手を意識するようになってしまって日記たる本分を忘れている気がする。もう少しパーソナルな日記を書いていた方が自分的にスッキリするので、今後はそういう方向を心掛けよう。ライブ告知や宣伝ばかりの日記程読んでいて面白くないものはないわけだし。

日記は日記らしく日記する。

今食べたいのは旨い醤油ラーメンと焼肉。

bc79a2d4.JPGこんな時間にベッドに入るから昼夜逆転するんです。わかってるんです。

お腹が減った。何か腹に入れようかと思いつつも、どうせ寝て起きたらすぐに食事だしなあ。このまま寝てしまおう。

練習前にスタジオロビーに置いてあるパソコンを使って、皆でメタリカの「バッテリー」のライブ映像を観た。もうこれがたわけに良い。あまりの格好良さにモチベーションがあがった。

頑張ります。

4e26b58f.JPG今日も練習でありました。

大阪のライブの構成に若干不安要素があるという事で一から見直しをし、再構築。初期案よりも研ぎ澄まされた感があります。表現者である以上、そしてそれを人前で披露する以上発信者は当然受け手を意識するだろうし、してしまう。その反面意識し過ぎないようにすべきだし、やりたい事はやるべきである。

ではどうするかと言ったら両立を計る他ないのだよ。やりたい事をやりたいようにやって、その表現で観ている人間を飲み込む気概が必要だ。

その上で嫌いだと判断されるのは納得できる。しかし何より口惜しいのはどちらでもないというか、好き嫌い以前の問題である場合。そう感じさせてしまっらそれはひとえに発信側に原因があるわけで、好きか嫌いかという基本的な、根本的な琴線にすら触れられないのは自分達が未熟であるという事以外に理由はない。確実にない。

極端な話「全力で嫌い」というのは「全力で好き」とほぼ同義、は言い過ぎか、同じ次元での話であってそこまで嫌われるだけの明確な表現がそこにあったという事である。
そういうバンドであらんと精進を重ねるばかりなのだが、こういう思索や理論武装はその先に理想と向上心、発展性があれば必ず意義がある事である。

自分がベーシストとしてお金を頂いて演奏するようになって、以前は表現内容以前に演奏力を主眼においた批評や感想が多かったが最近はそうでもなくなってきた。嬉しい事だ。だからと言って技術が上がったかと言えばそういう話ではないのだけども。

いずれにせよ常に自分に何が足りないか、何ができないか明確に理解しておくのは大切な事ではないだろうか。
メモメモ。


自分の弱点
・横に流れていくようなベースラインが構築できない。しない。
・手癖が基本ブルーノート(無意識で)
・裏拍への意識の欠如
・語彙力のなさ
・対応力に欠ける演奏

鼻毛。

例えばあなたは右の鼻の穴から顔を出している鼻毛に気付いたとする。あなたはその鼻毛が気になって仕方がない。あなたは一念発起して忌むべき鼻毛を抜く事にした。

鏡を前に、鼻毛をピンセットでつまんで、襲いくる痛みをイメージしながら少し引っ張ってみる。ピンセットをつまむ指に力を入れてゆっくりゆっくり引っ張ってみる。想像以上の痛みにあなたは思わず指の力を抜いてしまう。
するとああ、拘束をとかれた鼻毛はピンセットの先からするりと抜けてしまう。
残るのは刺すような痛みの余韻だけだ。だがその余韻だけであなたの決意は揺らいでしまう。あなたはどうするか。どうすべきか。

宜しい、あなたは賢明で勇気ある人だ。それは私も知っている。あなたは勇気を奮い起こし再びピンセットを持つ手に力を入れる。

よし、掴まえた。あなたは指先に力を入れ、痛みに襲われたとしてもそこだけは力を緩めまいと決心する。力を入れる前、あなたはピンセットで鼻毛をつまんだまま自分に言い聞かせる。
今回もしくじったらまた同じ痛みを味わうだけだ。鼻毛を抜くのは途方もない痛みが伴うが、しかしてそれは一瞬。この一瞬は歯を食いしばってでも耐えるんだ。

決意を新たにしたあなたは再び鼻毛を引っ張る。先程より力を入れて、確実に。だが繊細に、だ。
あなたの努力と決意の賜物か、鼻毛は無事にあなたの右の鼻の穴から駆除された。ピンセットの先端には鼻毛がつままれている。

あなたはそれを見、そして小さく溜息をつく。そしてあなたの右目には涙がうっすらと滲んでいる。右目だけである。

鼻の穴の中の神経は目、或いは痛覚に直結している。あなたの右目が涙にぬれるのにはそこに原因があったのだった。

新しい出会い

今の時代便利なもので、大抵の情報はインターネットで得る事が出来る。
未知の音楽についてもインターネット上で視聴したり、色々なホームページを閲覧する事で新しい出会いがあったりする。

某巨大動画閲覧サイトで「内核の波」というバンドのライブ映像を視聴したのだが、これがまた滅法格好良い。

ドラムの男性に六弦ベースを恐ろしく表現力に富んだ指先で演奏する男性にフルートの女性、これまたテクニカルなギタリストの男性という演奏陣に弁当を貪る男性。皆白衣を身につけている。

ちょっと待て弁当!?
そう、そのメンバーは曲が始まると弁当をステージ上でがっつきだしたのだ。素知らぬ顔で演奏を続けるメンバーを尻目に、弁当を食べる食べる。曲のリズムにあわせて頭をふって食べたり、割り箸をワシャワシャ動かしたりして、食べる。

演奏に対する影響力は不明だが、何だか非常に目をひく弁当氏。

アヴァンギャルドだなあ。
機会があったら視聴してみてください。

初めての経験。

学生時代の後輩がメンバー探しのためのデモテープでベースを弾く人を探していたので、僕で良いならという事で参加。事前に資料とデモを貰っていたので雰囲気が掴みやすかった。何にせよ準備は怠らない方が物事はスムーズに進むのだと再確認。

で、マルチトラック・レコーダーを携えて後輩登場。軽く確認事項を話して作業開始。彼はメタル/ハードロックが原点にある(と思われる)ギタリストなのだが貪欲な好奇心で様々なものを吸収している様子。デモを聴くまでは何故か「16分音符をルート弾き、或いはギターを支えるベース」くらいしかベースの役割はないだろう等と浅はかな考えを持っていた。ところがどっこい、デモを聴くと彼の広がった音楽の間口が垣間見え、しっかりとベースのスペースが残されている音源に認識を改めた。

しかし。それでもまさか僕がチョッパーをする事になるとは。慣れないチョッパーながらも後輩氏のOKが得られ、その爽やかな笑顔を見ながらお礼を言いたいのは僕の方であると心の中で呟いた。録音作業の間、僕は良いチョッパーの練習の機会に恵まれたのだから。
リズムに関する細かい拘りは刺激的で、弾いているうちに僕は自然と燃えていた。

今思えば彼は色々と気を使って僕が作業しやすい空気を作ってくれていたように思う。彼の気遣いが功を奏して最後までナーバスになる事なく集中出来た。

後輩氏、有り難う!
こんな先輩で良かったらまた何か協力できる事があったら力貸したいです。

個人的に感じている方法論についての現段階でのまとめ。

e9d26ac4.JPG不完全密室殺人会議でした。今後我々が成すべき事を行使する上で必要な準備について話をし、神田佑介復帰第一弾として行う予定の公演脚本を皆でチェックした。

脚本家として自分が書いたものがスムーズに理解されるのは実に嬉しい。四人が四人とも面白いと感じれるものを初期段階で書き上げれたのは初めてかもしれない。
原案・山田康裕の本脚本はこのタイミングで行う事にこそ意義があると感じている。

楽曲のみでライブを構築する試みを実践に移してから、色々な局面で変化が生まれた。脚本に及ぼした影響というのは計り知れなく、それ故に今回の脚本第一犒は今回の形になったのだろう。

だがいずれの形式も未完であり、勿論現状思い付く限りの最善を尽くしてはいるのだが、段階をおっていかねばならない箇所はまだまだあるのだろう。楽曲だけでライブを構築するというのにもまだ初期段階に過ぎず、練っていくべきであるしこの至極一般的と言える方法論を当たり前のように受け取るべきではない。気分屋で気難しい人間が揃っていると何をするにしても説得力が必要で、本人達が腑に落ちないものは本質的には完成形であるとは言えないからだ。

常により良い形を模索するのは楽しいし意義を感じるし満たされた気持ちになり得る。

決意表明。

一身上の都合によりお金を貯めなければならなくなった。僕自身としては無駄使いはしない方だと思っているし(そもそも無駄な買い物って何だろうか)、そんなに高額な買い物をドカドカするタイプでもない。

服は譲って貰ったものか、二年くらい前に着たきり雀の僕をみすぼらしく思ったのか両親が与えてくれたユニクロの服(無理やりにでもユニクロに連行、服を買い与えてくれた両親には本当に感謝している)を着回しているから買う必要がないし、酒も目茶苦茶飲む方ではない。デートに行く相手もいないし車も乗っていない。賭け事を趣味としてはいないし、春を買ったりしていたのもお金に余裕のあった学生時代以来していない。
では何に金を使うのか。交通費、スタジオ代金やベース弦の張り替えや壊れた機材の修理代金とかそういったどうしようもない必要経費を省くと、外食や煙草くらいである。
節約を実践している落合君の話によると外食は大敵のようだ。確かにラーメンを貪るように食べ続けていた時期はガンガン散財していた。
だからここに宣言しておく。どうしようもない場合を除いてしばらくは外食をしない。
フナハシよ、節約するのだ。読者がしたければ青空文庫(ネット上で著作権がきれた小説等を公開しているサイトである)で芥川や漱石を読め。未知なるラーメンに好奇心と舌が疼いたら腹一杯白米をかきこめ。歩いて移動できる距離は歩け。

早速「涼宮ハルヒの戸惑 予約限定版」を買ってしまったが、今月の大きな買い物はこれだけにしておくぜ。

自己紹介

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。
以下、ライブ予定。


12/28(水) 新栄DAYTRIVE
犬栓耳畜生

2017/1/07(土) 今池HUCKFINN
ONE BY ONE RECORDS レーベル10周年イベント
JONNY

1/08(日) ミソフェス2017(http://www.misofes.com/)
パイプカツトマミヰズ

1/08(日) 新栄DAYTRIVE&TRIM
パイプカツトマミヰズ


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