フロイト企画

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ザ・フロイト企画「鎮守の森で、逢い引きを」に行ってきた。

去年サポートして、そして栃木君とやなせ健吾君に不完全密室殺人をサポートして貰ってそれまで以上に関係が深まったザ・フロイト。
今一番感情移入しているバンドである。

会場のK.Dハポンに入った瞬間、驚愕した。今はそういう時期のようで(何でも芝居の公演があるようだ)、会場全体が岩窟のようになっている。さながらハポン自体が舞台のようである。趣深く、非日常感に飲み込まれる。東京ディズニーランドに来たようなその圧倒感はフロイト企画というその日の演目にこの上なく似つかわしく感じた。

さて、ザ・フロイトである。立ち位置もこの日仕様、ステージを見上げる形での観覧となった。主催イベントで出番は一組目。初めに知った際は驚かされたが、もうこのあたりからザ・フロイト構成員の人柄が感じられて嬉しい。共演バンドを沢山の人に観て欲しい、楽しんで欲しいという誠実さが伝わってきた。
演奏も気合い十分、ザ・フロイトはいつの頃からか滅茶苦茶に気迫が伝わってくるライブをするようになっていて、その真っ直ぐな「ヤル気」が気持ち良いバンドである。新曲も非常に好みで、やなせ君がザ・フロイト稀代のダンスチューン『アラタ体』にのせて披露した狂気じみた朗読に至っては圧倒感に飲み込まれそうになった。
ライブハウスで凄惨かつ圧倒的なパフォーマンスを目の当たりにすると思わず笑ってしまうのだが、これには爆笑、実に良いものを観たと満足しきりである。

ザ・フロイト、実に良い。未見の方は是非チェックしてみてください。
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『みみずひめ』


続・我が逃走


鳥居みゆき主演『みみずひめ』を観た。

支離滅裂で狂気じみてとてもストレンジ。そんな鳥居みゆき女史だが冷静に考えるとあそこまでアングラ臭プンプンの人間が(本人の嗜好及び思考に端を発すると思う)ここまで市民権を得るというのは凄い事だと思う。


さてはて『みみずひめ』だが、エンドロールが流れるまで脚本は鳥居女史が関わっていると思い込んでいた。実際は藤田容介監督が脚本を書かれたそうなのだが、これには驚いた。

鳥居ワールド全開、というか本当に鳥居女史の活かし方に違和感が、無理がない。恐らくこのDVD購入者が期待する『鳥居みゆき』という像を壊していない。鳥居女史が携わった部分もあるのだろうけれど、二人の感性は似ているのかそれとも藤田監督がそれほど『鳥居みゆき』に入れ込んでいるのか。


また役者も良い。

山田キヌヲさん。この方は初めて知ったのだけれども実に表情豊かで、そしてゾクッとさせる女優さんである。山田キヌヲさんの体現する「静かな狂気」は鳥居女史の一見アッパーな狂気を見事に対を成していた。

脇の役者さんがこぞって濃いオーラを発散し(舞台役者っぽいなと感じた)、実に意識にひっかかる演技をされているので「鳥居みゆき」の映像作品なのだけれど「映画」っぽいというか。芸人のDVD出してみましたー的な印象派全く受けない。そんな中、素を捨て切れなかった髭男爵はどうしても少し浮いてしまったけれども。

そして鳥居みゆき女史。

僕は元々この人の物凄い演技力(入り込み方、間のとり方、そして抑揚)が大好きなのだけれども、それを十二分に堪能できた。所謂「まさこ」を基本に物語は始まっているのだけれども色々な顔が見える。アッパーな瞬間よりも堕ちた瞬間、ダウナーな瞬間の表情が素晴らしい。


以下ネタバレを含むので反転してください。

興味深いと感じたのはみみずの「みゆき」が「鳥居みゆき」にのり移って、愛する男性を捜し求めるというプロット。

みみずの「みゆき」はかつての自分の飼い主、「鳥居みゆき」ファンの男性を他の女から取り戻すために「鳥居みゆき」の体に入って男性を探す。紆余曲折を経て男性と再会、感動のフィナーレ。しかし「みゆき」は目の前の男性が愛しているのはみみずの「みゆき」ではなく「鳥居みゆき」という自分の体、自分が着込んでいるきぐるみだと気づいてしまう。

この脚本に「芸人・鳥居みゆき」の『現在』というか『捉えられ方』を感じてしまうのは穿った観方だろうか。

仮に製作側にその意図があったとしても、それすらも表現の一種、そのどちらなのか視聴者に一抹の引っ掛かりを残す事にすら僕は鳥居みゆき女史の表現者としての奥深さを感じずにはいられない。


兎に角、『みみずひめ』大いに堪能した次第である。

例えば僕が美化されたら。


続・我が逃走  続・我が逃走

篠田君だけでなく 、何とこんなイケ面、可愛く僕を描いてくれた方まで現れました。

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、実際豚ッ鼻ですし目つきも悪いし顎もしゃくれ気味ですし、こんなに素敵ではないです。

しかし有難いです。

『出汁巻玉子』

玉子焼きは幼年期の記憶、様々な思い出を呼び起こすいわば『切ない』食べ物である。

玉子焼きを食べると幼い頃に家族で出かけハイキング、友達とワイワイ楽しんだ遠足、好きなあの娘をチラチラ気にして仲間と飯をかきこんだ中学校の昼食時間、他様々な記憶が脳裏をよぎるのである。

ああ、あの頃、一日が今より長く、小さな学区が冒険の宝庫で、ちょっとした事に感動し、そして自分の未来は可能性に満ちていたと信じて疑わなかったあの頃はもう二度と帰ってこない。春は何かが始まる予感にワクワクし、夏は瑞々しい思いと(そして筆者が忘れ難いのは『あの』市民プールの空気と光景だ)照りつける太陽の下大いに遊び、秋は叙情的な思いになり文化的に過ごす。そして冬は雪がまだ降らぬかまだ振らぬかと待ちわびて、一年の終わりを感じていたものである。
兎も角、そんな少年時代を玉子焼きは想起させる。玉子焼きは少年時代に密着し、決してカツや唐揚等のメインディッシュには適わねども、我々のお弁当のかけがえのない一要因であったのである。
家庭によって味の違う玉子焼き。貴方は甘い派だろうか、それとも塩っぱい派であろうか?


母の出汁巻玉子には、シーチキンが入っていた。
数年後そのポジションは海苔にとってかわられ、最終的には葱に落ち着いたようである。

元々舟橋家の玉子焼きは甘い味付けとは逆のベクトルに向かっており、それ故の素材チョイスである事は想像に難くない。シーチキンの旨味、葱の辛味、海苔の奥深さが出汁巻き玉子に一定の風味を加えていた。

そこで今回のチャレンジ!クッキングである。
息子は愚かにも母の出汁巻き玉子に挑戦を試みたのである。

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根本的に、まず「巻けて」いない。
ただの玉子焼きである。


結果から言えば、母の出汁巻玉子への挑戦は失敗に終わった。料理はひとえに味、見た目や盛り付けは二の次であるというのは『漢の料理』を標榜する同好の士や調理に失敗した人間の口からよく聞かれる発言であるが、今回の僕がそう嘯いたのは紛れもなく後者の理由によってであり、出汁巻玉子が出汁巻玉子であるための重要な要素、すなわり『巻き』が欠如している。
アイデンティティの崩壊、等と気取って言ってみたところで所詮はただの失敗。

思うに献立色々つゆを6倍に薄めて入れる際、それらをカップ一杯分入れたのがいけなかったのだろう。
玉子を溶き、具を入れたタネは一気に水っぽくなってしまった。玉子をもう一つ追加したものの、果たしてこれが本当に料理として形を成すのか実に不安であった。


それでもどうにか焼きあがって食べてみると味は悪くない。少しばかり味が濃いけれども、まあご愛嬌。
つくづく、母の料理は偉大である。


『出汁巻玉子』の覚書

・玉子を割って、とく。

・葱をみじん切りにし、玉子に入れる。

・さらに干し海老を入れる。

・献立色々つゆを6倍に薄めて入れる。ほんの少し、ほんの少しで良い。

・油をしいて温まったフライパンにそれらを入れる。

・焼き上げる際には『巻く』事!

篠田君が

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似顔絵を描いてくれた。
似てると、思う。

活動再開後記

『活動再開が意外に早くて申し訳ありません土下座』を先日ご報告 と一緒にしましたが、冷静に考えると一月半くらいしか活動休止していないんですね。

一月半。普通に生きていたらあっという間、何の感慨もなく過ぎてしまうでしょうが毎日色々考えながら過ごしたここ最近は濃密だった気がします。

そして我々、人間関係に本当に恵まれているなあと痛感しました。親しいバンドの皆さん、お世話になっているライブハウスの皆様、親身になって下さるイベンター様、そしていつもライブに足を運んで下さる皆様、皆さん一様に活動再開を喜んで下さって(たった一月半しか休止していなかったにも関わらず・・・!!)、これはますます頑張らんといかんぞ、と決意を新たにした次第であります。


音楽性の違いだとかで活動休止していたわけではないですし、相応の期間このバンドがライブ活動をできないのはある程度覚悟していましたが、やはり人前でガーッと演奏しないのは単純にストレスが、溜まります。

それはバンドとしてそうでありまして、それがこの予想以上に早い活動再開、そこに向けての後押しになったのではないかなとも思っています。


ライブの予定も決まってきています。県外遠征にも挨拶がてら伺おうと思っておりますし、実に好奇心をくすぐられるイベントに声をかけて頂いてもいます。随時告知できるようになり次第、HPやメーリングリスト(fukanzen_murder@yahoo.co.jp まで空メール下さればお知らせをお送りします)、mixiの不完全密室殺人コミュニティ でお伝えしようと思います。

不完全密室殺人のHP ですが、活動再開を機に少しずつ更新しています。是非こまめにチェックしてみてください。


Tシャツ

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久しぶりに服を買った。
着たきり雀に近い僕は毎日毎日Tシャツとパンツだけ着替えてパーカーとズボンは前夜脱ぎ捨ててあるものをそのまま着用する、というのが多い。

そしてシャツ愛好家の僕はTシャツというのは肌着くらいの認識でしかなかった。

そんな僕が何気なく某オークションサイトを見ていたら滅茶苦茶気になるTシャツを見つけてしまった。今年の夏はこれでお洒落にキメよう。

というわけで購入。
映画『シャイニング』のジャック・ニコルソンのどアップがプリントされている。



ダァァァァニィィィィ!!

断線

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ライブ終了後、最後の最後で何故音が出なくなったかシールドをチェックしてみる。
プラグの金属部分がシールドに食い込んでスッパリ切れている。

…そりゃあ音出ないわけだ。

こんな事もあるのかと知った大阪の夜。

ご報告

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不完全密室殺人です。

3月のライブをもって活動を休止していた不完全密室殺人ですが、この度活動を再開する事が決定致しました。

様々な方にお世話になり、ご心配をおかけしましたが4人で話し合って本日付で決定致しました。

ライブの予定も確定し次第ご報告致します。
今後とも不完全密室殺人を宜しくお願い致します。


「活動再開、意外と早くてすみませんでした!」

映画『スタンド・バイ・ミー』


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映画『スタンド・バイ・ミー』を視聴。


今まで何度観たかわからない映画で、恐らくそういう人は多いのではないだろうか。僕の記憶の中でこの映画を観た最初の鮮明な記憶は母方の祖母の家に泊まった時のもの。お風呂にも入ってパジャマに着替えた幼い頃の僕は、真っ暗な部屋の中で横になりながらこの映画を観たのだった。

人は「この映画は二度観ると良い。子供の頃と、大人になってから」と言うけれども、別段その効能を感じたりはしなかった。郷愁や哀愁に襲われたり、幼い頃の眩い光景を思い返して涙したりしなかったのは、きっと僕がまだ子供なのか或いはこの映画と僕の少年時代がリンクしなかったからではないか、と思っている。


「12歳当時のあの頃のような友達は、二度とできないだろう」と主人公が少年時代を振り返っているが、僕の12歳、小学校6年生当時はどんな友達と何をしていたのか、これが面白いように記憶があやふやだ。

小学校当時は気難しくて他人との距離感を測りづらい子供だったような気もしているが、それもどうだか。兎に角、『12歳当時の友達』というのが僕には思いつかない。友達らしい友達はいただろうし、相応に楽しくやっていたのにパッと思い浮かぶ名前が一人もいない。

中学校の頃の記憶となると流石に少しは鮮明になってくるのだけれど。


そんなこんなだから僕が『スタンド・バイ・ミー』を観て感慨に耽るのはもう少し先の事になりそうだ。所謂『少年期』を学校に通っていた頃と大まかに括れる頃合になれば、きっとこの映画を観て友達と秘密基地で遊んだり学校帰りに話し込んだり卒業式で合唱したり友達と喧嘩したりその友達と仲直りしたり生徒会室で遅くまで行事の準備に励んだりした事を思い返して、一括りにした『少年時代』に涙を流す事ができるのではないかと思っている。


それにしてもこの映画の瑞々しさといったらない。ふとした瞬間瞬間が美しさに溢れている。

リバー・フェニックスが演じているクリスの大人っぽさ、誠実さ、そしてひたむきさも人間の美しさを想起させられる。少年達一人一人が親近感を感じさせ、観ているとついつい微笑んでしまうような映画だ。

恐らくは原作者スティーブン・キングの幼年期が投影されたこの(原作小説)映画、恐らく今後も名作として語り継がれていくのだろう。


JONNYを映像で振り返る。

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JONNY内に吹き荒れた一大引っ越しブーム。
ドラム野々垣、ギター篠田に続きついにこの人までも。

佐藤さんが、(僕の家から歩いて2分の所に)引っ越してきた。

どうやらうちの近郊は家賃が安いらしく、それ故の結果のようだが、まさかそこまで近いとは。もう篠田君ちも佐藤さんちも歩いて行けてしまう。『ご近所さん』という表現がかくも似つかわしいシチュエーションもそうそうないだろう。

で、早速お邪魔してきた。
スカパーのアンテナ設営をしたり談笑したり。JONNYの過去のライブ映像を色々観せて貰ったのだが実に興味深い。というのも只今現在ベースを弾いている僕を含めてJONNYには結成当時から8人のベーシストが参加しており、観る映像によって弾いているベース奏者が違うのだ。
過去のライブ映像を観るというのはそのままJONNYベース奏者の歴史を振り返るという事に他ならない。
友人の彼が、名前しか知らないあの人が、ベースを弾いている。物の見事に違う演奏スタイル。ベースラインも違えばアウトプットされる音も違い、ライブという現場でのスタンスも違う。
個人的には僕が初めて観た頃にベースを弾いていた、そしてJONNYの活動拡大期にわたってベースを弾いていたロビン氏の演奏が実に印象深い。
演奏というのは結局人柄を発散、発露する行為であると思っているのだがロビン氏の存在感はそのままロビン氏の人柄に繋がる。

そして佐藤さんの服装、髪型の変遷、篠田君の変化の中で不動の野々垣氏。
髪型と服装から受ける印象が全く変わらない。僕よりJONNYを昔から知っている方も多いと思うのだがあそこまで変わらない人も珍しいだろう。
滅茶苦茶面白かった。

映画『時計じかけのオレンジ』

スタンリー・キューブリック監督作品『時計じかけのオレンジ』を観た。

定期的に視聴覚棚から引っ張り出しては観る。流し観も含めると一体何回観たのか。

観る毎に発見、というか印象が鮮やかになってくる映画だ。一度目の視聴ではセンセーショナルで過激な印象を受け、二度目では主人公アレックスの暴力性にある種の共感すらおぼえ、三度目の視聴では人間性について考えさせられた。それ以降もジョーやらダダとマム等、登場シークエンスが少ないながら印象的な登場人物達に注目させられたり荒廃した近未来(それすらも今となっては“過去”なのだろうが)描写を堪能したり、本当に飽きる事がない。


何故、ここまで愛せるのか。

別段今更この映画のテーマ、所謂主題、方々で語られている『人間にとっての善と悪』だのそれこそ作中で語られている『善は選択されて初めて得られる』だの永劫的に問題として存在し続ける人間の本質だの、そういったものに関連付けて語る気はない。昨夜僕が注目したのはもっと単純明快、各々が定義する各々毎の主題でもなく、もっと作中に踏み込む以前の段階での話だ。

『時計じかけのオレンジ』、色彩やデザイン、音楽もさる事ながら台詞回しが絶妙である。言い回しが、ではない。

台詞回しが、である。


『豊かで耳に心地良い声を有する人間によって表現するために発せられた音声は、美しい音楽と同等の興奮、刺激をもたらす』というのは僕の持論であるが、本作品の出演者、これがまた良い声で何より台詞の抑揚、リズム感が素晴らしい。

アレックスの芝居がかった口調は一語一語しっかりとその場に存在感をもって君臨するし、デルトロイド更正委員の口調はまくしたてるようでありながら非常に明瞭で、しかし語尾につく「YES」によって性急な印象を与えず、ユーモラスな効果を与えている。

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デルトロイド更正委員。
僕はこの人が大好きだ。

看守長はその演技、風貌もさる事ながらステレオタイプの軍人、役人そのものの口調でシュールな面白さを醸し出している。

アレックスのドルーグの中でディムが一番印象深いのはその見かけ、薄ら笑い、演じた役割もさる事ながら聞いているこちらまでもがイライラしてくるような台詞の発し方にある。どうも神経に引っかかる物言いをするのだ。


続・我が逃走
それでも愛すべきディム。
演じてた役者さんの最近の写真を観たら渋くてビックリした。


ううん、実に素晴らしい!

センセーショナルで過激でファッショナブルで前衛的な作品であるし、そこが印象深いのもまた事実なのだけれど、本作品が名作といわれているのはこういう映画としての『根っこ』がしっかりしているからで、そういった印象は他のキューブリック作品にも通じるものである。

今更この巨匠について論じるのは己の無知を露呈する行為になりかねないし、それにその行為は専門家がやり尽くした行為でもあるだろうから一映画好きとして締めくくるのであれば、つくづく映画が好きな人だったのだなあと感じる。



カレーライスのノスタルジー、そして投影される個人性。


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カレーライスが、無性に好きである。


所謂『子供が大好きな食べ物』とはカレー、ハンバーグ、ラーメンというイメージが強いし、実際これらの食べ物を嫌いだという人間にはほとんどあった事がない。勿論「辛過ぎるカレーが苦手だ」とか「コッテリしたラーメンはあまり好まない」というそれらの中でより限定的な嗜好の差異はあれども、大まかなカテゴリーでその料理自体を嫌っている人間にはあまりお目にかかれない。

カレーは子供に愛されているが、それ以上に皆に愛されている。街にはカレーショップがチェーン店、個人経営問わず溢れている。街を数十分歩いてみて、カレーが食べられるお店が目に入らない事の方が稀である。我々の日常にカレーはそっと寄り添っているのである。

しかしそれだけ沢山のカレーショップ、創意工夫を凝らしたカレーが世の中に沢山出回ろうと一部の人間は頑なに「うちのカレーが一番だ」と主張する。彼らは母親、恋人、配偶者が作ったカレーが一番旨いと主張するのであり、何を隠そう僕もそんな人間の一人である。ここにおいては幼い頃から食べ続けてきた思い入れ、そして愛する人間が作ったという感情移入、それらからくるセンチメンタリズムが味覚に介入しているのは明らかである。が、それは同時に敢えて論じるまでもない、人間の叙情的な部分であり人間が人間たる所以であると断じてしまおう。


幼い頃から食べ続けてきたカレー。

この年になって思うのが、これほど食べ手の拘りを投影する料理もないだろうと思う。作り手の拘りが料理に投影されるのは創作物、作品であるのでさもありなんと思うが消費者側の拘りというのは一体何だ、と思われるかもしれない。

では読者の皆さんへ僕から少しばかり質問を。

カレーを食べる時はルーとライスを混ぜますか?らっきょうや福神漬けの漬け合わせは必要ですか?それらの漬け汁がルーに混ざる事に抵抗はないですか?ルーの温度はどれくらいがいいですか?ライスは水っぽい方が好きか、それともパラパラの方が好きですか?ルーとライスの比率はどれくらいが好きですか?

ライスが左側、ルーが右側、そういうよそい方でいいでしょうか?

恐らく、これらの回答が全員が全員一致する事はないのではないか。試しに身近な友人にこれらの質問事項をぶつけてみた所、その段階で、既にかなりの齟齬が生まれていたのだ。

ちなみに僕はルーとライスは混ぜずに食べる。らっきょうや福神漬けは大好きだが、それらの漬け汁がルーやライスに侵食する事はあまり好ましくない。ルーの温度は飲むように食べる方法を採用するので熱々ではなく程々が好きで、ライスも同じである。ライスは水っぽくなく、それでいてパラパラというよりかはご飯の米がそれぞれ分離が良い程度が最高だと思う。ルーとライスの比率は4:6が丁度良い。ライスにかかったルーを食べるよりかは、ルーのかかったライスを食べる感覚が好きなのだ。

余談だが、最近はすっかり納豆カレーにハマッてしまっている。


カレーライス程普及した食べ物でも、その実態は個人の拘りと嗜好が投影される極めて私的な食べ物なのだ。

もしも、もしもである。僕の嗜好と完全に一致する人間がいたらば、一報頂きたい。

是非カレーライスを共にしようではないか。

実戰女学圓

先日、首都高速を移動中の事である。
JONNYというバンドのサポートベース奏者として彼らの東京ツアーに同行していた僕は、長距離移動と普段の生活時間から外れた起床時間からくる倦怠感をそこはかとなく感じながら助手席におさまっていた。
後部座席からギタリストの篠田尚希君が声をかけた。
「実践女学園だって」
その、妙に耳に残る校名、異口同音を連想しやすい語感が非常に印象的かつ刺激的で、僕達は「ジッセンジョガクエン」に関するとりとめのない妄想を口にしたりしていた。

「実戰女学圓」。
文部省と大日本帝国軍が共同出資の元、日本海の孤島に設立した全寮制の女子校である。
前大戦時に或る学者が発見、提唱したアポトーシス理論、「Y染色体が有する破壊運動エネルギーとその運用。Y染色体所有者の性質とそれからのフィードバック」を主軸として開発された軍事兵器操縦者育成のために全国から集められた個性豊かな女子高生達の日々とは。

そんなラジオドラマの企画が固まりつつある。
有能にして趣味的、多才であり拘りの塊のような面子で「実戰女学圓制作委員会」が設立されたのが今夜の話。

愛してやまない『機動警察パトレイバー』の制作集団ヘッドギアも、元は喫茶店にて趣味的になされていたアニメーションの企画を端を発するという。そういう作業と創作活動をしてみたかっただけに、今回のこの機会には大いに興奮させられた。

「その前髪、ギャグだよね?」

JONNYライブでした。

気づいたらドラムセットの上に乗っていて、それを振り落とさんとドラムを乱打する野々垣メンバーの笑顔は狂っていました。


ライブもそうだけど衝撃的だったのは打ち上げ!

人間の器の違いをまざまざと見せ付けられる結果となりました。イベントを主催されたmark muffin でドラムを叩いておられたRONZIさん(BRAHMANの方ですよ!わーわー)にひれ伏しました。

詳細は書けませんが(こういうボカす書き方はよくないと思うしエントリーとしても信憑性を欠くけれども、いかんせん「いいのか!?」という内容なので)、RONZI先輩はその行為の偉大さに反して、滅茶苦茶人懐っこい笑顔で笑っておられた。


かくありたい。

ジョン・エントウィッスル


続・我が逃走-ジョン・エントウィッスル


THE WHOの古い映像を視聴。ベーシスト、故john entwistleの若かりし頃の姿が恐ろしくキマッていて思わず身を乗り出した。全身黒ずくめに、ワンポイントの白いネクタイ。

そして抱えるベースはVOX サイドワインダー。

それでネック付近であの振り下ろすように激しいピッキング(流石はサンダーフィンガー!)をしているのだから格好悪いはずがない。

私生活では一番物静かだったが、ステージ上では一番やかましいと言われた男。

少しでも動くと爆音で鳴らしているベースがハウリングを起こしてしまうため、不動でベースを弾き続けた男。

なんて格好良い!!


※john entwistleの使用機材を列挙しているURLを発見したのでリンク貼っておきます。


そんな影響を受け易い僕は明日、JONNY非常勤でライブです。


4月13日(Mon) 今池HUCK FINN
mark muffin presents
"裏式 Vol.4"

mark muffin (東京)/ the blondie plastic wagon (東京)/ No Regret Life (東京)/
JONNY / Zowie Zowie Zowie..

5:30/6:00   \2500/\2800(DRINK別)
※チケットぴあ:318-673


不動で弾けるかはわからないけれど、精一杯歪ませて頑張ります。

『鮭のホイル包み焼き』と『埋もれたナス達の叫び』

久しぶりの『チャレンジ!クッキング』である。

音楽と料理はよく似ていると言ったのは誰であったか、誰であるにせよ至言である。

経験や完成が結果にズバリ反映される点もそうだし、過程においてその製作者の性格が出るのも然り。

その点で論ずるのであれば、現在僕の料理は若干迷走中であると言わざるを得ない。『男(或いは漢)の料理』というキーワードに踊らされているのだ。

『男(或いは漢)の料理』。

その言葉から連想するのはざっくばらんにブツ切りにされた食材達に、目分量で叩き込まれた調味料、そして豪快ながらも野生の旨味を感じる料理である。

その野性味とある種の整合性が同居した『男(或いは漢)の料理』だが、それらは全てが経験とそれからくる勘に裏打ちされているという事を僕は知らなかった。

知らなかったが故の、今回の結果だろう。


今回挑戦したのは『鮭のホイル包み焼き』。ホイルに各種食材を包んでオーブンで焼き上げるだけで、鮭と食材の旨味がにじみ出るデリシャスな料理である。お好みでチーズをのせても旨いそうだ。

で、そんな手軽でおよそ失敗するとは思えない料理で、何故失敗する。


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『鮭のホイル包み焼き』

敗因は次の二点だろう。

その1.食材詰め込み過ぎ。

その2.料理酒入れ過ぎ。


食材を詰め込み過ぎたせいで満足に『包む』事ができず、仕上がった頃には汁が漏れ出していた。不測の事態でオーブンを汚すのはテンションが下がるし、精神衛生上宜しくない。

そしれ何より料理酒を入れ過ぎた事によって『鮭のホイル包み焼き』ではなく『鮭のホイル包み蒸し』或いは『鮭のホイル包み煮』になってしまった。ホイルをあけた瞬間、ビシャビシャになっている中身を見た瞬間頭の中で危険信号が鳴り響いた。

冷静に考えれば理解できたはずである。ただでさえ水が出るたまねぎに、汁が出る酒。料理酒は気持ち程度で良かったはずなのだ。ドボドボ入れた僕が悪い。


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『埋もれたナス達の叫び』


さて本日はもう一品。

適切な名前が出てこなかったので『埋もれたナス達の叫び』とでもしておこう。

以前友人宅にて僅か数分で出来上がってきたのを食べ、旨いと気に入って以来いつか挑戦しようと思っていた料理である。

これが、簡単な割に旨い。ナス丸々二本をあっという間に消費してしまった。

これはまあ成功といえば成功だろう。


とりあえず二品もポン酢をかけて食べる料理があると、若干飽きる。



『鮭のホイル包み焼き』の覚書

・鮭の切り身をアルミホイルの上に置き、塩、胡椒をふる。

・たまねぎとしめじを適切な大きさに切ったりちぎったりする。

・料理酒を『適切な』量かける(この際、バター等を鮭の上にのせても良い)。

・ホイルの量端等、汁がこぼれ出ないようにしっかり封をする(2回以上折ると良い)。

・オーブンで適切な時間焼き上げる(今回は両面グリルモードで25分)。


『埋もれたナス達の叫び』の覚書

・ナスを薄切りにする。

・大根おろしを大量につくる。

・大葉を細かく切る。

・皿の上に薄切りにしたナスを綺麗に敷く。

・ナスの上に大葉を散らす。

・さらに大根おろしを盛る。

・ポン酢をかけ、レンジで数分チンする。

東京ツアー日記その6

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ライブも終わり現在名古屋へ戻っている中途なのだが、色々バタバタしていたのでエントリーを投稿する暇がなかった。

本日は新宿motion。
入り前にラーメン二郎に行く。にんにく抜きにしてみたのだが、それはそれで旨い。
腹を満たした所でまだ時間があったのでゲームセンターにて時間を潰す(画像はその時の神田君)。

さて、リハーサル後新宿motionのtakutoさんが「ラーメン二郎行きましょう」と。行った事のない店舗に案内して頂けるというので再び二郎へ。
初店舗ながらつけ麺を頼んだので、味の比較はできず。つけ麺(冷や盛)はつけ汁がぬるくなるのが一番のネックだと思う。兎も角、旨かった。

不完全密室殺人構成員も全員集い、彼らがニコニコ生放送収録へと向かうのを見送る。
しばらくすると開演。出番がやってきた。

厚着をして汗をかかないと『ライブをやっている感』が薄れるのではという我ながら変なこだわりがあるのだが、最近では珍しくTシャツにパーカーで演奏。うん、変わらず汗をかいた。

本番終了後、ニコニコ生放送が気になり友人に連絡を入れる。どうやら無事番組は始まったようで何より何より。
大学時代の先輩に画面キャプチャソフトを使って番組録画を頼んだので改めてゆっくり観ようと思う。

不完全密室殺人も目的を達し、JONNYも良い出会いがあったので両バンドに関わる僕としては言う事なし。
充実した二日間だった。

東京ツアー日記その5

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二日目の朝である。

現在埼玉県の深水さん宅前で煙草を吸ったりしているわけなのだが、実に良い天気。屁ぇがとまらんよ。

東京ツアー日記その4

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ライブが終わって、打ち上げも終わった。
最年長2人がバースト。打ち上げでバースト。愛おしい。

ライブ開始直前まで眠くて眠くて立っていられない程だったが、いざ始まってみれば最高に楽しかった。
ステージが広かったので大いにはしゃいでしまった。

今から再び深水さん宅へ。もう正直、深水さんに頭が上がらない。

東京ツアー日記その3

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今日は渋谷屋根裏に出演。カート・コバーン追悼企画。

初めてか、相当久しぶりにEDENのベースアンプを触る。本日よりライブで使い始めるJONNY用新ベースとの相性は素晴らしく、良い。
ステージも広くこれは気持ち良くやれそうだ。

東京ツアー日記その2

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totos深水さんちにご厄介になっております。

布団もしっかり人数分敷いてあって、飲み物も用意して頂いて本当に有難いです。こんなにお世話になってしまってすみません。

寝ます。

東京ツアー日記その1

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東京に着いた。
「これが所謂ベッドタウンなんだろうね」
「ベッドタウン?」
「それはね」

ふなはしは「べっどたうんにかんするちしき」をてにいれた!

期待のニューフェイス

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全曲全弦半音下げのJONNYに対応すべく、ベースを一本用意する事にした。

今まではレギュラーチューニングのバンド(不完全密室殺人、dadapanda)と同じサーフグリーンのYAMAHA SBV550改を使っていたのだが、やはり半音下げると弦のテンション感というか、ピッキングした際の感覚に違和感を感じる。かといってそれに対応できるように調整するのは音、弾き心地と何の不満もないサーフグリーンに手を加える事になる。
というわけで最近JONNYでのライブも増えてきたのでこれはベースを用意した方がいいな、と。

どうせなら音のキャラクター的に持ち替えても違和感のないSBV、ピックアップがちょっと違う500を調整。
フレットを磨き、弦高調整をし、ボディを磨き、指板にオイルを入れ、弦を張り替えて最終チェック。うん、問題ない。

早速スタジオで使ってみたのだが、違和感が解消された。
早速明後日の東京からこのサンバーストのSBV500を持ち出してバキバキ弾き倒します。

【まじっすか】不完全密室殺人がニコニコ動画生放送に出演するようです【大丈夫なんすか】



続・我が逃走

活動休止中の不完全密室殺人ですが、演奏以外の活動予定が入っています。


『ピョコタンのニコニコ汁』というニコニコ動画にて生放送されている番組があるのですが、それに不完全密室殺人が出演する事になりました(番組ホストであり、漫画家のピョコタン氏の紹介はこちら から)。

いやはや、ピョコタン氏のイラスト、折に触れて色々なところで目にしてきたのですが、そんな方の番組に我々のような人間が出演できるなんて素晴らしい経験です。有難いです。


9日の20:30から我々登場予定です。

番組視聴方法はニコニコ生放送の放送一覧 をクリックしてください(生放送の時刻にならないと番組入り口は出現しません)。

楽しみだなあ!




とは言ったものの、恐らくかなりの高確率で出演は僕を除いた山田、各務、神田の3人になると思います。

9日は新宿motionでJONNY非常勤なんですね。収録場所まで近いっちゃ近いのですが、出演時間的に恐らく無理かと。

僕の(あくまでバンド内、メンバーに対しては)容赦ないツッコミを披露する折角の機会でしたのに残念です。

が、皆様、是非この機会に番組を視聴してみてください。

森博嗣『すべてがFになる』


続・我が逃走-すべてがFになる


森博嗣『すべてがFになる』読了。


助教授とお嬢様学生(度を越した特権階級の人間だ。上流階級のカリアチュアライズだろう)が孤島の研究所で起きた殺人事件に挑む。この研究所というのが作品発表当時からすれば恐らくは非常に先進的、近未来的で技術の粋が結集されており、その辺の描写が適度な科学考証の元に描写されているのが楽しい。

また、『個』の集合体としての『研究所』故に、他者と関わる必要のない研究員。部屋から出る事すらも機会が少ない彼らが属する研究所は、個室の表札はおろか見取り図やフロア案内すらないというのも妙に合理的で、それが故にキャラクタライズ(こんな言葉があるのかは疑問)されていて面白かった。


しかしどうにもなあ。

僕みたいな人間、そして僕のように西尾維新の気配、或いは西尾維新が影響を受けた源泉たる気配を一瞬でも本書に感じてしまった人間なれば登場人物のアクの無さに飢餓感を憶えるだろう。かくいう僕もその一人。

西尾作品、というか『クビキリサイクル』を読書中に彷彿としてからというものの、犀川助教授と萌絵嬢に対して妙に冷静な視点で眺めてしまった。ヘヴィスモーカー過ぎる犀川先生、度を過ぎたお嬢様で天然の萌絵嬢はそれはそれは魅力的な作中人物なはずなのだけども。

そしてそして何よりも僕は、根っからの文系で作中で描写された二進法や十六進法、コンピューター用語や近代技術に関して根っからチンプンカンプンだ。それを理解する余裕すらない、というかどこかで拒絶している。

その辺のところもどこか作品に距離を置いてしまった一因かもしれない。


それでも犯人の動機、行使したトリック等は興味深いし、そのキャラクター造詣と特異性は印象深い。

それはいくらエピローグが蛇足気味でも同じである。

何より、本当に本書に距離をとっていたら僕はこれを休憩も挟まずに、一息で読みきる事などできはしなかったであろう。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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