「ロックンロールは俺達の夢の武器。…勝利の日まで」

27日、28日とJONNYで関西に行ってきた。


27日は天王寺FIRELOOP。店長の野津さんと終演後に突っ込んだ話をする事が出来た。僕は缶チューハイを2本飲んでいたけれども(FIRELOOPの打ち上げは500円でお酒が2本とお菓子が貰え、凄くお得!)、自分の腹の内をそれ以上に重くもなく軽くもなく、適切な言葉を用いて適切に伝える事が出来たと思う。

僕がうっすら赤ら顔で微妙に呂律が回らずしかしそれでも饒舌に喋っている間、野津さんはただの一度も目を逸らさなかった。それが凄く嬉しかったし、そして背筋が伸びた。話の中身っていうのは恥ずかしい事だからここでは書けないけれども、あの時の野津さんとの会話、多分一生忘れられないだろうな。野津さんの事は今までも慕っていたけれども、今回の一件で僕はようやくあの人の僕達に対する情熱に本音で応える事が出来たんじゃないかと思う。


続・我が逃走
人生で多分初めて見た通天閣。
新世界は必ず、また行く。


朝方まで串カツと一銭洋食等をアテに飲み、吹原君と二人で宿泊場所のスパワールド(世界の温泉が楽しめて、あれはもうアミューズメントパークである)へ。お風呂を楽しんで仮眠室で睡眠を摂る。起きて朝風呂を楽しんで、準備をしスパワールドを一歩出たら目の前に通天閣が見えた。

たこ焼き屋のおっちゃんは焼きあがるまでの間、コッテコテの関西トークで楽しませてくれたしたこ焼きも旨かった。

有難う新世界。



そのまま、28日この日の演奏場所である京都Voxhallへ。車内BGMはうしろ指さされ組だったりプライマル・スクリームだったり。

リハーサル終了後、ラーメンを食べ、機材の準備をし、諸々の準備をした後に井上ヤスオバーガー さんに近辺の見所を教えて頂き、一人散策に出る。前夜過ごした新世界とは打って変わった街並み、空気。気を悪くしないで頂きたいのだけれども、「大阪→京都の順番で良かった」と思った。活力に満ちた大阪の空気にあてられおおはしゃぎし、京都のどこか落ち着いた空気に安息を見出す。逆、だったら…それはそれで多分僕は楽しんだのだろうけれども。


続・我が逃走
鴨川。
淀川水系の一級河川、全長31kmらしい(wikipedia参照)。


この日は落ち着いて考え事が出来る場所を探していた。こんな事はそうそうあるわけではないけれども、この二日間のツアーで僕はあまりにも考えるべき事が多過ぎた。ポジティヴな事もネガティヴな事も直視する必要に迫られていたし、演奏前に自分の中でそのバンド活動や自分自身に対して抱えたモヤモヤを解消しなければ良い演奏など望むべくもなかった。正直に書いてしまうと、ちょっと疲弊していたのかもな。肉体の疲弊は、睡眠と休息で補えば良い。精神的な疲弊、それも休息が必要だけれども事によっては真正面からぶつかる必要が、ある。鴨川の流れを見ながらボーッと考え事をした。

鴨川、本当に有難う。今回という今回は、恐らく貴方がなければ本当にまずかった。こんなのは初めてなのだけれども、これってきっと意味のある事なのだ。鴨川、そして井上さん、本当に有難うございます。


余談だけど、鴨川を見た話を感動のあまり、店長の有堀さんにした。


「鴨川を見てきたんですけども」

「おお、見てきたー?」

「滅茶苦茶良いですね、鴨川!」

「そうかなーずっと当たり前のように見てるから特に感慨はないなー」

「俺、感動して調べたんですけど31kmもあるんですって!」

「えっ、そうなん?やめてやめて、知らない事がばれるから笑」


僕、いつか有堀さんと深夜の鴨川沿いでコンビニで買った焼き鳥とかを肴にお酒を飲む事を楽しみにしています。


この二日間で多くの人に関わって頂き、そして多くの話をした。自分自身の恥ずかしい部分を露呈させるが故に胸を張って人に誇れる話ばかりではないし、勿論それ以上の良い話もあるのだけれどもそれはまたいつか。

とりあえず野津さんに有堀さんに井上さん、新世界に鴨川よ、本当に有難うございました。

一生忘れられない二日間になりそうだ。

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iGOでパッセフェスに出演した話。

パッセフェス当日。僕は酔っ払っていた。

朝7時まで佐藤さん(JONNY)と佐藤家で飲んでいた結果、朝10時の起床時でまだ顔が赤く、若干フラついていた。凄いな、二日酔いっていうか寝て起きても酔っ払ったままだ。幸い気分は悪くないので、準備をして迎えが来るのを待つ。


うちの近くまでブラリと歩いて来られた茜谷さんと近所で立ち話をしていると、楽器を背負って自転車に乗った若者が横を通過していく。彼もこの後演奏するのだろう。ライブだろうか、それとも練習だろうか。何にしても親近感を感じた。

しばらく茜谷さんと喋っていると先程の若者が行った方から戻って来た。忘れ物でもしたのだろうか、と思った刹那、若者が声をかけてくる。

「あの、iGOさんですよね?」

茜谷さん、凄いじゃないですか!

「JONNYも観ました。格好良かったっす」

君、おまけみたいな僕を褒めても何も出ないぞ!


若者は少年ネバーマインド というバンドのヒロシ君。野田ロックフェスティバルでiGOを観たそうだ。背中に背負っているのはベースギターでこの日はライブらしく、丁度演奏時間的にお互いにお互いの演奏を観られなくて残念だけど、短い時間ながらバンドの話とかその場でする事が出来た。話をしているうちに昌吾さん到着。昌吾さんの車に向かって走りながら茜谷さんが振り返って一言。

「対バンしようぜ!」

茜谷さん、僕も丁度同じ事を思っていました。

ヒロシ君、丁寧で好青年だったなあ。ライブ動画しかチェック出来てないけれど、少年ネバーマインド、良いバンドだろう(僕の友人達は彼らを知っていて、やっぱりライブが良いバンドだそうだ)。

こういうのがあるからバンドって面白い。


で、偶然の出会いに静かに興奮しつつ、近鉄パッセへ向かう。関係者駐車場からエレベーターで上まで昇る。思えばパッセフェス、去年に引き続き2度目の出演となる。去年はJONNYでの演奏だったが、生憎の曇り模様。雨天の中演奏した去年の様子を思い返しつつ、今年は良い天気に恵まれて良かったなと思う。

吹原君、柴山社長(ONE BY ONE RECORDS )と合流して、パッセの社員食堂で皆で食事をとった。机がずらりと並んだ社員食堂ではパッセに入っている服飾店の店員さんと思しききらびやかな女性達が思い思いに食事をされており、自分達の異物感を強烈に意識しながらも、やっぱりどうしても気持ちがはしゃいでしまう。だってさ、ああいう服着てああいう化粧した女性って普段なかなか接点ないんだよ。


さて、演奏時間がやってきた。ステージ常設のベースアンプはGUYATONEのアンプヘッドにGUYATONEのキャビネット。見た瞬間に「良い音するだろ」と思い、いざ音を出してみると本当に良い音がさっくり出た。こういう時は気分も良い。PAの松井さん(studio Vetix /G-FIGHTER)も「モニタリングしにくくない範囲で、可能な限りアンプで音量稼いだ方が今日は良いかもしれないよ」と嬉しくなるようなアドバイス。小さくするより、爆音で演奏する方が大好きな僕からするとこんなに嬉しい事はない。他の楽器の音が聴こえるようにしつつ、アンプのボリュームツマミをグイッと上げる。


この日の演奏、機材トラブルで楽器の音が突然出なくなったり(後で聞いたら、パワーアンプが落ちたらしい)しつつも、それさえも起爆剤にし得るライブ。いや、やっぱり御三方、凄いわ。もう絶対にこれで落ち込まないってわかっているので音が出なくなっても全然びっくりしなかった。演奏終了後に昌吾さんに「舟橋君、音出なくなった時どう思った?俺もうビックリしちゃってさー」と言われたけれども、音が出なくなった時でさえ昌吾さんがあの何か面白い事を企んでいるニコニコ顔だったのを僕はしっかり見ていた。

実に3週間ぶりのiGOでの演奏、しかも実は一度もスタジオに入る事なく本番に臨んだのだけれども、いや、良い演奏が出来たと思う。青空の元、自分達の演奏が広がっていく感覚って野外特有で、そういうのって凄く興奮させられる。

最終的にはしゃいで楽器を置いて走り出して、客席後方のモニュメントによじ登って吠える。

正直に打ち明けるならば、飛び降りてやろうと思って下を見た瞬間、本能的に体が竦んだ。衝動に任せて飛び降りようものなら、また、腕を折りかねない。会場内の恐らく半分以上がこのまま舟橋が飛び降りて終わりだろうと思う中、僕はステージに向かって最大級の敬意を込めて、敬礼を送ったのだった。

演奏終了後、モニュメントからソロソロと気をつけて降りる様はさだめし滑稽だっただろう。


会場入り後にざるそば(250円)を食べていたものの、演奏を無事終えたという安堵感からか腹がやたらに減った。再び社員食堂へ舞い戻り、鮭おにぎり(90円)の食券を購入。おばちゃんが大きいおにぎりを目の前で握ってくれた。まずいはずがない。


帰りは昌吾さんに送って頂く。後部座席で茜谷さんと昌吾さんの会話を聞きながら今日の一日を反芻する。うん、胸を張って良い演奏が出来た、と思えた。寝たり起きたりを繰り返しながら、帰宅。

副業、始めました。それと風邪の話。

風邪をひいた。

あまり体が強くない割に季節の移ろいにはさして敏感ではないので、「寒いなあ」とか頭の片隅で思いながら風呂上がりに半裸でPCの前に座ったりしている。で、そんなんやってるから風邪もひく。

体が弱い上にその辺りの対策に無頓着な割に、いざしんどくなってきたら人一倍騒ぐのが僕だ。とりあえず、可能な限り発汗しなければ!と思いTシャツの上にシャツを着て、パーカーを着こみ、ベストを着、その上に厚手のコートを着てフードも目深にかぶる。一見、変質者であるが致し方ない。

このままスタジオで演奏し、スタジオ終了した頃には体は汗まみれ、服も湿っている。これが功を奏したのかはわからないけれど、翌日は比較的元気でした。


続・我が逃走
こんな感じ。怪しさ全開。

あと深夜の空いた時間を有効活用しよう、と思い副業を始めた。

副業とは言っても一日に1.5時間の超短時間。内容は肉体労働のそれに類するものなのだが、最近の「体動かしたいモード」にはピッタリ。基本的に一人で決められた作業をやっていく感じの労働環境なので、人間関係も構築しようがない。唯一会話らしい会話をするのはリーダーなのだけれど、リーダーも親切で新入りで右も左もわからない僕に色々教えて下さる。
副業後、そのままコンビニに飛び込んでお酒を買いたくなってしまうのは問題だけど、良い仕事があったもんだ。


JONNY企画からMW

14日、15日と実に豊かな時間を過ごす事が出来た。

二日間で相当量の音楽と、旨い食べ物、そして美味しいお酒を楽しむ事が出来た。多くの友人に会い、多くの歓声をあげた。体力は相当消耗したけれども、それでも限界まで動く価値は大いにあったと言って良い。


14日、新栄CLUB ROCK'N'ROLLにてJONNY企画。

今回は地元組は我々とDJを担当してくれたSyncronized Rockers だけ。thattamothercoatpocketlife は遠い所を遠路遥遥来てくれたし、Decortica に至っては海の向こうからだ。これは、楽しい。Decortica以外は以前共演した事のあるバンドばかりだし、海の向こうの友人にしても実に良い国際交流の機会だ。

あのね、この面子で楽しめないって事はないだろうと思っていたけれども、想像以上に楽しかった。どのバンドも実に良いライブをしていたし、そんなの観たらこちらも力が漲るというもの。もう兎に角全身でぶつかっていったけれども、どうだったのだろうか。


続・我が逃走
Decorticaの3人と僕。

日付の上では15日になった。

企画打ち上げは勿論、杏花村で。李さんが故郷に戻られてからは、スタッフさんも一新された様子。だけれども相変わらずの居心地の良さ、そしてサービスの良さに安心する。少しずつ少しずつ人が減り、結局最後の最後まで残ってしまった。

5時頃に帰宅。佐藤さんの家に機材を取りに行くはずが、そのまま寝てしまった。アルコールが残っていたのか、ベッドに横になり気付いたら7時近くだった。2時間の仮眠では普段の睡眠時間に全然足りない。

しかし佐藤さんちに置き去りにした機材がどうに気になるし、荷物の整理もしたいと起きて作業を完逐する。眠いけれども、twitter やらで現地の様子を探り、大阪ではお祭が待っているんだと自分に言い聞かせて無理やり起きている事に。

集合時間になっても、佐藤さんならびにサポートドラマー せんちょー氏(ナナフシ)に連絡が繋がらない。スタッフを請け負ってくれた2人も電話に出ない。そりゃ、まあ当然だろう。明け方4時過ぎまで飲んで、皆を家に送り届け、5時に帰宅、そこで皆がすぐさま寝たとしても4時間である。佐藤さんとせんちょー氏はライブの疲れも出たのだろう、これはまあ想像の範囲内。ゆっくり休んで今日のライブに備えてくれ、南無三!!と心の中で唱え、再びtwitterにアクセス。するとヒズム君(パイプカツトマミヰズ)が大阪に行くようで、お願いして乗せて行って貰う事に。これは本当に助かった。佐藤さん達と2時間以上差が開いたものね。


佐藤さん、せんちょー、スタッフ嬢の2人と合流する頃には僕はお好み焼きと焼きそば、それとビールですっかり出来上がっていた。ライブまで時間があったので大阪を楽しもうと思ったのだけれども、ちょっと飲み過ぎたかもしれない。LOUDNESSや筋肉少女帯も食べに来るというそのお店のお好み焼きは本当に美味しくて、「まいったまいったマイケル・ジャクソン!」と会話の節々に独特の笑いを挟んでくる70歳くらいだろうか、イケてる大将も最高だった。大将、どうやら愛知県で生活されていた事があるらしく、相当名古屋にお詳しい。大将の気配りとギャグ、そして美味しい料理とお酒で僕はすっかり大阪を楽しんだ気になってしまったってわけ。


この日の演奏はFANJ twiceにて。初めて演奏する場所で、しかもMW。興奮するよね、これは。

ジングルが流れ、幕が開くとまず最初に思ってた以上に自分が立っているステージが高かった事に気がついた。次に予想よりずっと沢山の人の顔。時間帯がかぶっているバンド達の名前を見、危機感を感じていたのだけにこれは本当に嬉しかった。関西に行くといつも観に来てくれる顔ぶれ、名古屋の人もいる。そして2階からはお世話になっているFIRELOOPの野津店長、そしてFANJのこんぼい君の顔も見えた。二人ともお忙しい中、駆けつけてくれたのだ。色々な顔が見えて、一瞬で涙腺が開いたのがわかった。開いただけだけど。

兎に角一生懸命演奏した結果、僕がセットリストをすっ飛ばしたり篠田君のギターにトラブルがあったり、と事故こそあったものの、人に誇れるような演奏が出来たのではないかと思う。


で、搬出後に大阪の友人と合流、皆で乾杯。楽しく飲んだ。楽しいあまり大阪に残る名古屋勢もいたけれども、翌日も予定があった僕は名古屋モドリ組と一緒に名古屋に帰った。

なに、大阪よ、すぐにまた行く。その時には数週間分の情熱を全部叩き込むような演奏をするから待っていろ。

そしてこれは完全に余談になるけれども、この二日間で若干太った。企画の時には色々な人に「痩せたね!」とか「良い体してるねえ」とか褒めて貰えたってのにさ。



追記:舟橋孝裕(27)、今回の英会話。

それは、Decortica演奏後の事。


舟橋(控室に入りながら)「Hey!Your music is fuck'n cool!loud, powerfull, and distortional. I only said "WOW....!!"(おい、滅茶苦茶格好良かったよ!爆音で、力強くて、そして歪んでさ!もう僕「ワーオ!」としか言えなかったよ!)」

Mathew(Decortica)「Thanks!(有難う!)」

舟橋「Your play is greatful.(貴方の演奏は素晴らしかった!)」

Mathew「ペラペラペラペラ(何て言ってるか聞き取れなかったけれども、君のも楽しみにしてるよ!的なニュアンスと理解)」

舟橋「I'll kick off your ears、by my distortional bass!!(僕の歪んだベースで貴方の耳を蹴っ飛ばしてやるぜ!!)」

一同、爆笑。


海の向こうの友人に啖呵を切ったのは、人生で初めてだ。でもバンドマンってやっぱりこういう瞬間に仲良くなっちゃったりする(事もある)。Decrtica、ベースのAntoinetteとはエフェクターの話をしたし、ドラムのToryには今のこの国の状況の話等をした。それまでにこやかに喋っていたToryがそういう話になった瞬間、表情が真面目になったのを僕はずっと忘れられないだろう。僕は被災したわけでもないし、被災地に行ったわけでもない。けれどもこの国のシビアな状況を彼らが知らないわけもないし、その事について話をする事は悪い事ではないと思うのだ。別に僕が日本代表として、とかそういうのでは勿論、全然ないのだけど。友人同士として言いたかった。

僕が言葉につまりながら拙い英語を駆使して気持ちを伝えるのを、彼はじっと黙って聞き、そしてハグしてくれた。「また戻ってくるからね!」と言ってくれた彼に対して僕はすぐさま「じゃあもう帰ろうぜ!」とそのまま一緒に帰ろうとした、所謂日本人的なギャグを披露した事を記してこの記録を〆たいと思う。

「赤い靴ってあれだろ、狂い死ぬまで踊り続ける奴だろ」


続・我が逃走-未設定

自宅にて作業と、スタジオ練習の日。

手帳の予定を確認しつつ、どんどんと締め切りが迫ってくるのを感じながら日々、作業。手前で望んで始めた事ではあるけれども、流石にちょっと疲れてしまう時もあってそんな時は「自分で始めた事なんだから」ってのが自分に優しく響く。「こんな気持ちがクサクサしてる日に何したって良いものなんて出来るわけがない」っていうのは言い訳のようでいて、自分自身ではその通りだと思っている。

で、一昨日の夜は作業もせずにさっさと寝てしまったのだけれども、それが功を奏したのか昨夜はバリバリ作業が出来た。

スタジオ練習も、ストイックに向き合えたのではないかと思う。佐藤さんは「ライブ用に新しく買ったハイヒールを試してみる」と言って実際にハイヒールを履いて演奏していた。


佐藤「ハイヒール履くとスタイル良く見えない?いいねーこれー」

舟橋「…や、普通だよ?」

佐藤「…」


すまない。だけれども正直にそういう事を言える程の関係になれたって事を理解して欲しい。してるか。

今日の画像は、いつだかどこかの駐車場で見かけた自販機。一瞬何を売ってるかわからず「え」と呆けてしまった。

スマートフォンを導入、「写真撮影→加工→そのままtwitterに投稿」という一連の流れがサクサク出来るアプリを使用するようになってからというもの、ふと思いつきで画像を加工してしまう。それらの画像を使ってブログを書いたりするとこんな気取った感じになるってわけ。

ここ一週間、僕が何をしていたか。

10月2日(日)

野田ロック の興奮を引きずりつつ、明け方まで練習。この段階で優に23時間は起きていたわけだが、こういう事はライブが2日連続であるから出来る。

昼頃起きだして新栄CLUB ROCK'N'ROLLへ。名城大学 世界民族音楽研究会、略して世民研の伊良皆君(sukida dramas )主催『MAD CITY』にパイプカツトマミヰズで出演。

この日のイベント、基本的に世民研のバンドが出演するイベントなだけに世民研でないのはこの日の出演者の中で舟橋、伊藤誠人、各務鉄平のみ。滅茶苦茶アウェイじゃないか、と思っていたら顔馴染みが結構いまして、舟橋一安心。

改めて世民研のバンドを沢山観たけれども、皆物凄く個性的。しかもそれを追求していて恐ろしく濃いイベントになっていた。流石、世民研!


我々パイプカツトマミヰズ、実にヒヤヒヤした。演奏中ではなく、演奏前が。

この日伊藤誠人君は別バンドでライブがあり、そのバンドの演奏予定時間が7時~7時半。パイプカツトマミヰズの演奏開始予定時間は8時10分。ライブハウス同士の間の距離は自転車できっかり30分(僕の職場の至近距離にもう一件のライブハウスがあるので、測定済み)。10分の余裕しかないタイトなスケジューリングではあるが、伊藤誠人にはやってのける自信があった。

「一服してから行くわ」

彼にはそう言う余裕さえあった。僕もそれに「そうだな、それがいい」、そう応えた。彼と自転車で走った事のある者なら、彼がペダルを漕ぎ出した瞬間に最高速度を出す男だというのを知らない者はいないだろう。つまり、加速がないのだ。彼はその脚力で異常なまでの行動力を有していたのだ。自転車があれば。自転車があれば大丈夫。そう思っていたのだが。思わぬ誤算が起きた。

まさかの、イベント自体が15分近くまきで進行している。つまり伊藤誠人が、間に合わない。

楽屋で「キーボードのセッティングをしておこう」とか「曲を削るか」とか色々と相談が始まり、結果的に「全ての機材が準備し終わった段階で伊藤誠人がいなかった場合、先に始めよう。伊藤誠人には空気読んで入ってきて貰おう」という事になった。曲が終わってMCが始まった瞬間に「遅れてごめん!」そう言って感動的に入場してくるシーンさえ容易に想像出来た。よし、それはそれで面白い(俺が)。

しかし、彼はやってきた。転換中、ステージ脇の扉を開け、「お待たせ」とすっくと立つ彼を見た僕は思わず「おわー」。今思えば相当にシュールな光景ではある。

で、一生懸命演奏。やっぱりリズムとテンションを一致させるのが、難しい。特にこのバンドはそれが一番難しい。


打ち上げも途中参加だけども「舟橋さんに是非世民研の打ち上げを見て欲しいんです・・・!」って伊良皆君が土下座さえしそうな勢いだったので、行ってみた。個人的に、年上を気持ち良くさせれる男って格好良いと思う。

で、最初は様子を見て飲んでたんだけれどもヒズム君(久しぶりに打ち上げであんなにハッスルしてる彼を見た。ヒズム君の右半身と左半身の競争一気、とかおぞましかったけど)の「コールしてみなよ」にちょっと興味をそそられてしまって、気付いたら皆の前で伊良皆君と牙突一気(牙突で相手に突っ込んで乾杯する一気ね)してた。自分が大学生の頃でさえそんなのしなかったのにね。

この日も楽しく酔っ払った。



10月3日(月)

日常生活よおかえりなさい!

アルバイトをする。お金を稼ぐという事に心血を注ぐのが趣味だとしたら、その人って24時間何なら趣味に没頭出来るわけでつまり仕事人間は毎日最高に楽しいんだろうな、とかなんとか考える。



10月4日(火)

昔のバンドメンバーが家に来る。おでん食べてたらむせちゃって、顔面におでんの汁浴びて「ティッシュティッシュ!」ってなっちゃう27歳、女子。どんだけパンチあるんだよ。



10月5日(水)

ザ・フロイト の山腰君とSkypeにて通話。ビデオ通話だったのだけれど、元気そうで安心。ベースの話等、する。この対談は文字に起こされて皆様にお届けする予定。彼とのに限らず、である。



10月6日(木)

JONNY練習。格好良いベースの弾き方、というテーマについて最近漠然と考えているのであれこれ実験。しているうちに気付いたら効率良く体を使って演奏する、というテーマに摩り替わる。まあ、それってつまりは真面目に演奏に集中してたって事なのだろうけれど。



10月7日(金)

昼過ぎに名古屋を出発、30本近くのアコースティックギター、ウクレレetc.を満載したハイエースに乗って一路大阪へ。「サウンドメッセ in大阪2011」というイベントに職場もブース出店をする事になり、そのためのいわば「出張」。そういう体験は人生で初であり、ワクワクする。この日は夕方に会場入り、ブース設営。

正直言ってアコースティックギターについては浅学であるが、その会場の雰囲気にワクワクする。

設営後は上司が予約してくれたビジネスホテルへチェックイン、ホテルのすぐ前のホルモン屋でビールと焼肉で乾杯。たらふく飲み、したたかに酔っ払い、相当食らった。


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名古屋では見かけないアイスを買った。
旨かった。


ホテルへ戻り、しばしウダウダした後お風呂へ。

このビジネスホテル、なんと国から認定された天然温泉付。気持ち良く風呂に浸かり、就寝。



10月8日(土)

サウンドメッセ初日。


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開場前の会場内の様子。
スマートフォンに携帯電話を換えてから、楽しくって画像加工ばっかりしてしまう。

多くの人がブースに来て下さり、ここ最近毎日職場で頭に詰め込んだ知識を総動員して接客させて頂く。他のブースも覗いたのだけど、トラスロッドや木材の展示販売、ギターの公開製作等面白かった。

心斎橋でお好み焼きとネギ焼き、モダン焼きを食らった後、舞洲のリゾートホテルにチェックイン。


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バンド遠征ではこんなホテルにはなかなか泊まれない。

ゆったりした雰囲気に気分が良くなり、缶ビール片手に散歩してみたのだが、何もない!暴走族風の高校生がヘルメットを着用せず、二人乗りでやたらと音の大きいバイクを乗り回していた。ホテルに戻ってロビーの自販機コーナーに入っていったらその子達がいて、遠目で見るより物凄く若くてビックリした。エネルギーの発散方法は色々あって然るべきだとは思うけど、深夜に騒音撒き散らして法を犯しながら走行するより、もっと良い方法もあるとも思う。


10月9日(日)

サウンドメッセ二日目。

朝食はホテルのバイキング。朝食バイキングは久しぶりなだけに、はしゃいで和洋両方通り一片食べてしまう。デザートにフルーツヨグルトまで頂いちゃったもんだから腹を壊して閉口した。

3時までブースで働き、同僚に別れを告げ単身、新大阪へ。大阪の地下鉄には親近感を覚える。


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ビュンビュン景色が流れていくのな。

新大阪から実に小学生ぶりの新幹線乗車。1時間程で名古屋へ帰れてしまう。新幹線は便利過ぎる。思う存分楽しんだ。

帰宅し、入浴、すね毛を剃り落とす。思いつきでやった事ではあるけれども、目論見通りこれが後々功を奏する事になる。

新栄CLUB ROCK'N'ROLLにてすみげ君主催『わななく』に舟橋孝裕名義にて出演。「ハードコア料理」(命じられた調理方法をひたすら愚直にやるライブ。ドライアイスを噛み砕いて飲み込んで、くらいはやるべきかなあとか思って内心ビビッていた)をやる予定ではあったけれども、安全性の問題で森茜ちゃん(ナトリネ )との未確認尾行物体スタイルでの出演となった。演奏曲目は過去2回と同じ『注文の多い料理店』。毎回同じ事をやるのは如何なものか、と思った瞬間もあったが、バンドだって毎回ライブでやるお馴染みの曲がある。それに「弾き語り」「演奏」の「弾き」だったり「奏」を担うメンバーが違えば、それは本質的に全く違った表現物になるはずである、と思い至り今回やらせて頂いた。

結成以来一度も顔を合わせていなかった茜ちゃんと演奏開始15分前くらいに軽く打ち合わせ、そしてライブ開始。茜ちゃんの演奏に演騒でぶつかっていったわけなんだけれども、いやはやこれが面白かった。基本的に即興で演奏して貰っているので、こちらもそれを楽しく聴きながらそれにあわせて朗読パフォーマンスをするのだけれども、物語中の空気の流れを読み取って、しかも説教的に展開を転がしてくる様は本当に興奮させられた。

生クリームを女の子の顔面に素手で塗りつける、という行為に加虐的快感を感じたのはここだけの話だ。

ぐしゃ姉妹 とも久しぶりの再会。


あうさん「今日ベース弾くんですか?」

僕「や、ベース持ってきてないっす」

あうさん「ハッ!もう最初からおかしい!笑」

僕「いやいや。ぐしゃ姉妹、ライブ面白かったっすよ」

あうさん「途中で買った玩具が気に入っちゃったんですよね」


ボイス・チェンジャーを滅茶苦茶気に入っている様子で、楽屋でも実演して下さったのだけれども、そのボイス・チェンジャーが割がしっかり声を変えるので何を喋っているか全くわからなかった笑

亀さんが僕達のライブ終了直後にすぐにトイレットペーパー片手に飛び出してきてくれた。感謝しかない。

流石ぐしゃ姉妹、と言うべきか「生クリームを髪の毛につけた場合、4回は洗わないといけない」とか「蛆虫をばらまいた時は比較的片付けは楽だった」とか色々と面白い話が出来た。片付けを手伝って下さって有難うございました。

ぐしゃ姉妹のライブを観てて思ったのだけど、やっぱり俺ってライブハウスのステージ上で色々な表現を通して発散される人間性とかそのドラマ性に興奮させられる人間である。

すみげ君、一介のベーシストに出演オファーをくれて本当に有難う!面白い一日を過ごせました。



要するに、毎日面白おかしくやってます。

けれども大阪での二日間のホテル暮らしからの新幹線乗車で名古屋モドリ、そのままライブ出演は久しぶりにガッツリ色々動いた感があるなあ。そういう日々があってからの自宅でこうやってブログを更新する時間って、本当にかけがえがないね。

野田ロックの思い出。

10月1日(土)

懸念されていた空模様も見事に快晴、これはまるで天が「野田ロックを楽しめ!」と言っているようでワクワクしながら自転車漕いで集合場所の茜谷さん宅へ。朝の7時前にベースを背負って自転車漕ぐっていうのもなかなかない事だし、これから起こる事を考えると自然と顔がニヤケてしまう。

茜谷さん、堀さんと機材を積み込んだハイエースで会場である愛知県森林公園へ向かう。


会場に到着し、ステージ付近まで車を乗り入れる。

「舟橋、そこの階段登ってみ。感動するで」

茜谷さんに言われて駆け上がると、目の前には芝生に円形ステージ。思わず「おわー」と口に出してしまう。走り抜けた際に木と木の間に張っていた大きな蜘蛛の巣に顔面が突っ込んでしまったけれども、まあご愛敬だ。

その後はいそいそと機材を下ろし、ステージ設営。少しずつ出演者達も会場にやって来ては、そのまま作業に合流。懐かしい顔と挨拶を交わすのも嬉しいし、少しずつ出来上がっていくステージを見るのもまた楽しい。

ナチュラルハイだったのかもしれないけれども、今日はもう120%楽しもうと決めていた。


出演者で集まっての昌吾さんから挨拶があった後、開演までの間にコンビニに行ってすぐさまビールを買ってしまう。設営で汗を流していたというのもあったけれども、この素敵な一日を最初から全力疾走するためにはこれくらいの燃料は補給しておいてもいいだろう。勿論演奏に支障がないように気をつけつつも、この日人から薦められた酒は一切断らなかった。

だって野外フェスなんだぜ。全力で楽しまなきゃ。人も音楽もお酒も何もかも、まとめて全部一息に楽しんでやると決めていたのだ。


続・我が逃走
演奏中のシャビーボーイズ


そして数時間後、そこには泥酔した僕がいた。会う人会う人に「舟橋が炎上している」とか「演奏出来ないんじゃないか」とか「滅茶苦茶疲れた顔してるけど大丈夫?」と言われ、どうやら人から見ても僕は相当酔っ払っていたらしくそれってつまり相当楽しそうにしていたって事でしょう。


演奏開始2時間くらい前だったかな。昌吾さんが「舟橋君、今日演奏中に芝生の上をグルッと走ってきてよ」と発言。


「いやいや、そんな、どれだけ広いと思ってるんですかー」

「出来るって。大丈夫大丈夫」

「まあ、出来なくはないでしょうけど。怒られませんかね」

「俺、主催者だよ?大丈夫!」

「…一応皆に確認してみますね」


そして、茜谷さんに吹原君に「こうこうこうでこういう話になっている。予定調和になるのでやる、と確約は出来ないが感極まったらやり得る。大丈夫だろうか」と確認。茜谷さんは「おう、やれやれーぃ」、吹原君は「オッケーオッケー。四つ打ちで繋いでおくねー」と二人とも快諾。さあ、条件は揃ってしまった。後は俺次第だぞ。


そして演奏開始。ステージに上がって演奏を始め、ふっと前を見るとそこには沢山の人が。その後ろには芝生が続いており、遠くの方で寝そべってこちらを見ている人、その場で踊っている人、ニコニコ腕を振り上げている人等、本当に沢山のお客さんが見えた。僕のバンドマン人生で、あれだけ多くの人の前で演奏する機会って今までにあっただろうか?だってあれ、500人近く人いたんじゃないだろうか。今までもあったかもしれない、これからもあるかもしれない、けれども今日は今日しかない。もう一気に気持ちが昂ったし、感動した。

最高の一日じゃないか。

そして、チャンスがやって来た。


興奮と暑さで体力は相当消耗している。普通に演奏するのだって一生懸命だ。燃費が悪いのだから仕方がない。しかし、興奮している。走れ!

ベースを置いて、円形ステージのヘリ付近ギリギリまで歩いて行き、人を掻きわける仕草をする。ステージ前の多くのお客さん、それだけで察して下さったようで僕の目の前をまるで花道のように開けて下さる。

クラウチング・スタートの構えをした瞬間、横で茜谷さんがマイクを通して言った。

「舟橋、行け!」

その言葉がスタートのピストルのようになって、僕は芝生を、斜面を全力で駆け上った。声を張ると気合いが入る。大声で喚き散らしながら全力で芝生の上、頂点に高い部分まで走り倒れ込んだ。

…もう駄目だ。心臓は早鐘のように打っており、どれだけ呼吸をしようと息は整えられない。足はガクガクしているし頭もズキズキ痛む。芝生に倒れていると、地面と自分の体が同化したようだ。もう、走れない。


続・我が逃走
舟橋、再起動の瞬間。

その時、ステージに積み上げられたスピーカーから再び茜谷さんの声が聞こえてきた。

「誰かベース弾けませんか!笑」

これが、スイッチとなった。俺、そういえばサポートベーシストじゃん!駄目じゃん!俺が弾かずして誰が弾くのか。立ち上がり、下り斜面を利用して勢いづけて走り出す。

「あかねやあああああああああああ!!!!!!俺弾くよおおおおおおおおおおおおお!!!!??」

先輩を、しかもこんな楽しい日にサポートベーシストとして自分を起用して下さった先輩を呼び捨てにして本当にすいません。二度としません。そして、有難うございます。

ステージに駆け上がりながら視界の隅に映ったのは、お客さんの笑顔だった。最高じゃん。

演奏を終えて、頭の中を真っ白にしながらステージ後方に引っ込む。ここにきて睡眠不足(普段寝る時間に起きたので、やはり眠気はあった)と飲酒が僕の体を苦しめているのだ。そして、iGOはアンコールを頂いた。


ステージで楽器をチューニングしながら、恐らく僕は絶望的な表情をしていたに違いない。或いは酷く憔悴した表情をしていたのかもしれない。少なくとも、ステージ上、下手側、僕のすぐ隣のスピーカー裏で僕に頼まれて控えていてくれたブレザー君にはそう映ったのだろう。

「まだ、いける!!」

彼の言葉が聞こえてき、確かにそうだ、と思った。まだ演奏出来る。


アンコールも終わり、片付けも終わり(ごめんなさい、この間は結構へばってました)、会場を後にする時が来た。皆で楽器を持って駐車場の方へ向けてゾロゾロ歩く。soulkids 深谷陽一郎君とも久しぶりにゆっくり話せた。今度はもっとゆっくり、お互い決して強くはないけれどお酒を飲みながら話をしようね。


打ち上げは昌吾さんのご実家、大きな駐車場で。シャビーボーイズ 杉本君の車に便乗させて貰って現地に到着した僕を待っていたのは、前夜から昌吾さんとお母様が仕込まれていた大量の肉にご飯、キムチ、そして160本の缶ビール!そう、実は僕の方が彼らを待っていたのだ。お腹も空いたし、疲れも吹き飛んだ。宴だ。

肉を胃袋に叩き込みながら、色々な人と話をした。なかなか話す機会のないcinema staffmudy on the昨晩とも話が出来たし、ブレザー君とも演奏についての話をした。真面目な話から馬鹿話まで色々したなあ。

ふと見るとそんな光景を楽しそうに眺めている昌吾さんが目に入った。先輩、一日お疲れ様でした。本当に、心底エンターティナーですね。


帰りは茜谷さんと共にシャビーボーイズ 一郎君に送って貰う。この日は本当に色々な人に助けられた。翌日岐阜51でmudy~レコ初初日に出演する二人(この日のサポートベースは一郎君。きっと良い演奏をしただろうし、風の噂でもそうだった様子)に健闘を祈る旨を伝え、一時帰宅。

そう、この後は翌日に控えたMAD CITYに備えて明け方までパイプカツトマミヰズ練習。実に24時間近く起きている事になるわけだけれども、こんなもの屁でもない。それよりも翌日MAD CITYで不十分な演奏をする事の方が余程、辛い。

MAD CITYで、僕を待っているのは名古屋一の武闘派軽音サークル(と思っている)、名城大学世界民族音楽研究会…!

そして戦場は、新栄へ…。

9月30日の日記

毎回毎回、すまない。今回もそうなんだ。

はい、ライブラッシュ後恒例の徐々に空白を埋めてく日記、であります。



9月30日(金)

この日は仕事後、素直に帰宅。

作業していると茜谷さんより入電。野田ロックの機材積込に同行させて頂く事に。俺は知っている。こういうイベント毎は、準備から関わった方が楽しいし感情移入出来る。燃え尽きるかと思われたコダマが良い例じゃないか。遠足も準備が楽しかったりするし、文化祭って本番当日以外も「文化祭」でしょ。当日までの準備含めて楽しかったあの頃が忘れられず、こういう準備事は予定が合う限り参加した主義。

というわけでハイエースで一路、一宮まで茜谷さん、堀さん、僕の3人でドライブ。


「あー、この道沿いに二郎系のラーメン屋、あったなあ」

「…!…ありましたねえ(何食わぬ感じで)」

「…食いたいんか」

「…ぶっちゃけ、はい」


続・我が逃走


丁度機材を貸して下さる方の体が空くまで時間がある、との事で「天高く翔べ!」に入店。

所謂二郎インスパイアなのだけれども、いやはや、旨かった。今まで二郎含めてそんなにああいうラーメンを食べたわけではないからいまいち信憑性に欠ける、とは思うけれども、過去に食べた中では一番豚が旨かった。茜谷さんはつけ麺を食べられていたのだけれどもつけ麺好き茜谷さんが「…これは上位にランクインやな」と仰っていた。実際つけ汁を飲ませて頂いたのだけれども、良いつけ汁。次回はつけ麺に挑戦しよう。

で、膨れて苦しくなったお腹を抱えて目的地へ。

スピーカーやパワーアンプ、PA機材一式を積み込んで名古屋へモドリ。


この日、余裕があったら杏花村へ行こうと思っていた。この日を最後に数多くの打ち上げでお世話になった中華料理屋 杏花村の李さん夫妻が一時国に帰られるという事で多くの仲間が集っているはずだったからだ。

前夜にフラリと訪れた際に結局自分のお金で飲み食い出来ていなかったし、紹興酒について李さんに色々訊こうと思っていた。行きたい気持ちはある。けれども同じくらい、お世話になった李さん夫妻との一区切りの付け方にモヤモヤするものも残っていた。何だか「自分の中でうまく感情を消化出来るのか」とか「李さんに何て言うのが一番思いが伝わるのか」とか色々考えてしまって、逆に気持ちの純度が下がった気がしていた。

モヤモヤしていたし、名古屋へ帰り着いた時間は日付が替わる時分。まだ空いている。行けなくは、ない。


結局僕は杏花村へ行かなかった。「さようなら!」ではなく前夜に李さんと何気なく交わした「それじゃあまた来ますね!」で締め括るのが、とりあえずの節目として言葉としてもそこに込められた感情の質量としても適切な気がしたからだ。李さん夫妻、しばらくしたらまた日本に来てまた新栄近辺でお店を探すそうなのでその時の再会を楽しみにしていようと思う。

李さん、そして奥さん、今まで何度も遅くまで騒がせてくれて本当に有難うございました。吉田君が全裸になった時も厨房の奥から眼を細めて笑ってくれる李さんの寛大さには驚かされましたし、眼が合うとニヤリと笑ってエアーガンを差し出してくれたのも最高に愉快でした。何よりあの空間が僕は大好きだし、多くのバンドマンやお客さんがそうでしょう。無責任に言っていいかわからないけどさ、早く戻ってきて下さい!


続・我が逃走
李さんと。
李さん、男性より女性と一緒に写真写る時の方が嬉しそう、と専らの評判。

愛しき我が宿敵よ


続・我が逃走


バンドマンには、「ゴジラVSメカゴジラ」(平成版)のキャッチコピーではないが「お前だけには絶対負けない!」とライバル視する存在が必ず一人はいるものである。それは同時期にバンドを始めた友人かもしれないし、日夜活動を重ねていく中、ライブハウスで出会った共演者かもしれない。或いは「一番の敵は自分自身」という実にストイックな思想をお持ちの向きもおられるかもしれない。

何にせよ、バンドマンが己が存在意義を賭けて強烈に意識せざるを得ない存在というものが、存在する。


僕の場合、それは遠く離れた東で生活する、同じ名の一人のベーシストであった。彼と出会って数年になろうか、それでいて闘争本能をくすぐられる存在だ。僕はありとあらゆる手を使って彼に闘いを挑んできた。対バン(余談だが、対バンって「対決!バンド合戦!」の略だと思う)は勿論、対談、そしてベーシストとしては課外活動的な要素は否めないが、犬丸ラーメンでも闘いを挑んだ。それでも闘争本能は消えぬ。恐らく僕は今後も彼を強烈に意識するだろう。「こんな時、あいつならどうする」「あいつはこんなのではめげやしない」「ここで終わってはあいつに勝てない」「俺を組み倒し得るのはあいつだけだ」。そうして、僕は自分を奮い立たせてきた。そんな時もあった。


そんな彼に、僕の記念碑的な活動に参加して貰った。詳細はまた改めて。

その際、嗚呼我が愛しき宿敵よ、君はまた僕の頬を張ったね。自分が、邁進していると思い込んでいた自分が少なからず日和っていたと思い知らされる程衝撃的な事は、ない。しかしそれが一番の起爆剤となるのだ。


宿敵よ、感謝する。君のお陰で僕はまだまだ闘い続けられそうだ。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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