i GOワンマンでベースを弾いてきた。

i GO『LOVE&BEER』ツアーファイナル、ワンマンライブでベースを弾いてきた。

なんか嫌だな、この表現。えらく淡泊じゃあないか。サポートメンバー然としちゃってさ!


レコーディングから参加して、ツアーは参加出来ない日も半分くらいあったけれども可能な限り一緒に演奏しに行って多くの人に会って多くのバンドと共演して多くの酒を飲んで飯を食って。この3ヶ月強、i GOとして演奏をする機会を幸いにも何回も得る事が出来、ぶっちゃけて言えばこのワンマンライブ、僕も感慨深いものがあった。

茜谷さん、昌吾さん、吹原君の当の本人達はその比じゃないだろう。本当にお疲れ様でした。


別にアルバムレコ発ツアーが終わったからといって、サポートとしての活動が終わりになるってわけではないだろうけれど、それでもやっぱり一区切りは一区切りで。去年の10月半ばに茜谷さんから連絡を頂いて「年末頃からベースを弾いて欲しい」と声をかけて頂いた時にはまさか一年の間に自分が29曲の曲を演奏出来るようになっているだなんて想像もしませんでした。

26日のワンマンライブ、全29曲、2時間20分。


こうやって数字にすると自分でも面食らうけれども、演奏する側としては意外とあっという間に終わったって感じがだ。勿論演奏直後の「やりきった感」は僕とてもあったし、アンコールも演奏し終えて明日、照らすの『アンダーザーロングファン』が流れてくるのを楽屋で耳にしながら4人で乾杯したビールは滅茶苦茶旨かった。ありゃあきっと、僕が同行したツアー半分分の経験もあったからなのだろう。


いや、それにしても楽しかった。29曲、と最初にセットリストを目にした時は不安で一杯だったけれども(何かと立て込んでいる時期ではあったし、今回のワンマンに向けて新しく習得する曲も全く手つかずだったからだ。さもありなん)、前日には茜谷さんとしなの屋で前哨戦と称して乾杯、その後チームしなの屋の皆さんと茜谷さんちで飲むくらいの気持ちの余裕はあった。通し稽古も良い感じだったし、場所はHUCK FINNだし、何よりそろそろ僕は自分の経験って奴を信用していいんじゃないかと思っていたから。

いざとなれば僕って奴はどうにかする奴だ、というのは僕自身が一番よくわかっている。


しかしレコーディング中からツアー中の事、そして何なら遡ってサポートをし始めた時の事まで色々と思い出すなあ。i GOのサポートをするようになってから確実に交友関係は広がったしそれまで見なかった世界を見る事が出来たし、それらの経験は所属する各バンドにもフィードバック出来てると思う。今後も頑張ろう。


続・我が逃走


さて、ライブの印象深かった事を記録代わりに。

・吹原君、足がつる。しかも両足。

里帰り ゆりちゃんとの演奏、楽しかった。目の前にゆりちゃんがいるとベースで殴ってしまわないか、それはそれは気をつけた。

・昌吾さんの作曲曲はNOT REBOUND クロさんがドラム、吹原君はギターでの演奏。これも楽しかったし、ノリノリの昌吾さんが一番キレッキレだった。クロさんのドラム、一緒に演奏していて何のストレスもない。流石!

・コードを間違える瞬間って、焦るよね。

・ベース本体のトーンコントロールでアタック感を曲によって調整していたけれども、新しく足元にEQを置いて調節。これがなかなか良い具合。

・「舟橋タイム」を頂いたので、犬橋さん(犬丸ラーメン)のコスプレで演奏。


続・我が逃走
後ろに小松君が映ってる。
本当に有難う、小松君。
君のお陰で快適に演奏出来たばかりか、凄く心強かったよ。


吹原君がドラムの四つ打ちで繋いでくれる中、楽器を置いてステージ脇の楽屋へ。すかさず待ち構えていてくれた小松君(オーバーテイク )に手伝って貰い、歌舞伎の早着替え宜しく急いで衣装チェンジ。ステージ上から茜谷さん達が煽って下さり、まさかの「舟橋コール」。こんな扱いして頂けるサポートメンバー、そうそういませんて。

・犬橋さんの足に巻いたビニール袋、あれステージ上では滑る。とても危険。

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JONNYで久々にレコーディングをしてきた話。

24、25日の二日間でJONNYでレコーディングを行ってきた。

前作『POP STAR』のレコーディング/ミックスエンジニアをして下さった松井師匠(G-FIGHTERのベーシストとしても有名。僕の知る限り名古屋で一番前衛的なベース奏者だ)の更に師匠 Hata RyojiさんがN.Yから来日されるとの事で、Hataさんと松井さんの二人がかりでレコーディングを受け持って下さる事に。

このHataさんという方が凄い方で、デイヴ・ナヴァロやデビッド・ボウイの作品でエンジニアもされてるそうだ…!


続・我が逃走
今回のレコーディングで使った機材。
特にエフェクティブな曲ではないのでシンプルにサンズアンプを通してラインのみ。
一か所だけ、ノイズみたいなのを入れるためにODB-3を使った。


ぶっちゃけ、「気難しい方だったらどうしよう…」と若干不安に思っていたものの(初対面のエンジニアさん相手だと緊張するものだ。いかんな、経験不足)、いざお会いしたHataさんは相手の目を真っすぐに見て話されるとてもナイス・ガイ。素晴らしいエンジニアはレコーディング現場の空気さえも気を遣って下さるのだなあと痛感。冗談もばしばし言うし、メンバーの気質を読み取って適切な言語を用いてわかりやすく作業を進めて下さる。

例えば佐藤さんには「ロックンロールをやってる姉ちゃんだったらこういう音をガシッと出した方が気持ち良いだろう!お前はやれば出来るんだから、リラックスリラックス!!」、僕には「ベースの音も決めてきて練習してきたのがわかるよ偉い偉い」、篠田君には「今の演奏、アティチュード的にもグルーヴ的にもなんにも問題はない。けれどもお前がやりてえって言うなら俺はそれを尊重したいと思う。どうよ?」とか。気がつけば凄くJONNYに馴染んだ、っていうのか、違和感なく我々お話させて頂いて、何のストレスもなく作業出来た。

テンション高めで「よっしゃ、次ィ!ギター!!」とか、現場をレコーディング現場を盛り上げて下さったし、その合間合間に今後バンドを続けていく上で、音楽をクリエイトしていく上でためになる話も色々教えて下さった。

松井さんも付き合いが長いが故にJONNYの事を理解して下さっていて(性格面までも)、バンドとHataさんの間に入ってコミュニケーションを円滑に進めて下さったり、エンジニアとして尽力して下さってるのが本当にもう嬉しくて。


今回のサポートドラムはせんちょー。新曲2曲を録音した。都合でミックスには行けてないんだけど、大丈夫。Hataさんと松井さんなら絶対ばっちり良い作品に仕上げて下さるはず。早く皆さんに聴いて頂きたい。

Hataさん、しばらく日本に滞在されてまたN.Yに戻られるそうなのだけれども、必ずまたお会いしたい方だ。


続・我が逃走
記念写真。
後方左から松井さん、Hataさん。
その前段が手伝いに来てくれた住谷君(Music Farm)、せんちょー。
前が見学に来てくれた吹原君に、僕。
佐藤さんと篠田君は作業中につき、いません。

「ああ、これは良い。良い闘争だった」その2

さて、ワンマン当日の話を時系列で書いていく。


前夜、東京でのライブを終え名古屋へ戻る。行きとは違い、高速道路に乗ってしばらくは起きていた。煙草を吸うために少しだけ開けた窓から風がバモスの中に流れ込み、物凄い音を立てている。車内は運転している佐藤さんと僕以外、皆寝静まっており風の音以外は静かなもんだ。ポツリ、ポツリと話をした。いよいよ間近に迫ったワンマンライブに向けて、気分が高揚していたのだろう。佐藤さん抜きでは『VS 27』は完成しなかった。絶対に。

睡眠時間を削りながら、過酷な作業を完逐してくれた。有難う佐藤さん。

スマートフォンでtwitterをチェックすると、チケット予約や「明日頑張れ!」「明日楽しみにしてる!」というリプライが集まってきていた。嬉しくて嬉しくて胸が熱くなり、車内で一人で目頭を熱くし、SAで大笑いした。

闘争が、始まろうとしている。

車内で寝ておかないと睡眠時間はない。名古屋に着いたら眠ってもいられないというのに、疲れている割に興奮してなかなか眠れない。無理やり体を縮めて、眼を閉じた。


明け方、名古屋到着。

「また後で」とメンバーに別れを告げ家へ帰る。両親は既に起床していた。朝の挨拶を告げると「今日じゃなかった?君の大舞台か何か」と声をかけられる。父と母からすれば何て事はない会話だろう、だけれども僕はここでも身が引き締まる思いだった。この二人に心配をかけながらも続けてきたバンド活動。二人が僕にエレクトリック・ベースギターを買い与えた日を悔いる事がないように、今日はきっちり結果を出さなければならない。


そうこうしている内に、エフェクター製作家の山本君がやって来た。

前夜、東京を出ようとしている頃に「渡したいものがあるので名古屋に着いたら連絡を下さい」と連絡をくれたのだ。彼が以前「ワンマンまでに何か作ってお渡ししたい」と言ってくれたのを憶えていたので、すぐにピンと来た。出来上がったのだ。時間は朝7時過ぎ。早朝、と言って良い。そんな時間まで、恐らく彼は寝ずに待っていてくれたのだろう。もうな、山本君、君のそういう気持ちだけで僕は十分に興奮してライブをやれるんだよ。

彼が持ってきてくれたのは、こんな逸品。


続・我が逃走


成程、「スキッツォイドであってくれ」とそういうわけか。粋だねえ。

ファズとリング・モジュレーターの複合機で、これがまた面白い音がする。アウトプットレベルが小さめなので調整する必要はあれども、良いセッティングを捕まえればこれが踏んづけたくなるような音!

そのまま山本君と今日のボードのレイアウトであーでもないこーでもないと話し合い。山本君も『VS 27』の製本でお世話になった。今回のワンマンで彼の僕に対する誠意っていうのは申し訳ないくらいに伝わってきたので、今度は彼が困ったら僕が恩を返す番だと思っている。


ベース2本、ここ最近では持ち運んでさえいなかった大量のエフェクターを迎えに来てくれた山田君の車に積み込んで、いざ出発。とは言ってもまずは練習へ。不完全密室殺人で2時間、パイプカツトマミヰズで1時間、練習を行う。

不完全密室殺人で音を出すのは久しぶりの事だった。当初はお互い様子を見合うような、そんなどこかぎくしゃくした空気が流れていたし、実際それで演奏も良くなかったと思う。久しぶりに音を一緒に出す事が嬉しくもあり、同時に若干「どうなるのこれ」みたいな複雑な気分になる。不愉快ではない、どうせ本番は皆盛大にブチあげるのだから。けれども休憩を挟んで近況報告等しあってからは全く問題なく進行。あとは楽しんでライブをやるだけだなって段階まで詰める事が出来た。やっぱり僕達4人は人間関係ありきの上でバンド活動を楽しんでいるんだなというのを再確認した。それが特別な事であるとは思わないけど、このバンドでは特にそれを痛烈に意識してしまう。


で、会場入り。然る後にリハーサル開始。

最初は不完全さんがリハーサルという事で準備をするも、神田君が仕事の関係で欠席。急遽伊藤誠人君に早めに会場入りして貰ってドラムを頼む事に。山田君が持ち込んだギターアンプ・システム(そういう表現をするしかない。彼が持ち込んだアンプ・システムはオーディオ用のスピーカー2基をラック型のプリ+パワーアンプを使って鳴らす、というかなり独特なものだった)がなかなか上手く機能せず、やっぱり不穏な空気に笑

タイムスケジュールで予定されている不完全さんのリハーサル時間は残り僅か、アンプからはピーピーと物凄いハウリングノイズが鳴り響くし、「ああ、どうなるのこれ」と思ったものだ。で、各務君と僕の説得で渋々常設のギターアンプを使う事を了承した山田君。しかし彼が心底諦めていなかった、とわかるのは本番を終えてからの事だ。どうやら彼、泥酔した勢いで本番ではギターアンプではなく持ち込みのギターアンプ・システムを使った模様。そりゃあピーピーいうしほとんど音も出てないはずだよ!畜生山田の野郎!!笑


不完全さん以外は滞りなくリハーサル終了。立て続けにリハーサルを行って、もう既にテンション高めだ。顔合わせを終えて、それからは開場に向けて物販の用意をしたり準備をしたりして過ごす。そうしているとどんどん緊張してくる。この段階で既に持ち込んだレッドブル4本のうち2本を消費している。体力は持つのかライブはどうなのかうまくやれるのかへましないか音はちゃんと出続けてくれるのかetc. 不安な事を挙げだすときりがない。気分転換にコンビニに行くも、お客さんと思しき方とすれ違うとまた緊張。

CLUB ROCK'N'ROLL スタッフのゆりなちゃんが、素敵な看板を描いてくれた。


続・我が逃走

この看板からもそうだし、本多さんの「予約入ったお客さんが全員来てくれるといいな笑」というちょっとこちらをヒヤリとさせるコメントからも、井藤さんの「今日は音量的にベースの邪魔をしなければ何をしてもOK」という言葉からも、ただただ愛情を感じる。このライブハウスに初めて出てから7年近く経ったのか。今となっては色々なライブハウスに愛情を感じるけれども、全ての出発地点はここから始まった。僕がバンドマンとして今活動しているのもここにお世話になったからだという強烈な自覚、ここで育ったからだという意識は、ある。

公私共にお世話になっているライブハウスで、人生初のワンマンライブを行えて本当に嬉しかった。


開演挨拶で出て行くと、沢山の人の顔、顔、顔。

正直、感動するよね。僕みたいな無名のバンドマンのワンマンライブ、そりゃあ確かに一生懸命宣伝活動もしたし、面白いイベントにするために一本筋を通してきたつもりだけれども、ぶっちゃけてしまえば当日一週間前までは集客状況も芳しくなかったし同人誌の製作も「間に合うのかこれ」みたいな状況になっていた。けれども多くの人の求心力、そして身近な人間の甚大な協力を受けて開演する事が出来た。

あとは心置きなくやるばかり。

闘争だ、闘争を始めよう!今夜は僕の万感成就の達成の夜だ!


secret O.Aとしてi GOに出て頂いた。

ワンマンライブ(今月26日、もうすぐです。来てね!)直前でバンドとしても忙しい時期だったけれども、僕がオファーメールを送ったら3人ともすぐに「のった!」と返信を下さった。あの瞬間って忘れられない。3人とも無碍に断る人ではないというのは十二分にわかっていたけれども、「考えさせてくれ」とか「ちょっと相談させて」とか言う事は簡単だったはずだ。間髪入れずに来たあの返信、嬉しかったなあ。

このイベントを行う際にi GOにはどうしても出て欲しくて仕方がなかった。i GOというバンドにサポートベーシストとして関わるようになって僅か一年。けれどもその一年が僕にとってはかけがえのないもので、実に多くの刺激を貰ったし胸が熱くなるような思いをさせて貰った。i GOというバンドに対して迂闊な事は言うべきではないし、ひょっとしたらこれはサポートメンバーとして不適切な発言なのかもしれないけれども、演奏する際は自分自身をバンドのメンバーだと思って演奏している。背後に吹原君がいて、茜谷さんの背中と昌吾さんの横顔を見ながら演奏してきた。あの日は我侭を言わせて貰ってセンターで演奏させて貰ったけれども、やっぱり僕はいつもの立ち位置が落ち着くと思った。僕があのバンドに於いて威力を発揮するのは尊敬出来る先輩達とその背中があるから、だからだ。

茜谷さんのMCは(昌吾さんのMCも勿論いつも以上にキレがあって最高に笑ってしまったけれども)、何て言うのか、言葉に困ったし笑顔が引っ込んだ瞬間である。あんな熱い事を言われたら、そりゃあ君、サポートメンバー冥利に尽きるってものだよ。あれ以上の褒め言葉、肯定の言葉はないだろう。一年間の様々な光景が去来して、この日にi GOに出て貰いたかった僕の情熱は寸分違わず3人に伝わっていると確信した。


パイプカツトマミヰズは、この日、変な感情移入抜きで良い演奏をしたと思う。

吉田君も駒田君も伊藤君も各務君も、全然僕を立てようとかそういう意識がない。それが実に嬉しく、「ああ、こいつらとバンドをやっていて良かったな」と思った。吉田君なんて普段以上にキレッキレで、本当に容赦なくフロントマンだったと思う。

ああいうバンドだから表には出てこないけれども、彼らの誠意は演奏開始前から僕を熱くさせていた。ワンマン数日前に同人誌の製作作業をしている最中に吉田君から電話がかかってきた。

ワンマンの練習は前の前の週に終わらせていたけれども、「可能ならば当日、何ならセットリストを一回通すだけでもいい、練習出来ないか」とそういうのだ。「舟橋ワンマンは過去最高のライブをしたいし、すべきだし、でかい花火を打ち上げたいのだ」と。そんなメンバーのライブに対する熱意に応えずして何がバンドマンか。睡眠時間を削るくらい容易い。少なくともそういう所を無下にするためにバンドを幾つもやっているのではない事は確かだ。
練習の段階で手応えを感じたし、それはヒズム君の遊び心(このバンドに於いて一番重要なのはメンバーの遊び心にフレキシブルに対応、楽しむ事だと思っている)にも然り、である。あの扮装、何故か本人が一番気に入ったようで次はどんなので攻めてくるのか、或いは普通の格好に戻るのか、それも楽しみである。
「このバンド、格好良いでしょう」というライブ中の僕の発言は本当に素で出てしまった、自慢だと思って貰って良い。あの日、初見の方が一番多かったであろうパイプカツトマミヰズ。
我々は今後も全力でふざけていく。

JONNYは趣向を凝らしてライブを構築してみた。
これはこのワンマンが決定したのとほぼ同時期に思いついた事で、このタイミングでかつてのメンバー野々垣貴彦を含めた過去のサポートドラマー達(ご存知の方も少なくないと思うけれども、あの日登場したドラマー以外にも我々は実に優れた、素敵なドラマー達と演奏してきた。断腸の思いで絞りに絞ってあの人数だった、とご理解頂きたい)を召集して演奏する事は、あの日のJONNYにとって大きな意味があったと少なくとも僕自身は思っている。少なくともこのタイミングで色々あってバンドを去った野々垣君に再びスティックを握って貰い、JONNYの曲を叩いて貰うという事は僕以外には出来なかったはずなのだ。
吹原君とのリズム・セクションについては言わずもがな、この日は2度目のタッグとなった。バンドを変え、お互いの意識が変わろうと(『VS 27』でも触れているけれども、i GOでは吹原君主導、JONNYでは僕主導という明確な意思の元に僕達は演奏している。僕側の演奏が原因でそれが顕在化しているかはいささか自信がないけれども笑)相変わらず快適なドラム・プレイ!
植田圭介ことギバ君は、僕の人生で初めてのリズムの師匠。彼への感謝は消える事はないだろうし、友人としても彼のシニカルで大胆なファニーさ、バンドマンとしての凶暴性とストイックさは大好きだ。吹原君と話をしていて「ギバちゃんにはガッシャーンってやって貰わないといけないでしょう!」との事でああいう選曲になったのだけど、ギバ君、いささか演奏に不満があった様子。いつか機会があったらまた一緒に演奏したいね。
せんちょーは最近のJONNYを支えて下さるサポートドラマー。佐藤さんと篠田君は昔からの知り合いだけれども、僕はせんちょーと面識があったけれども深く突っ込んだ話はした事がなかったので一緒に演奏する機会を得、親しくなっていった。今のJONNY、そして今後のJONNYを支えて下さるサポートドラマーとして僕は全幅の信頼を置いている。精神論を共有した僕達はまだまだこれから堅実なリズム体になるんじゃないか、と僕は自信を持っている。
そして、野々垣君。今回のJONNYのライブ構成を考えた際、彼というドラマーを無視する事は僕にはとても出来なかった。彼とJONNYというバンドは僕が加入した時から独特の緊張感をはらんだ関係ではあったし、彼の脱退についても皆が満面の笑みで、というわけにはいかなかったのは事実だ。その所謂「後腐れ」は僕もずっと気になっていたし、野々垣君も佐藤さんも篠田君も、恐らくそれぞれの形で消化不良に陥っていたのではないか、と思っている。僕がJONNYで一番長く演奏したのが彼だし、僕はずっと彼の友人だったつもりだし、彼のバンドに対する心中も何となくでも察しようとしていたつもりだった。彼を無視して今回の事を進めては、恐らくバンドマンとして一生後悔する。半ば強引に今回の一件は進めたけれども、リハーサル後に若干の照れ臭さを醸し出しながら話をしている篠田君と野々垣君を見て内心、「大成功」と思っていた。野々垣君も今回の演奏で感情を消化出来たようで、これってつまり今回のJONNYのライブ構成の裏テーマの7割は達成したという事になる。
お客さんもあのライブ構成を楽しんで頂けたようで本当に良かった。

不完全密室殺人での演奏は、これはもうはっきり断言してしまうけれども他のバンドとは一種違った感情を伴うものである。ライブがなかなか出来ない、とかそういう事ではなく、これはもうひとえに4人の男が何か一緒にやろうとしてそれがたまたまバンドだった、と気付いた夜から変わらぬ純然たる「喜び」だ。
僕達は本当に気分屋で、何なら今回のワンマンライブでも最後の最後までバンドとして納得するライブが出来るのか、と準備段階でやきもきしたのは不完全密室殺人だった。けれども活動が落ち着いた最近となっても未だにライブのオファーを頂いたり、身近な友人、そして遠方のお客さんからライブを熱望する声を聞く度に僕はどうにかしてそれに応える事が出来ないか、と考えていた。しかしてそんな気分屋達も今回のワンマンを挙行するに辺り、演奏する事を快諾してくれた。まずはメンバー各位、それぞれ忙しい状況が続く中、出張ってくれて本当に有難う。
あの日の不完全密室殺人の演奏は、演奏の精度だけで言ったらとてもじゃないけれども人に誇れるものではなかったと思う。けれども、主観としてあの4人でステージに立つ事自体に意味があったし、あの30分と少しの時間がなければあの日のワンマンは完成しなかったというのも事実。泥酔状態でステージに上がった山田君も、その根っこには楽しくてたまらないという感情があったが故にああなったわけだし、彼は演奏の最後の最後までバンドを愛する事を辞めなかった事は観て下さった皆さんが一番よくご理解して下さる事と思う。そんな甘ったれたセンチメンタリズムがステージ上で万人に等しく価値があるとは思っていない。そんなおこがましい事が思えるわけがない。泥酔状態の山田君に、ギターを壁に叩きつける各務君。その時僕と神田君は、リズム体に徹していた。ざっくばらんに書いてしまうならば、最近一番コミュニケーションがとれていなかったのは神田君だし、一番心中が察せれなかったのも神田君である。バンドへのモチベーションも、ただでさえ心情がわかりづらい彼の事、日常的に会えなくなった最近では一番わからなかった。けれどもあの瞬間、僕と神田君は完全に意思の疎通がとれていた。すまない神田君。僕は君と過ごした長年を忘れていた。あの瞬間の僕と神田君は、完全に日常的に一緒に演奏していた頃の意志の疎通の円滑さを取り戻していたし、それっていうのはちょっとやそっとのコミュニケーション不全では揺るがないものだ確信出来た。
このバンドの先というのは実に明言し難いものがある。山田君は福井県在住だし、神田君は一家の大黒柱だし、各務君は真摯に芸術に向き合う芸術家気質だ。けれども、僕はこのバンドはまだまだ解散するには忍びないし、彼らの生活、気質を理解した上でまた一緒に演奏する日を楽しみにしている。
あんなに多くの人間が熱狂してくれて、そして愛してくれているバンドだ。それを成し遂げたバンドだ。僕の根っこにはあのバンドの存在が常に、ある。

今回のワンマンライブに於いて、アンコールは全員でやりたいと思っていたしやるべきだと思っていた。全員が演奏せずとも、全員を乗せたステージで幕を閉じるべきだと思っていたし、それに応えてくれた出演者全員には感謝しかない。貴方方と演奏出来て僕は本当に幸せだ。これからもどうぞ宜しく。

今回の企画、大成功だったと思っている。
今回はベース・ギターリストとして今までの自分に決着をつけにいったわけで、それだけは忘れまいと思っていた。演奏を放棄してお客さんの渦の中に身を投じたり、それこそ感情の赴くままに暴れまわる事は簡単ではあったけれども、それをすると今回の企画の自分的意義というか、芯がブレるというのは確信していたし、後悔するのも明らかであった。僕は全バンド、全力で演奏しきらなければならなかった。それは達成出来たのではないかと思うし、その真意がお客さんにも僕の知る限りは伝わっていたようなので本当に嬉しい。
変な物言いになるかもしれないが、自分のバンド活動に終止符を打つならあの夜だったな、と思う。あの夜にバンドマンとしての自分に終止符をつけていれば、それは最高の幕引きになっただろうし、悔いを残す事なくベースを置く事が出来ただろう。けれども僕は「辞め逃した」。ならばこれはもう一生続ける他あるまい、と思っている。
あの夜演奏した曲は一曲も作曲していないし、僕は本当に愚直にベースを弾き続けてきただけだ。
それであれだけ多くの方があの場に集まって下さり、そして何か思う所があったなれば、それっていうのは僕が兼ねてから自分自身の活動の根幹として捉えている「凡庸な自分が持て余す自己顕示欲の表出の仕方」の一つの結果であると僕は捉えている。
音楽の才能に選ばれなくても、鍵盤のどこかドでどこがレかわからなくても、作曲出来なくても歌が巧くなくてもバンド活動は出来るし、人の心に刺激を与える事は出来る。いよいよ僕は確信を持ってしまった。では今後はこれがどこまで通用するのか、それを試してみたいと思っている。
あの夜というのは、一つの結果であり、それっていうのは今後の僕の指標として、誇りとして一生涯僕の中に残り続けるだろう。

だってあんなに多くの人が楽しそうにしてくれたのだから!
関係者各位、関わってくれた皆様に27年で一番の謝意を。本当に有難うございました。

続・我が逃走

京都、買います。

ワンマンライブの日記 もまだ書き終えていないけれど、昨日京都で過ごした一日はとても楽しかったので記憶が風化する前に記録しておく事にする。


前回i GOで京都Voxhallに行った際 に有堀店長が凄い勢いでオファー頂いたイベント、それがVoxhallでのお祭り騒ぎ『ボクフェス』の9日目である昨日。茜谷さん達も凄い勢いで、その場で「舟橋、11月20日は空けといてくれやー」ってなったわけなんだけれども、いや、昨日は本当に楽しかった。連れてって頂いて有難うございます。


とりあえず前夜のパイプカツトマミヰズ会議(という名のドロドロに酔っぱらいながらのライブ反省会)のアルコール分が顔面をむくませる中、起床。茜谷さん宅で今月26日のi GOワンマンライブで新しく弾く事になる曲のおさらい等をして、いざ京都!

移動中は車内でほとんど意識がなかった(申し訳ないです)。で、現金なもんで京都が近付いてくると眼を覚ますのね、俺。

京都って街はそれこそ修学旅行と不完全密室殺人で遠征した のとVoxhallに行った(i GOで過去に一度、JONNYで行った 一度で合計2回)数回しかないのだけど、もう大好きな街だ。町並みからして凄く心惹かれるものがあるし、そこに漂う空気感も凄くしっくりくる。

観光客で溢れる理由もわかるし、外国人観光客が日本のイメージを京都にあてはめるのもそうしたくなるのがわかる程、ここには落ち着いた空気が漂っている。ワイワイしていてもどこかしとやかというか、そんな風情が漂うのは皆、知らず知らずのうちに京都の空気にあてられているからだろう。


続・我が逃走
VoxhallのベースアンプはYAMAHA先輩のもの。
これもまた好きだ。


リハーサルが終わり、その辺りを散策。昌吾さんは日本シリーズの最終戦(なのかな。野球詳しくないからわからないけれど)があるってんど若干ソワソワしている。あの人本当の意味でドラゴンズファン。いや、ドラキチと言ってもいいかもしれない。


「僕もバンド活動以外に打ち込めるものがあるともっと楽しいんでしょうけどねー。特にないもんなあ」

「そうなんだ?」

「あ…女の子!」

「然り」


僕、バーガーキングが好きで。以前新宿にバーガーキングがある時は「新宿で飯食うなら二郎かバーキン」ってなくらい好きだったんだけど残念ながら閉店。遠征って言っても基本的にライブハウスの近く以外ウロウロしないので、ああこりゃもうバーキン食べる事はないのかもなあくらいに諦めていたのだけれども、近頃Voxhallの近くにバーキン、堂々オープン!

そりゃ、食いますよね。ライブ前なのでワーパーチーズ.Jrを頂く。…旨い。感動するくらい旨い。肉の濃厚な旨味もさる事ながら、野菜のシャキシャキ感もたまらない。大満足。


この日の演奏はバーガーキングを食べたからか、はたまたリラックスムードで演奏出来たからか実に良いテンションでやれた。最近思っているのだが、バンドマンにとっての30分のライブって全てを顕在化させる場所なのかな、と。歌を歌うからでもなく、MCで喋るからでもなく、それ以外の直接的でない方法でも人に伝わるように生き様を顕在化させる事は出来るし、顕在化しないにしてもそれまでの人生は育った環境からそれこそその日に食べたご飯、メンバーとした会話さえ影響を及ぼすのではないか。それはもう自分が人間である限り排除する事は出来ないんじゃないかというくらいの勢いで、僕はこの考えを最近意識してしまっている。バイオリズムとかそういうもの、だろうか。

それはつまり、日々自分は様々な刺激を受けて強くなっていき得る、という事だ。年を重ねてと同時に経験値を重ねる、という話とは別の、もっと生活に密着した部分からも僕は自分の演奏に影響を受けていると思う。

それこそ、京都の町並みとか。その日に食べたワッパーとか。他愛のない会話とか、対バンさんの凄い演奏、ライブハウスのスタッフさんのバンドを観る優しく愛情に溢れた目、とか。なのでステージ脇で深呼吸して、柔軟運動をしっかり行い、そして今まで闘ってきたバンドマン達の顔を、一瞬思い浮かべた。

今日も芯の太い、強くて格好良いバンドが揃っている。日和るわけにはいかない。

この日の演奏、そんな風に自分のモチベーションをどんどんどんどん高めていったのが良かったのか、個人的には納得出来るものがあった。昌吾さんのMCを受けて、曲中でベースをバットに見立てて素振りをしたのだけど果たして何人に伝わっただろうか…。


それにしても、面白い日だった。“強い”バンドと会うとワクワクする。自分の演奏後に“強い”バンドの演奏を観ると「もっと演奏したい」と思う。演奏後に嗜んだメキシコーラも手伝って、物凄く良い気持ちになった。

前回のVoxhallぶりの再会、おのまん君(Voxhall勤務/太平洋不知火楽団スタッフ)とも楽しい時間を過ごせた。今まで同じ空間に存在した事はそれこそ何度も何度もあったのに、僕達はようやく最近言葉を交わすようになった。すれ違い、ではないけれどもコミュニケーションしてこなかった時間を巻き返そうと、僕達は結構な勢いで仲良くなれたんじゃないかと思う。おのまん君、必ずゆっくり飲もうね。


それにしても、だ。

Voxhallがあるし、その近くには鴨川が、バーガーキングが、リカーマウンテン(ジュース/アルコール飲料が滅茶苦茶安い酒屋さん)が、そして旨そうなラーメン屋がある。Voxhallにはテンション高めの愛情溢れたスタッフさんがいらっしゃるし、ステージ上にはYAMAHAのベースアンプも据え付けてある。


続・我が逃走
『ボクフェス』出演者のサインというか、寄せ書きが書いてある幕。
勿論i GOも書いてあるし、知っている名前も凄く多い。
数日後には、東の宿敵の名前も刻まれるのだろう。


おい京都よ、どれだけ俺の心を奪うつもりなんだ。

「ああ、これは良い、良い闘争だった」その1

人生初のワンマンライブについて、文章にしてしまう事に抵抗がないと言えば嘘になる。

どれだけ言葉を綴ろうとあの夜そのものを再現する事は出来ないし、あの複雑な感情が1mgの誤差もなく寸分違わずに伝わるかどうか。だが、記録しておかねば後悔するのもわかっている。


端的に言ってしまえば、27歳のベーシストとしての挑戦、恐らくは最初で最後の挑戦は大成功だった。

ご来場頂いたお客様は皆楽しそうだったし、終演後のフロアで見られた沢山の笑顔、「お疲れ!」と肩を叩いてくれた友人達の力強さ、笑顔で頭を下げて帰っていかれるお客様のあの目、そして出演者の皆の労うような笑顔(その反面、打ち上げでは物凄い一気を披露)、そして僕自身の達成感から、心の底からそう思える。これは誰が何と言おうが疑うつもりさえ、ない。

イベントとしても最後まで軸がブレる事なく貫徹出来たと思うし、20歳前後から続けてきたバンド活動、現在までのバンド活動の集大成をお見せ出来たと思うとこんなに嬉しい事はない。


今回は完全に「エレクトリック・ベースギターリスト」として勝負に出た。僕という人間はなかなか浮気性な上にやりたがりだから、ついついラーメンを作ったり朗読でライブを行ったりネット配信を行ったり、とバンドの中でベースを弾く事以外にも面白みを見出してしまう。それら全てを一括して「バンド活動」だと思っているのだけれども、今回は最も長く続いている、そして最も多くの人と関わってきた「ベースギター」を武器に勝負したいと最初から決めていた。

4部構成の後半戦にいくにつれポジティブな意味で何度もベースギターを投げ出して客席に飛び込んでしまいたい衝動に駆られたけれども、周りの物理的な状況、そして何より「今日は最後まで演奏しきる」という決心がそうはさせなかった。それで良かったと思うし、そこを放棄していたらどれだけ多くの人が「楽しかった」と言ってくれようが僕は心の底から頭を下げる事が出来なかっただろう。

自己実現、ではないけれども、自分自身の節目として今回のワンマンライブを挙行した側面も少なからずあるので、そういうエゴの部分も達成出来て本当に良かったと思っている。


27歳にして、鍵盤のどこを押すと「ド」の音がなるのかわからないし、未だに好き勝手にベースを弾くと不協和音をガンガン鳴らす。そして曲は作れないし、おまけに歌も具合が良くない。

それでも僕は絶対に、許せなかった。それで諦める自分も許せなかったし、「音楽が才能に満ち溢れた人間による芸術」である事を、そんな音楽ばかりが人を感動させる事を認める事が出来なかった。僕の周りのナチュラルボーン・アーティスト、恐らくは無自覚で呼吸をするように僕らが「ハッ」とするような事を考え、口にし、それらの思いをありったけのせて音楽をやる人間達。

有難い事に僕はそんな素敵なバンドマン、音楽家達に沢山会ってきた。それらは僕のバンドメンバーであり、レーベルメイトであり、共演者であり、そして友人であったりする。彼らの演奏を観、音楽を聴き、胸にグッときて感動する。こんな素敵な音楽が、言葉があるのかと心打ち震える。けれども同時に、腹の底でモヤモヤした感情がしっかりと存在するのも痛感する。もうそれって確実に「嫉妬」だったりするわけなんだけれども、僕はずっとその「嫉妬」を自覚しながら自分自身を報わせるために、そしてそこに面白味を感じていたからこそ、手前勝手な代理戦争を始めていた。

「音楽の才能に選ばれた人間」VS「選ばれなかった凡庸な僕」というわけだ。


勿論この代理戦争が掲げる理念は大いに突っ込み所が多いのも自覚している。ある人からすれば僕の思う「才能溢れる人間」は僕がしなかった努力の結果、今の素敵な音楽を鳴らす体になったのかもしれないし、別の角度から見れば僕に対して嫉妬の感情を感じる人間だっているはずなのだ。でもさ、自分の自意識って死ぬまで自分は付き合っていかなければならないわけで、主観だろうが客観だろうがそれさえも全部飲み下して、僕は挑むべき相手が多かったというわけ。


僕のようなバンドマンは、身近に才能溢れる面白いバンドマンがいなくなればすぐに活動の場を失う。どこを探しても一緒にやりたいと思う音楽家がいなくなったら、多分その時はベースを置く時だろう。それだけ僕は脆弱な存在なのだ。

けれども僕は同時に知っている。僕のような存在もライブハウスには、否、芸術には必要で、バンドという集団に僕が只今現在3つ所属しており、そしてお手伝いさせて頂く場も少なくないっていうのはそういう事なのだと思う。表現者の受け手として音楽に携わるのは、決して害悪ではない。

演奏者、バンドマンとして己を高めていけば、きっといつか自分自身が「作品」になれる日が来るのではないか。人が書き、歌う曲に対する羨望の眼差しを愛情に変えて、自分自身のスタンスを「作品」として誇れる日が来るのではないだろうか。そう思っていた。凡庸な癖に自意識が強いと、苦労するって話なだけなんだけどね。


で、僕は今回のワンマンライブはある種の指標の一つになるだろう、とも思っていた。僕という人間のスタンスが、どれだけ多くの人に認められるか、受け入れられるか、楽しんで貰えるか。自分の内から発生する音楽性のない人間が、恋い焦がれる音楽を作る人間達と演奏する事で自分を発散して、それが多くの人に感動を与えるならば、多くの人がそれを楽しむならば、きっと凡庸な人間でも音楽はやれるし、凡庸な人間でも楽しみながら音楽に携われるし、ひょっとしたら、人を感動させる事が出来る。

僕は自分が長年続けてきた代理戦争、そして自分の信念のために今回のワンマンライブ、やりきらなければならなかった。


数字が全てではないのは大前提だ。しかし数字が何かを表しているのもまた事実。当日は総合計121名の皆様にご来場頂きました。勿論皆が皆、僕を観に来たわけではないのは理解している。僕が参加する4バンドのどれかを観たくて来た方も相当数いらっしゃるでしょう。でも、そのバンドは僕が携わるバンドだし、それ以前にそれだけの人数の方があの場にいらしたというのはそれだけで僕は胸が一杯になりました。

そしてあの日、ステージの上から見た光景、あの途方もない光景っていうのは僕は一生誇っていいと思っている。多くの人間が拳を振りかざし、声をあげ、モッシュし、人の波の上をダイヴしていく。まさかね、ダイヴまで起きるとは思っていなかったのであれは本当にびっくりした。勿論それだけ格好良い音楽をやっている自覚はあったけれども、いや、それでもまさかまさか。人の波がグワングワンと動く様っていうのはステージ上から見ていると本当にグッとクる。


おっと、ついつい熱くなってしなった。

当日の思い出、各バンドへの思いetc.はまた改めて次のエントリーで書こうと思う。

内容が重複する可能性は大いにあるけれど笑

今しばらく余韻に浸らせて下さいね。

空白を埋めていくブログ その3

さて、続けよう。



11月12日(土)

大学時代の後輩でありカメラマン ハラマサ君ちで製本作業をひたすらして朝を迎える。ハラマサ君、ベッドの中で眠りながらどんどん服を脱いでいっていていつ全裸になるのかとヒヤヒヤした。普段からユニークな着眼点と独自の視点で話していて面白い人なのだけれど、寝ている間も頭の中がフル回転していそうな寝顔。

翌日のワンマンの入り時間、タイムテーブルを新栄CLUB ROCK'N'ROLL、出演者各位に送っていない事に前夜気付き、慌てて連絡を済ませておいたのでこの隙にPCを拝借して送信。


ハラマサ君を起こし、髪の毛だけ洗わせて貰いいざ渋谷へ。この日は渋谷La.mamaにてPARMESAN 企画に出演するのだ。しかし東京は本当に人が多いね。人ごみの中、電車の乗り換え等慣れないシステムに対応出来たのはハラマサ君がいてくれたから。有難う。

元々予定では残響ショップに行ってエフェクターを眺めたり、渋谷の「凛」でラーメンを食らったりする予定であったが、時間と体力の関係で断念。またな、渋谷。


La.mamaでPAPARMESANの面々と再会。新ベーシスト 雨ちゃん氏は別バンドでもJONNYと共演しており、これまた突然の再会。バンドやってるとこういうの、面白いよね。

で、リハーサル後にはLa.mamaの楽屋をお借りして製本作業。


続・我が逃走
奥で同じく作業中のせんちょー。


『VS 27』がどんどん形になってくる喜び。中身がただの会話の記録、音声データだった頃からこの形を夢想していただけに感慨もひとしおだ。 音楽も勿論興味深いけど、その音楽の生まれる根っこ、その人自身にも僕は興味が尽きない。だからこんな同人誌を作った。日頃僕がどんな人と演奏しているか知って貰えれば、僕がどんな人間かわかって頂けると思うので。


衣装がないので久々にTシャツで演奏。スカスカして何だか落ち着かない。やはり襟付の服の方が落ち着くわい。しかしつくづく不思議だ。演奏中ってアドレナリンの影響か、その前後の体調関係なくほとんど一定の状態で演奏している気がする。演奏中はフィジカルよりもメンタルの方が大きな影響を及ぼす気がするのだ。


久しぶりのPARMESAN、これが大盛りあがりで。彼らって本当に誠実で丁寧で、こちらが恐縮してしまうくらいなんだけど、その真摯さが演奏にも表れている。そしてそういうのって、凄く素敵だと思う。

ヴォーカルギターの井上君が翌日の僕のワンマンの告知をアンコールでしてくれた。おい井上君、俺って結構義理堅いんだぜ。PARMESANの皆にはいずれ報いなければいけないなあと思っている。企画の度にJONNYを呼んでくれるだなんてそれだけで嬉しい事じゃないか。本当に有難う。


そして懐かしの再会、大学時代の学部の友人がライブこそ間に合わなかったものの、会いに来てくれた。


続・我が逃走
こういう風にすぐ時間を埋め合わせれるのは本当に嬉しい。


学生時代から年齢不詳、見た目は完全にコワモテで学部でも恐れられていた存在だったと思う。けれども運動音痴で友人思いで、そして僕に色々な音楽を教えてくれた。ローリングストーンズやレッド・ツェッペリン等、所謂誰しも一度は聴くであろうロック・レジェンドともいうべき存在を悉く聴いていなかった僕に「お前はこれ気に入ると思う。コーラスが本当に気持ち悪いんだよ」と言って『悪魔を憐れむ歌』を聴かせてくれたり、それこそ一緒にバンドをやったりもした。彼がいたから学部でぼっちになる事はなかったし、サークル活動に明け暮れるようになってからも彼とだけはつるんでいた。卒業論文で忙しい時期もお互いのゼミ室の扉を叩き合って「夜中の3時までは頑張れよ」「お前もな」みたいなやりとりをし、そして明け方一緒にご飯を食べに行った。

うちに遊びに来た時は父親とビートルズ談義になり、ポール派の父とジョン派の彼はお互いの主張を頑として譲らなかった。バンドも観に来てくれたし、打ち上げで誰よりも楽しそうに音楽について話をしていたのも彼だった。

いや、久しぶりに会えて嬉しかった。ハンバーガー、御馳走様。また近々。


様々な再会、経験を乗せてJONNY車(佐藤さんの自家用車。バモス)は走る。名古屋へ向かって。

・・・・そして遂に、僕の人生初のワンマンライブの当日がやって来た。

空白を埋めていくブログ その2

11月11日(金)

「着いたー!」

佐藤さんの嬌声で目が覚めた。寝ぼけ眼で辺りを見回すと、そこは新宿JAMの真ん前だった。…高速道路に乗ったっけ?記憶にない。記憶を遡ると、高速道路に乗る前に意識がシャットダウンし、その後も一度も目覚めなかったようだ。

名古屋を出たのが夜中の3時過ぎ、東京に着いたのは9時だから6時間眠り続けていた事になる。うん、何だかんだスッキリしている。

JAMでの就寝許可を頂いていたので、JAMに搬入、搬出を演奏開始時間の12時間以上前に済ます我々。荷物を入れるだけ入れたら、さあ就寝。

というわけにもいかず。同人誌『VS 27』を13日のワンマンライブに間に合わせるには11日、そして12日の東京滞在中に全て済ませる他ないのだ。段ボールに詰めて持ってきた大量の紙を楽屋で広げ、この二日間のサポートドラマー せんちょー(ナナフシ)とお話しながら(せんちょーも車中で眠っていららしく、比較的元気だった)紙をひたすら折る、折る、折る。折りながらも喋る、喋る、喋る。せんちょーはせんちょーで作業があるらしく、二人とも各々の作業をしつつの会話。あんなにゆっくり二人きりで話し込んだの、初めてじゃないかな。


で、気づけばJAMのスタッフさんも出勤され、時計を見れば昼頃。リハーサルまでまだまだ時間はあったのでせんちょーとラーメン二郎 歌舞伎町店へ。新宿に来ると、大抵ここだ。

この日のJAM、レジオキング先輩とシャビーボーイズも一緒。from名古屋のバンドが3バンドで、何だかここが新宿だってのを忘れかけるくらい。リハーサル前に紙を折っていたらレジオキング 尋オメガ君から「舟橋君、二郎行こうぜ」の声が。折角なので、また行く事に。数時間おきにラーメン二郎を食べるっていうのはいつぞやのabout tess takutoさんと行って以来だ。丁度疲れ気味だし、二郎食ってスタミナつけようという発想もあった。


終始眠いのだけれども、いつの間にか一線越えて気がつけば開場、開演。

この日のシャビーボーイズの演奏、僕は一生忘れられないかもしれない。4人の若者が本当に、本当に色々振り絞って演奏していた。シャビーボーイズのライブで微妙なライブなんて、ぶっちゃけて言ってしまえば只の一度も観た事がない。だけれどもこの日のシャビーボーイズは今まで観てきたシャビーボーイズのライブを全てひっくり返してしまうような、そんな凄いライブだった。

僕って音楽で泣いた事って数える程っていうか2回しかないのだけれども、その2回に次ぐ3回目。最初にNUMBER GIRLに泣かされ、次にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに泣かされ、そしてシャビーボーイズに泣かされた。2曲目で涙が溢れ、結局最後まで泣いてたもんな。凄く、心動かされた。

こんなんなかなか言えないけれど「完敗だ」とさえ思った。今日の所は若者4人の圧勝、それでいいとも思えた。

しかして人の心を動かす芸術には僕の信念を持って報いねばならない。すぐにそんな甘ったれた考えは、捨てねばならぬ。

レジオキング先輩もガツッとしたライブを。そう、レジオキング先輩もいつにも増してキレたライブをしていて、今日は一体何なんだ、と思った。名残惜しいけれども、準備をするために楽屋に引っ込む。


で、演奏終了。一生懸命やった。最近は一期一会を強く意識する。あとは自然体。

睡眠不足気味だし、日々の作業の蓄積で疲れてはいるけれども30分間はそれを忘れる。演奏というのは良くも悪くも日々の積み重ねが顕在化する場であると思うが、マイナスの蓄積に関しては強い精神力でそれを乗り切る事が出来る、とも盲信している。

お楽しみ頂けただろうか。ライブの感想って、もう会場の一人一人に訊いてまわりたくなってしまう。それが例え1000人会場にいようとも、だ。


終演後は機材搬出を済ませ、東京の友人と軽く飲みに行く。偶然にもぐしゃ人間の亀さんやごっちんこ先生と鉢合わせし、近況報告やninnnさんの話等で盛り上がる。暫時の間だったけれども、東京っぽさを痛感。

大学時代の後輩にしてカメラマン、ハラマサ君に迎えに来て貰い彼のアパートにピットイン。

作業再開。中途で30分くらい眠ってしまったけれども、12日の正午頃には織り込んであとは綴じるだけ、という状態まで追い込めた。本ッ当にギリギリだぞこりゃあ!!

空白を埋めていくブログ その1

ご無沙汰してます。

ここ一週間近くは毎日非常に慌ただしい日々を送っていた。或いは、あれが「忙しい」という奴なのかもしれない。兎に角ワンマンライブに向けて猛進していた。何回かに分かれちゃうかもだけど、ここ最近の僕を駆け足(気味)で記録、記録!



11月9日(水)

朝方起きだしておやつの時間頃まで仕事。仕事中に修理に出していたスマートフォンが直ったと連絡が入ったので千種のイオンまで取りに行く。auショップの中を覗いてみると結構な人数のお客さんが待っていたので、少し時間をずらす事に。

存在は知っていたけど食べた事のないファーストキッチンでチーズバーガーをセレクト、早速食らってみる。あれ、旨いね。丁度電話してきてくれたはみちゃん(今池HUCK FINN)に電話に出るなり「ファーストキッチンって美味しいね!」って喚いちゃうくらい旨かった。尤も、まずいハンバーガーなんて食った事ないけどな。

で、はみちゃんから今日が茜谷さんの誕生日だと教えて貰う。本日予定しているi GO/明日、照らす のレコーディング後にそのままパーティーを行うとの事。時間的にパーティーに参加出来るか怪しかったけれども、折角なので何かプレゼントを、と思案しつつ帰路につく。

ベースを背負ってHUCK FINNへ。結局プレゼントはお酒になった。茜谷さんが好きかはわからないけれども、何か名前のしっかりしたお酒を買っていった。

この日のレコーディングはi GOと明日、照らすのスプリットシングル『アンダーザロングファン』のためのもの。

曲は月曜に出来上がったばかりのホヤホヤで、これがまた格好良い。ベースは素のまま直接D.Iへ。

ドラムと同時の一発録りである。


続・我が逃走
吸音材の向こうにドラムセットが組んである。


2テイクでOKテイクが出た。良いテンションで演奏出来たと思う。そのままギター録りへ。僕は余韻を味わいつつ見守るつもりが、気づいたら眠ってしまっていた。すいません、先輩。

そう、ぶっちゃけこの前後くらいは毎日5,6時間寝ないとしんどい僕にしては珍しく、睡眠時間を切り詰めて活動していた。

このレコーディング後も最近始めた夜勤を終え、そのまま佐藤家へ。

ワンマンで販売する同人誌『VS 27』の製作もいよいよ佳境に差し掛かっていた。



11月10日(水)

同人誌のページレイアウトが完成したのは朝方8時半頃。佐藤美生さん、実に6時間近くぶっ続けでPCと格闘していたわけで、その横で「あ、ここ違うよ」「あ、ここ修正したい」とか酒を飲みながら(ちなみに佐藤さんも飲酒しながらマウスを操っていた。二人ともそうしないと、もう連日の作業疲れでどうにかなってしまいそうだった)言っていただけの僕は、完全に頭が上がらない。

「ゆっくり休んでくれ」

そう言い残して出来上がった原稿を持ち、近所のコピー屋さんへ。ここでは一枚あたり9円で印刷が出来るし、必要なものも諸々揃っている。おまけに24時間、である。作業を手伝いに来てくれた山本君(エフェクター製作家/最近引きこもってない疑惑)は「ここまで来たらどこまでもついていきますよ」と言って、ここにもついてきてくれた。時間がかかりそうなのは明らかだったし、彼も疲れていたに違いない。本当に、有難かった。

コピー機の前で格闘する事、約2時間。原稿が、刷り上がった。

続・我が逃走
紙って、かさばると重いのな。

この段階で、出勤まで2時間。山本君と二人で朝ごはんを食べ、軽く仮眠をとって出勤。おまけにこの日は夜勤!もうゲラゲラ笑いながら一日を過ごした。ナチュラルハイって素晴らしい。でもこういう時に限って仕事も全てうまくいくっていうのは、やっぱりハイになってる人間特有の積極性なのだろうか。

夜勤後、楽器と荷物をまとめて佐藤家へ。

「いざ東京へ向けて、出発!」

ハイになったまま意気揚揚とそうブチ上げたものの、車が高速道路に乗る前に意識を失っていた。

駄目だこりゃ。

よろしい、ならば戦争だ。


続・我が逃走


諸君、私は演奏が好きだ。

諸君、私は演奏が好きだ。

諸君、私は演奏が大好きだ。



11月13日(日) 新栄CLUB ROCK'N'ROLL

「舟橋孝裕ワンマンライブ ~よろしい、ならば戦争(ワンマン)だ~」

出演:
不完全密室殺人

JONNY

パイプカツトマミヰズ

+ secret O.A


開場:18時 開演:18時30分

前売:\2000 当日:\2500 (D別)



僕のワンマンライブまであと一週間をきった。ここに記録している通り、各バンド(とはいっても不完全密室殺人はなかなか動けないけれど)それぞれライブを行い、そしてそれぞれで色々な事を感じてきた。3バンドともに、違った楽しさがあり違った悩みがある。

ここ最近はワンマンの準備の関係で、実に慌ただしい毎日を送っている。傍から見ても余裕がないのがわかるのだろう、近しい友人達が気遣ってくれているのがわかる。

けれども、僕は心底元気だ。時間が足りない、果たして当日までに準備は間に合うのか、やり残した事はないか、もっと面白く出来るんじゃないか、そもそもどれだけの方が来て下さるのか、考えだすと止まらない。けれどもその中で心底面白い、最高に楽しい!とも感じている。

だってそうだろう、全てが13日に結実するのだ。僕にとっては万感成就の夜となるだろう。

この日はsecret O.A含め全4バンド、通常の形式とは違ったライブをする。そもそもその本質的に僕のワンマンライブなのだ、「僕 VS 各バンドのメンバー」といった要素も少なからずあるだろう。そして僕は全員をねじ伏せるくらいの説得力のある演奏をしようと思っているし、その結果バンドは負けないくらい有機的な演奏をするだろうと確信している。だって僕のバンドメンバー、それぞれが強敵ばかりだもの。どんな反応を示すか愉しみでしょうがない。

エレクトリック・ベースギターを握って8年程になる。エレクトリック・ベース・ギターリストとしてのこの8年間の集大成をお見せしよう。そして俺の生き様を見ろ。それがどれだけ清々しかろうと、どれだけ惨めだろうとその目に焼き付けて頂きたい。この日の僕は理論武装する程余裕もないだろうし、精神的にも肉体的にも剥き出しで勝負する事になるだろうから。


この日、各バンドの物販に加え、『VS 27』と銘打った同人誌(コピー本。推定50頁を越えそうです)を販売致します。

そもそもが「19"84"年生まれの"27"歳」=「2784」という事でこの数字には固執しており、2784人は難しいだろうので27人と対談、それを一冊の本にまとめようと立案したものが、多くの人間が関わっていく過程でルポルタージュあり漫画ありの、対談誌として括るにはなんとも内容の濃いものになった。

バンドメンバー、レーベル社長、お世話になってるライブハウスの方は勿論、遠方の強敵、いずれ打ち倒さねばならない宿敵、大人気なく僕が敵意を剥き出しにしている後輩、背中を追い続けている先輩に友人達、実に多くの人間が僕と一対一で話をしてくれました。ある方とは信念と信念のぶつかり合い、ある方とは普段の会話そのままのくだけた会話、ある方とは記事に出来ないくらい過激な会話を繰り広げました。面白い人間との対談は、やはり面白い。そんな人間とのトークセッションはそれだけで一つの作品、エンターテインメントになるのではないかという僕の読みは見事に的中した、と自信を持っています。只今現在、鋭意製作中です(間に合うかどうか実際相当ギリギリだよこれ!)。

参考までに、対談相手を列挙してみたいと思います。顔ぶれを見るだけでワクワクすると思うのだけど、どうかな。


01.伊藤誠人(色々)
02.吉井麻美(ex.ドクターイエロゥ)

03.山田康裕(不完全密室殺人)

04.各務鉄平(不完全密室殺人) 

05.特別寄稿:神田君(不完全密室殺人)について

06.佐藤美生(JONNY)

07.篠田尚希(JONNY) 
08.野々垣貴彦(ex.JONNY)
09.吉田ヒズム(パイプカットマミヰズ)
10.駒田和希(パイプカットマミヰズ)
11.植田圭介(フリーター/良い奴)
12.茜谷有紀(i GO)
13.野田昌吾(i GO)
14.吹原靖紀(i GO)
15.柴山順次(ONE BY ONE RECORDS) 
16.井藤誠(新栄CLUB ROCK'N'ROLL) 
17.本多増雄(新栄CLUB ROCK'N'ROLL))
18.大内貴博(太平洋不知火楽団) 
19.水谷連士(over skill) 
20.野村尚之(レッサーホース) 
21.三宅理恵子(GRANCH) 
22.大丸ラーメン 大橋隆雄氏との架空対談

23.山腰甚也(ザ・フロイト) 
24.山田亮一(ハヌマーン)
25.山本真彰(エフェクター製作家)
26.河本拓也(palitextdestroy)
27.斉藤伸也による大丸チョイ足しレポート



どうですこの参加陣。それぞれとじっくり腰を据えてお話させて頂きました。対談を通じて、この人達がまた好きになった。皆様もきっと、そうなる。それくらいの密度の話が出来たと思ってる。

あとは友達のイラストレーターによる漫画「フナハシさんとの思い出」掲載、父・舟橋謙治も一筆書いてくれました。

同人誌とは別の話になるけれども、一番上に貼った画像、今回の企画のフライヤーである。今回これまた友達の漫画家 石川女史が僕の夢を一つ叶えてくれました。当初の想像以上を遙かに上回るクオリティ。これより構図的に格好良いフライヤーはあるかもしれない、けれどもこれ以上今回のワンマンに相応しいフライヤーは存在しない、と自信を持って言える。

関わってくれた多くの皆、本当に有難う。そんな多くの人間の気持ちを受けて、只今現在必至で作業中。

『VS 27』、ワンマン当日の限定販売の予定です(もし当日完売後、買い逃したお客様がおられたらその場で代金を頂戴して後日郵送、とかは考えています。そうなるといいな)。是非お買い求め下さい。


「舟橋孝裕ワンマンライブ ~よろしい、ならば戦争(ワンマン)だ~」チケット予約は

fukanzen_murder@yahoo.co.jp

まで「お名前」と「枚数」を明記の上、宜しくお願いします。

僕をご存知の方には是非観て頂きたいです。楽譜も読めず、曲も作れないままバンド活動を続けてきてしまった男の生き様、とくと思い知れ!皆様方、今に見ておれでございますよ。


皆様のご来場を心から、心からお待ちしております。

水中、それは苦しいのレコ発に参戦した話。


続・我が逃走
ハポンって本当に雰囲気良いよね。


水中、それは苦しい 」というバンド名を目にしたのは確か学生時代が最初だったと思う。

アルバイト先の試聴機で「安めぐみのテーマ」もそのままそこで試聴した。まさか、5年後に共演するだなんてその頃には思ってもいなかった。


というわけで昨日はパイプカツトマミヰズで水中、それは苦しい先輩のレコ発企画@K.D japonに出演。上の画像は演奏真っ最中のパイプカツトマミヰズ。5人で演奏したのに4人に見えるのは、左の方の暗闇にボランティア・キーボーディスト伊藤誠人君が同化しているからです。


しかしこの日は楽しかったなあ。大森靖子 さん、太平洋不知火楽団の大内君が今、大森さんのバンドver.でベースを弾いているみたい で噂は聴いていたけれども、本当に生々しい(個人的にはテクノとか機械を駆使した音楽でさえ、その根幹、根本的な部分では生々しいと思う。そして生々しくない音楽っていうのは何か違うとも思う。けれどもこの場合、日頃ライブハウスで僕が観てきたものと比べても圧倒的に生々しかった)歌声と音楽、歌詞である。正直、滅茶苦茶良いしグッときたんだけども腹の底でモヤモヤする感情さえ、生まれた。

ああいうナチュラルボーン・ミュージシャンである事を痛感させられるような音楽、芸術は本当に心底、美しい。「これ格好良いだろ?」とか「音楽が必要なんだ」と声高に叫ぶ事よりもああいう演奏を目の当たりにした方が通関する。「ああ、この人は音楽をやるのが自分の一部になってるんじゃないのか」と。

勿論全ては憶測だけれども、嫉妬の念(だって僕みたいなのはそういう人々と如何に闘うかってのを日々試行錯誤してるのだもの!)が沸き起こる程、大森さんは素晴らしかった。


紙コップス はこの日、神がかっていた。神コップス、だなんて下らない事を言うつもりはないけれども。

ヴォーカル/キーボードの菊ちゃんが仕事でライブに間に合うかわからない。そんな中3人がとった解決策というのは「ロボ菊ちゃん」だった。段ボールで作られた、それはそれはいびつで工作ってレベルでもないくらいの段ボール細工。それの頭部には菊ちゃんの顔写真が貼られ、ご丁寧にメンバーお揃いの紙コップがついた赤白帽子までかぶっている。そしてハポンの壁面にはプロジェクターによって自室で演奏し、歌う菊ちゃんの映像が。

そうなのだ、彼らは菊ちゃん不在に際して、録画された菊ちゃんの演奏とのセッションを敢行したのである。成立するのか、と思いきや結構普通に成立してたし、面白いよあれは。途中で本物の菊ちゃんが会場内に突入、そのまま演奏に合流した時の様子、そして沸き起こる拍手と歓声。グッときた。


水中、それは苦しい先輩は流石の面白さ。面白さって先に言ってしまうと音楽をやっている人間としてどういう気分になるかは推し量るしかないけれども、でもああいうコミカルで人間臭い事をあれだけ高度な演奏技術(ジョニーさんのアコギストロークも、林三さんの流麗なヴァイオリンも、吉田さんのおっそろしく正確でそしてブレないドラムも、人並み外れた高度な演奏技術。つくづく、全員が一流のプレイヤー!)でやるっていうのはシュールさとかコミカルさとか超越した部分で、狂気じみたエンターテイメントへの執念を感じる。でも何が凄いって、ジョニーさんはあくまでも等身大でそれをやられてるんだろうなって部分も凄く感じるのだ。

オフステージのジョニーさんもライブ中のジョニーさんも、それこそ電話でお話したジョニーさんも別れ際のジョニーさんもずっと一貫してジョニーさん。勿論そういう人は今までも出会ってきたけれども、それでもあそこまで奇麗に「ジョニーさん」で在り続けれるっていうのは、日常的にエンターテイメントを提供されてるっていう部分でも大いに尊敬すべきだなと思った。共演した事のある方ならおわかり頂けるだろう。水中、それは苦しいはリハーサルから面白い。そんなパンクバンドだ。


いや、総じて面白かった。

トップバッターを飾らせて頂いたパイプカツトマミヰズ、冒頭の写真を見て頂ければわかるけどいつもよりメンバー間の距離が狭く、一歩後ろにたたらを踏むだけでドラムセットに足が当たったり各務君のエフェクターを蹴っ飛ばしたりしてしまう。けれども、これはこれで面白い。メンバー間で「演奏中のアクシデントは例え流血沙汰になろうとも寛容に接しよう」と話をした。

だけれどもそれを言い出した僕が、この日リハーサル後に行った楽器屋で吉田君が購入したオタマトーン、ライブ中にブッ壊してしまった。あんなに脆いとは思ってなかったもの。いや、申し訳ない事をした。


終演後はこれまた素直に帰宅。自宅で作業が待っていた。

来週、旨い酒を飲むためだ。我慢我慢。

こうして、3日4日、5日と続いたライブ3連戦は、無事終わった。

The Muffsジャパンツアーに参戦。

「まさかこのようなシチュエーションになるとは思わず、CDの帯に“BLONDIE?MUFFS?名古屋にはJONNYがいるじゃないか!”と書いてしまったのですが、後々お詫び致します。有難う」


佐藤さんがMCで語った通り、まさかJONNYがThe Muffs のジャパンツアーの名古屋場所、O.Aを務めるだなんて誰も想像しなかったのではないだろうか。かくいう僕もその一人で、佐藤さんから興奮した電話がかかってきた時は「冗談だろ」くらいにしか思わなかったし、柴山社長(ONE BY ONE RECORDS)から事の成り行きを教えて頂いた際も「何か凄い事になったな」が真っ先に頭に浮かんだ。

The Muffs。正直に申し上げると高校時代にレコードを買って、それを大事に大事にしてきた柴山社長(今回、無事にそのレコードにはThe Muffsの3人のサインが入ったのであった)程、僕はこのバンドを愛してきたわけではないけれども、それでもやっぱり嬉しいものだ。佐藤さんちで色々なライブ映像を視聴したり、ジャパンツアーのフライヤーを見ながらどんどん気分は高揚していた。


ライブっていうのは毎回、緊張する。トイレに駆け込むくらい緊張する。未だにそうだ。何度やっても慣れない。ライブというのはそういうものだし、それでいいと思っている。ステージに立ってベースを握ればリラックス出来るのだ。それでいい。

今回はそんな毎回感じている緊張以上に、酷く緊張した。出番直前にアポロシアターの楽屋スペースでiPodで気ままに音楽を聴いて緊張をほぐす。ここまでしたのは久しぶりだ。


そして冒頭の言葉。佐藤さんの本音、であると思っている。この日は珍しく佐藤さんから「MCをやらせて欲しい」と言われ、普段はなかなか喋らないあの人が喋る事となった。それだけ、恐らくバンドマンとして以上に一個人としても思い入れのある大役だったのだろう。会場の90%以上の方がJONNYを初見、そしてThe Muffsを待ち望む中、誠心誠意演奏した。個人的な、フィジカル部分での表現欲求をライブで発散させているのはどのバンドでもそうで、勿論JONNYでもそれは毎回のように炸裂させていたのだけれども、佐藤さんと篠田君をステージに立った時に見、自然とスイッチが切り替わった。2人を後押しするような、そして攻めながらも支えるような演奏に意識は向いていた。こんな夜もある。そしてそれは充実感を感じさせるものだった。


演奏後、楽器を片付けて楽屋スペースに戻る。

気さくなThe Muffsチームが、拍手と歓声で迎えてくれた。日本には多くのバンドマンがいて日夜ライブハウスで闘っているけれども、憧れていた存在から演奏終了直後に拍手を貰えるバンドマンなんてそうはいないだろう。佐藤さん、本当に良かったね。頑張った甲斐があった。


そしてThe Muffsだ。

正直ね、朴訥とした人の良い方々だったので想像もしなかったのだけれども、滅茶苦茶パワフル。そしてハッピー。本当に楽しんで演奏しているし、リラックスムードで曲間には冗談の一つも飛ばしておられる感じなのだけれども、演奏になった瞬間にブッ太いリズム体と轟音ギター、そしてKim姐さんのパワフルなシャウトにキュートな歌声がフロアを揺らした。東京からお馴染みのお客様が「マフスだし、JONNYにとっても晴れ舞台だからね!」とわざわざご夫妻で名古屋に来られていたのだけれども、The Muffsの際、目の前でフロア前方に突っ込んでいかれた。あれ観てたらそうなるのもわかる。

でね、ベーシストとしてこれを書かないわけにはいかないでしょう。Ronnie、いや、Ronnie師匠。ネルシャツに赤いセーターを重ね着して、学者さんみたいな眼鏡をかけた癖ッ毛の感じの良いおじさん然としているRonnie師匠、演奏が始まる前後であんなにオーラが一変する人もなかなかいないだろう。ニコニコ話すナイス・ガイなのに、ライブ開始数分でマイクスタンドを床に突き立てるわ、真上に向かって唾吐くわの大活躍。大体からして、アンペグのアンプを優に下す高身長でプレベ(Ronnie師匠が持つとプレベがギターみたいにちっちゃく見えた)を低く構え、ガンガンピックでベースを弾き倒す。もうね、本当の意味でメンタル・パンク。最強に格好良かった。

かと思えばベース・ソロを振られると目の前で腕を交差して「弾かないよ」ジェスチャーで固まって見せたり、オフ・ステージではやっぱりニコニコ、素敵な方なのだけれども。

意を決して演奏後のRonnie師匠に声をかける。これだけはベーシストとして伝えなければならない。


「Thank you!your bass play is very powerful, and knock out me!」

(あなたのベースはとても力強く、私は完全にヤラレました!)

「NoNoNo!笑 your bass terminated me!」

(いやいやいや!笑 君のベースに抹殺されたよ僕ぁ!)


ああ、Ronnie師匠、最高です。その言葉を糧に今後も頑張ります。ベースを握ったターミネーターに、俺はなる。


続・我が逃走
「ベース・プレイヤー同士写真を撮ろうぜ!」とのRonnie師匠の言葉を受けて。
こんな異国の若造にフランクにしてくれるなんて、本当に素敵な方だ。
眼鏡とネルシャツって共通項あるのにこの風格の差!

演奏終了後のチームJONNY、もう完全に一ファンとして無邪気に振舞った。社長はレコードに入れて貰ったサインを嬉しそうに見つめているし、佐藤さんも興奮で声が上ずっている。

ほとんど喋る事は出来ないかと思っていたけれども、そんなのが杞憂に終わるくらいガンガンコミュニケーションをとれたし、声をかけて頂いた。The Muffsのお客様の中でもJONNYを気に入って下さった方もいらっしゃったようで、本当に嬉しい。何も残せないO.Aに成り下がるのは真っ平ごめんだ!


続・我が逃走
The Muffs先輩とJONNY。


この日の事はなかなか忘れられないんじゃないかな。

バンドマンとして、滅茶苦茶実りのある一日だった。The Muffsの御三方のサイン入りステッカーを見る度に、この日の事を思い出すだろう。ベースに貼ろうと思う。


GRANDLINE2011にJONNYで出演。

11月3日の事である。ミナミホイールに続き、JONNYで新栄~栄で行われたミュージックサーキット「GRANDLINE2011 」に出演してきた。


起床後、準備をして新栄へ。とりあえずは出演会場であるSix Dogへ向かう。前夜の練習後、新栄でマウンテンバイクのチェーンが切れてしまった。とりあえず新栄に放置して帰宅したので、それもどうにかせなばなあと思いながらの移動。

Six Dogに着き、スタッフさんにご挨拶をし、物販を設営後はGRANDLINE開始まで時間があったので、チェーンの切れたマウンテンバイクを佐藤車に積み今池へ。忘れ物をしたのとこの隙に自転車を直してしまおうという魂胆。

修理したのは大正解で、GRANDLINE参加ライブハウスへの移動にマウンテンバイクは大いに役に立った。新栄~栄間の移動が5分で済むのは有難い。


色々なライブハウスをうろうろして興味のあるバンドを観ているうちに、気がつけばそろそろSix Dogに戻って準備せねばならない時間。いよいよ自分達が演奏する時間がやって来た。

初めて出るライブハウスだし、バタバタする中で音作りをしたけれどもうまく出来たんじゃないだろうか。演奏もテンション高めの、それこそミュージックサーキットで浮かれている気持ちをポジティブに投影するような演奏が出来たんじゃないかな。


演奏終了後に、大学時代の後輩が参加しているバンドを観に行こうと思っていたけれども後片付けやら何やらしていたら、見逃した…。結局後輩に会う事は出来たのだけれど、こういう機会で行うライブっていうのはまた特別だと思うから残念。R.A.Dに移動した際、WATA君に会う事が出来た。今回のGRANDLINE、多くのスタッフさんの尽力のお陰で1000人を超える方がご来場されたそうなのだけれども、そんな大規模のイベントを背負う苦労は並ではないだろう。実際、忙しそうだったもんなWATA君。本当に有難う。


トリのnothingmanをロックンロールに観に行こうと思うも、副業の夜勤を控えていたので断念。素直に帰宅。

普段なかなか混ざって一緒にやる機会のないバンドがほとんどだったけど、新鮮だったし面白かった。そして幾つもある会場の中、JONNYの演奏をご覧頂いた皆様、有難うございます。

名古屋には多くのバンド(そりゃあ東京とかとは比べられないかもしれないけど)がいて、日夜ライブハウスで演奏をしている。ああいうミュージックサーキットはその事実を再確認、刺激を得る良い機会。

バタバタしながらも、楽しんだ。


改めて主催の皆様、関係者各位、出演者、そしてお客様、お疲れ様でした!

ほろ酔い記

兎に角、酔っ払っていた。


フラフラと灯りに引き寄せられれるように入店したコンビニエンスストアは、明け方4時過ぎという事もあってか随分と閑散としていた。深夜のコンビニエンスストアの店内放送というのは、どうしてああも物悲しいのだろう。命果てる直前の蝉の声と同じような風合いでさえある。

籠にカロリーオフ気味のアルコール飲料と、ゴボウサラダに駄菓子を放り込んだのは幾分かの良心の呵責があったからだ、と考える。幾分かのアルコールを摂取していたとて、流石にそこまで理性は失っていないらしい。こういう注意深さが好き勝手に飲食を楽しみながらも、4kg痩せた事に貢献していた、と僕は信じているからだ。


レジまで籠を運んでいき、店員氏がレジを通し終わるまで待たねばならなかった。ゴボウサラダはパック式のもので、僕はそのパックを引き裂いて直接その中に箸を突っ込んで食べる方法を検討していた。食器を汚さないように、とかではなく、何とはなしにその方がワイルドな行為に思われたからだ。店員氏がバックヤードからやって来たので、箸を所望する。

「はい?」

アルコールの影響か、気がつけば随分とゴニョゴニョ喋っていたらしい。僕の注文が聞こえなかったのか聞き返す店員氏。

「あの、箸を一膳つけて下さい」

「はい」

そこで初めて店員氏の顔を見た。・・・見覚えのある男だ。反射的に名札を見る。

そこに記されていたのは、おお、紛れもない小学校の同級生。道理で見覚えのあるはずだ。彼はそのひょうきんさで学年の中でも異彩を放っていたのだから。

声をかけたのは、断言しよう、アルコールを摂取していたからだ。普段の僕なら気まずくて声をかけられようもない。明け方4時半にコンビニにやって来る男は、飲酒していようがいまいが昼夜逆転型と相場が決まっている。自分の生活リズムを知られる事に、何かしらの抵抗があるはずだった。

「○○○君じゃないか」

「・・・おお」

「舟橋だよ、ホラ、小学校が同じだった」

相手が誰か思い出そうとする表情を見る事より、先に名乗ってしまう事を選んだ僕は臆病者だろうか?

「あれだろ、△△△の交差点近くに住んでる。憶えてる憶えてる」

どうやら我が旧友は僕の事を憶えていたらしい。心配は杞憂に終わった。

それから彼が僕の買った相応の量の駄菓子、アルコール飲料、ゴボウサラダをレジに通す間、彼の勤務時間や自分が酒気を帯びている話等、した。彼は早朝勤務で、4時から9時の間の契約だそうだ。彼もまた、昼夜が逆転した人間のようだった。

「朝帰り、とは言っても辺りはまだ暗いし、気をつけて帰りなよ」

「有難う。また来るね」

そう言いながら、内心驚いていた。話し口調といい、その態度といい、幼い頃の彼からは想像もつかない姿だったからだ。小学生の頃のお調子者のまま、彼の像が止まっている。僕が年齢を重ねたように彼もまた、年齢を重ねたのだ。月日の流れと、嬉しい再会だった。最初の一回で声をかけられれば大丈夫。ひょっとしたら一緒に飲みに行ったりするのも、面白いかもしれない。在り得るかもしれないが、想像で終わってしまいそうな妄想にニヤつきながら帰宅した。


皆様方よ、果たして彼は変わって等いなかったのだ。彼はお調子者で、ユニークで、そしておっちょこちょいのままだったのだ。

・・・箸が、入っていなかった。

自己紹介

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。
以下、ライブ予定。


12/28(水) 新栄DAYTRIVE
犬栓耳畜生

2017/1/07(土) 今池HUCKFINN
ONE BY ONE RECORDS レーベル10周年イベント
JONNY

1/08(日) ミソフェス2017(http://www.misofes.com/)
パイプカツトマミヰズ

1/08(日) 新栄DAYTRIVE&TRIM
パイプカツトマミヰズ


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