中区で、練り上げる。

仕事が終わって出掛けるまでのふとした隙間にこれを書いている。
日々思う事はあれども、書ける事も書けない事も「ああ、このまま流してしまえ」と意図的に書き逃す事があって、きっとそういうのってほぼ日常的に抱くような感覚だからきっと10年後も変わらないだろうから書く必要がないんだろう、と思っているわけだ。でもそういうのこそなあ、変わってしまったりするんだろうなあ。

昨夜は仕事を終えてベースギターとプリアンプ(言うまでもなく、幸せの黒い箱=サンズアンプだ)を抱えて金森君(MoNoSiRo)宅へ。
名古屋は中区の、ライブハウスがひしめき合っている地区に住んでいる彼の自室にはエレキドラムにミキサーにDAW用のスピーカーと、それは結構な装備が揃っている。ミキサーにプリアンプをかましてプラグイン、ギターもエフェクターをかましてプラグインすれば、小音量ながら相応の実際的な感覚を伴って演奏が出来る。ライブさながらの練習、とまではいかないけれども感覚的な部分のすり合わせ、それぞれのフレーズ構築、そして新曲制作くらいなら余裕で金森君の自室で行う事が可能である。
MoNoSiRoはドラマー脱退を受けて実質金森君のソロプロジェクト化しているのでその運営費用の全てを彼が負担している。スタジオ代というのは結構財布を圧迫するのだ。だからというわけではないけれども(小音量の演奏というのは大音量とは違った側面で、バンドの姿を浮かび上がらせるものである)、ここ最近は彼の自室に集まる事が多い。
スティックカウントの音量が爆音に感じるくらいの音量での合奏は、実はここ最近の自分にはとても気付かされる事が多くて大変充実している。ピッキングの仕方による出音の変化を楽しみ、左手の運指による出音の変化と自分のリズムの癖にハッとし、そして演奏しながらでも会話可能な状況が「おいここはやくなるぞ」とか「もうちょっと抑えて」だとか、そういったやりとりをオンタイムで可能にし、それがバンドのアンサンブルに少しずつ変化をもたらしている。
いつかきっと、人前での演奏でもそれが顕在化するだろうと信じて僕達は深夜にこそこそと演奏している。近所迷惑を恐れながら。
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受験番号3番、になった話。


起床。
9時より開始の試験の30分前という事で、焦る。とりあえず顔をザザッと洗って家を飛び出して、無事間に合う。
未だに大学時代の試験前夜~当日の夢を定期的に見るのだが、現実でも試験によってバタバタするとは。
8月に入校した自動車学校の、今日は修了検定、つまり仮免試験だった。

なんならちょっとした余裕を持って試験会場である教室に到着。
説明を受けて午前中はまず技能。順番待ちの間に下痢をするくらい緊張(何を隠そう、舟橋は過敏性腸症候群である。緊張したりストレスが溜まると下痢するという、アレね)したけれども、いざ乗車すると自分でも不思議な程落ち着いていた。
小雨が降る中、暖かい車内で優雅な運転を心掛けた結果、無事技能試験に合格。
午後からの学科試験、実は勉強を開始したのは一昨日の夜である。どうにか「ここはやっておきなさいよ」と学校側から指示を貰った自習アプリケーション(便利な事に自宅でも使える。ビバ、現代技術)で合格点を叩き出すようにはなっていたけれども、それでもやはり緊張はする。
これも無事に合格。無事に仮免許をゲット。
そのままタイヤ交換実習や原付体験教習を終え、帰宅。実に夕方までかかった。一日、という程でもないけれどもしっかりと自動車学校してきた感じ。

夜は友人と食事へ。
友人推薦、魚推しの店へ行ったのだけれどもメニュー表に「ブリ大根」と書いてあってこの季節、いっちゃうよね。
平日の夜なのだけれども、周りの喧騒に背中を押されてビールまで飲んでしまった。しっかしこの季節のブリ大根、最高に旨い。ブリと大根が仲良しこよし、皮まで旨いし髄まで旨い。人生で恐らく初めて魚の目玉を食らったけれども、あれも旨かった。
ほろ酔いで店を出、今こうしてキーボードを叩いている。今朝は早かったので眠い。
一応節目なので、こうやってブログを更新してる。こういう日はやっぱりね、記念ものですから。

結局


濾過した水が一番体にしっくりくるし、美味いんじゃないかとか、そんな風に思った。
明日は仮免試験である。良い結果を出したい。

怠け者の極み。

前回、「連休中にもう一度書く事もあるだろう」と〆ておきながら、結局こうやって連休の終わりの終わりにしか書く事が出来ない。つまりそれだけ連休を楽しんだってわけ。
事ある毎に「連休っぽいな!」を連呼するくらい遊び呆けていた。折しも両親が海外旅行へ行っているので、そりゃあ舟橋の生活様式は荒廃の一途を辿るってえもんだよ。変な時間に寝て、変な時間に起きて、変な時間に適当に食べて遊ぶ。
30歳の男がこんな事を言うのは何だけれども、別に自活出来ないってわけではきっとないのだろうけれども、それくらい普段の自分からしたら破天荒な生活を送ってやるぞ、と意気込んで連休に突入したのでこれは大いに、目標を達したと言えるだろう。明け方六時過ぎに眠るのとか、久しぶりにやったわ。

マウンテンバイクを漕ぎ出したり、普段見ない夜景に少しばかりグッと来たり(「良いもんだな、嗚呼良いもんだな」と思わず言っちゃうくらいには、感動したりした)、お酒を嗜んだり、ドキュメンタリー(畜産科のある高校で受精卵から3ヶ月間、生徒達に鶏の世話をさせ、最終的には生徒達が見守る中、生徒達の手でその鶏を食肉に加工、それによって命の教育を行っているというとある男性教員のドキュメンタリーだった。賛否がある事自体が価値があるように思える。僕はと言うと号泣しながら自分達が世話をした鶏が食肉になるのを見守る高校生達の姿にショックを受けた。多分に過激な方法ではあるけれど、一定以上の信頼をその先生が卒業生から受けている事、そして何よりその教員のまっすぐな眼差しから、その「命の授業」を一概に否定する事なんてとても出来ないと思った)を観たり、自動車学校で技能教習を受けたり、ライブを観に行った(ちなみに、さよならパリス鈴木実貴子ズのツーマンだった。雰囲気はとても和やかだったけれども、どちらも物凄く力強く、美しかった。涙腺に感じるものがある程に。背筋が伸びるような演奏を有難う、と言うのはおこがましいかもしれないけれど、そんな気持ち)りした。その合間には外食として串揚げを食べ、ケーキを食べ、自宅でカップラーメンを食べ、スクランブルエッグとトーストを自分で用意し食べ、そして缶ビールを飲んだ。
連休突入当初は一体どれだけ充実させられるのか、と思い「でもまあ普段出来ないくらいにのんびりするのも良いかもしれない」とベッドの上、ごろごろしながら自分に言い聞かせようとさえしていたのだけれどもここまで盛大に遊んで堕落出来たので連休としては大正解。少なくとも僕が送りたかった三連休は理想通りの形で完結したと言えるだろう。

最後の最後、友人宅でチラ観した「秒速5センチメートル」にそんな堕落と退廃を欲していた自分を少しだけ抉られたけれども。でもきっとそれも別のお話。

徒然と書くブログ、ってタイトルで何度も書いてるよねこの日記ね。

以前と、と言っても人によって、または話題によっては「最近」と認識する場合も少なくないだろう、この場合は一年程前と比較してだが、経済的に安定してきた事により精神的にもゆとりが出てきている。
勿論僕は金持ちではないし(何なら低所得者と言って良いだろう)、同年代の男性と比べたら圧倒的に不利だ。だけれども少なくとも現状を鑑みてため息をついたり、数年後を想像して頭を抱えたくなるような事も減ったと思う。
経済的な安定は、精神的な安定ももたらすのだというのは安定しているからこそ言える事。違うか、貧困の最中にあってもたくましく在る事は出来たし、出来る。
ともあれ、そんな状況になっても豪遊するような気も起きないばかりか、むしろ以前より節制に努めるようになっている。
正確に言えば、様々な観点から出費に対してブレーキをかけるように、気が付けばなっていた。
かつての僕は衝動買いの天才で使いもしないエフェクターや楽器をガンガン買ったりしていたけれども、流石にここ最近は「でもこれ使うだろうか」とか「もっと良いものを持ってるぞ」と思うようになったり、している。
以前は遠出先で出会った決して安くもない中古の機材を「これもご縁だから」と土産が欲しいばっかりに買って帰ったりしていたのにどういう心境の変化だ、これは。
だけれども物質的にも貧しくなった、とは思わない。以前より確実に良い音を出している。思うに、学生時分に衝動買いしては多くの機材を試したりしたというのが自分の審美眼を磨く事を助けてくれたようだ。勿論、演奏してはコツコツと振り返って(そして時にはここに書き付けて)きた事も関係ないとは言わないけれども。
無駄遣いは、出来る時に大いにしておくに限る。お金も、時間も。その場では無駄でもいつかきっと貯蓄としてそれらが活きてくる事もあるのだろうから。

経済的には節制しても、時間を節制するという発想は未だにない。
昨夜も樫山君(孤独部)宅にお宅訪問して、アルコール飲料もなしに気が付けば6時間近く話し込んだり(主に僕が)ふざけたりしていた。
「最近ブログが熱い」とか「誰のブログを読んでいる」とか、そんな話。彼は最近ブログを書いていて、本人は謙遜するけれどもそこには彼の人柄というか、リズムというか、そういう彼らしさが息づいている。もし貴方が孤独部に興味がわずかでもあったりかしやましげみつ君の作品を見た事があったり、あるいは暇だったりしたらこの次に是非読んでみるといい。何なら今すぐでもいい。丁寧で親切な僕はこうしてブログにリンクを貼って(しかも異例の一日記に二リンク、だ)君のブログの布教活動に努めたんだから、少しは感謝してくれよなかしやま君。
わかりやすい宣伝失敬。
兎も角、そんなゆったりとした時間というのを最近は大切にしている。言ってしまえばこのブログ更新だってそうだ。

おっと、スタジオ練習に行く時間なのでこの辺で。連休中にまた書く事も出来るだろう。

土台の話。

普段は寝てるような時間に起きて「寒い寒い」とマウンテンバイクを漕いで職場に向かい「眠い眠い」と思いつつも仕事を頑張って仕事を終えて「明日は金曜日だ」と迫る連休に胸を高鳴らせる。
帰宅して心の底から旨いと思える夕食を、咀嚼回数を30回と決めているのに心が急いて早々に飲み込んでしまい、食べるというよりかは貪るような食べ方をしてしまい、一息ついてまたマウンテンバイクで出掛ける。
お世話になってるライブハウスでビラを貼ってもらい、そのままエフェクター専門店を覗いて友人宅で電子ドラムとベースとギターでセッション。ミキサーに繋がれた弦楽器の音量や電子ドラムの音量は小さいが、しかし演奏しながらでも会話出来るその快適な環境の中、少しずつ想像力を形にしていく。する手伝いをする。
日付が変わらないうちに帰宅してボーッとしたり友人とスマートホンを使って連絡を取ったりする。
こんな平和な一日が楽しいと思える程、充実している事があるだろうか。
ってな一日だった。

近頃は各界の第一線で活躍する人達に密着したドキュメンタリーを観るのが精神的なカンフル剤というか、モチベーションをグンと上げる材料になっている。
名前くらいしか知らなかったバンドに密着した回を中途まで観て、何となく止めた。密着取材の中から浮かび上がるメンバー間の人間関係の親密さに観ているこちらが居心地の悪さを勝手に感じてしまったからだ。
薄気味悪い、とか否定する言葉はきっと出てくるけれども、自分の中にそこまで強固に赤の他人と何かを共有する事に対する未知故の憧れを感じたからだ。
誰かのために、とか何かのためにものを作ったり表現したりそれこそ演奏した事なんて、ほとんどない。そりゃあお祝いの席で特定の誰かの事を考えて演奏したり、とかはあるけれどもそういうのって普段自分が繰り返している事をその時だけ特定の誰かに向けて、フォーカスして行っている事でそれ自体がその行為を行う根本的な動機付けにはなっていない。
僕は僕の行動を全て自分のために行っているし、始めてきた。面白そうだから、というのはそれをやった上で誰かが面白いと感じそうだから、ではなく誰よりも自分自身が楽しめそうだから、であり誰かに協力する事もそれ自体が面白そうだから。
この動機が自分自身、一番しっくりくるし無理がないと思っている。むしろかくあるべし、とさえ思っている。
勿論、その結果失ったもの(僕のそういう部分って必ずどこかで赤の他人にも伝わる。こいつは何よりも自分が楽しみたいからやっているわけで、何かが言いたいわけでも何かを伝えたいわけでも、人に対してどうこうしたいってわけじゃあないなっていうのは。それに気付いて興醒めする人間の事を否定する気はない)もなくはないけれども、結局は些末な問題だ、それは。
世のため人のため、だなんて口が裂けても言えない。僕が楽しんでいるものを楽しめる人がいれば是非一緒に楽しもう、とは思うけれども。面白いものはきっと人を楽しませる力が、力強さがあるだろうからそこを追及すればあとは勝手についてくる、と思っているしこれからもきっとそうだろう。
自分自身の存在さえも相手に含める事なんて、僕はした事がないからその密着映像がとてもとても薄気味悪く思えてしまったのだよ。本人達はとても健やかなんだろうな、と思いながら。
羨ましくないわけがない。隣の芝生はいつだって青く見える。身の回りの人間にだってそういう風に羨むのだ、殊更人を美しく見せるつくりをした、そういう映像が僕に刺激的ではないはずがない。

動揺するのも、また楽しい。
こういう感情も含めて、本日も大いに平和だった。

自分の記録をこまめにする事。

最近毎日のようにブログを書いているのは勿論樫山君(孤独部)達が実は毎日このブログをチェックしている事を知ったせいもあるのだろうけれども、きっと自分自身に対して良い意味でも悪い意味でも神経質になっているからだろう、とも思う。
毎日何をしたか、何を考えたかを記録して積み重ねてこのブログ自体が僕の脳味噌をそのまま移植したものみたいになれば良いのに、と思うし、なんだかんだでもう9年近く書いているこれっていうのはひょっとしたらバンド活動と並べても良いくらい継続出来ている僕の趣味の一つと言えなくもないのかもしれない。
否、言えるだろう。
だからこそこうやって毎日少しずつでも書いて書いて貯めていきたい、モチベーションは下がっていない。
同時に、自分自身に興味が向くというのは何がしか神経質になっているという事の証明でもあるような気もしている。自分自身の変化を記録しておきたい、というのは自分自身を慈しんでいるとも言えるだろうけれども、同時にあっけらかんとしてねえなあ、とも思うのだ。
ま、どっちでも別に良いんだけどね。こうやってタイピングするのは楽しいし、一日を振り返りながら文章化していく作業っていうのは単純にスッキリする事でもあるのだから。そのスッキリ感っていうのが憂さを晴らしたというよりかは「今日の事はしっかり記録したのだから綺麗さっぱり気分を入れ替えて(忘れてしまって)明日も楽しもう」みたいなスッキリ感である間は、そうだな、便秘してないから安心、くらいの気持ちでいられると思っている。
毎日楽しい事をするには前日の気分を引きずるよりかはどんどん忘れていく、くらいの方がフレッシュで良い。

で、日常の自分の記録をより詳細にとるため、だけではないけれども、これまた趣味の一つ、サイクリングをより楽しくするために新しくアプリケーションを導入した。スマートフォンのGPSを使って自分がどこからどこまでどのようなルートで走行したのか、どれだけの距離をどれだけの時間をかけて移動したのか、そして最高速度はどれだけだったのか、そのルートの高低差はどれだけだったのか、等を簡単に記録出来る。
これっていうのはきっと本来スクリーンショットを記録、公開するようなものでもないのだろう。
だけれども、僕は自分の励みにするのと面白がる意味を込めて公開してしまおうと思っている。セキュリティ面はご心配なく、自宅付近ではあるけれども相応に距離をとったところをゴール地点にしてあるので余程の暇人でない限りは自宅を特定する事は出来ないはずだ。


このルートは友人と夕食後、帰路を(自宅付近まで)記録したもの。
いやあ、便利だねこのアプリ。普段だったら普通に走っておしまい、なのに色々な事がわかる。
何度か走った事のある道程だったけれども5キロ近くある事は知らなかったし、自分自身が平均時速15kmで走っている事も知らなかった。最高速度が22.4kmってこれは早いのだろうか遅いのだろうか。
サイクリングしたよ、って時はこういうのを貼っておくだけでより詳細な記録を残せたような気になるから(気になる、ってのがポイントね。僕は別にアスリートではないしマウンテンバイクでどうこう、みたいなのはないのだから)良い。普段の主観に満ちた演奏雑感のようなものだ。

どうして俺は今日の話題の中心になるであろう画像を残しておかなかったのか?

いつもは導入めいた事を書こうと思って相応に本題に入る前に書いたりもするのだけれども、今日は唐突に本題である。
そしてあらかじめおことわりしておくが、本日のブログにはいつにもまして中身がない。一言で言ってしまえば「社員食堂の天麩羅蕎麦が旨かった」で済んでしまう。
「社員食堂」や「天麩羅蕎麦」という単語に何かしら引っかかるものを感じた貴方。オーケイ、きっと貴方の暇潰しくらいにはなるだろう。

仕出し弁当を利用する支店もある中、僕の勤務する支店はそれなりに大きな(この区では一番大きいはずだ)規模になるので幸いにも社員食堂がある。
社員食堂。そうだ、社員食堂である。とても甘美な響き。基本的にはそこで働く者しか立ち入る事を許されない、その場所特有の(大抵は安い)飯が食える場所である。大学時代は学食を食べ歩き、それなりに学食文化を堪能した僕はしかして大学卒業後、家族経営の楽器屋勤務だったので社員食堂という文化に触れる事が一切なかった。代わりに僕が触れたのは仕出し弁当、あれは旨かったなあ。漆塗りの弁当箱を開ける時のワクワク感が良いんだよ。
というわけで社員食堂という文化に僕が生まれて初めて触れたのは、現在の仕事に方向転換してからだった。勤務初日、課長に連れられて訪れた社員食堂で食べた豚の唐揚げ、あの感動は忘れられない。
決して、そう、決して上等な油を使っているわけではないのが伝わってくる、粗野で、しかし気概は伝わってくる豚肉の唐揚げに繊細さというレールで語るには少し路線が違う味噌汁。そう、これが僕の職場の社員食堂初体験である。

それ以降も僕は多くのメニューを社員食堂で食べた。
我が社員食堂の天麩羅はそんじょそこらの天麩羅に負けない程、いや、お惣菜屋のそれよりかは遥かにサクサクしている事を知ったしカレイの姿揚げ煮は180円とは思えないハイクオリティである事も知った。恐らくは業務用の汁を用いたうどんも何故だか繊細な味がして旨いし、味噌ラーメンに関して言えば本当に落ち着く良い味だと思う。夏場に出てくる冷麦は値段の割に量があるし、ざるラーメンは酸っぱいつけ汁が巷で食べられる所謂「つけ麺」なんかとは全く違った角度から攻めていてとても旨い(今まで食べたつけ麺よりも僕は社員食堂のざるラーメンのが好きだ)。卵を二つ使ったハムエッグは目玉焼きの下に隠れたキャベツの千切りも相まってしっかりおかずとしてボリューム感がある。発熱しながら食べたあんかけうどんは味はよくわからなかったけれども、食欲がない中でも胃袋にしっかり収まった。じゃこおろしに酢をかけて醤油を減らす、という方法は社員食堂で教わった。カレーは基本的な「食堂のカレー」で安心出来る。
まだまだ食べていないメニューがあるので、何を隠そう僕は毎日社員食堂ではテンションが上がっている。

何故ここまで我が社の社員食堂について熱く書いているかというと、それはもう今日食べた天麩羅蕎麦が旨かったからに尽きる。
えび天そば、と銘打ったそれはしかし名前に反して立派にかき揚げものって270円、異例の安さも嬉しいが何よりつゆにひたされてもホロホロニ崩れないえびの天麩羅と、その油が染み出したおつゆの旨さに感動させられた。天麩羅蕎麦にホロホロ感を求めるかサクサク感を求めるかは人によって大きく違うだろうけれども、僕は基本的にはサクサク感を求める。
味的に、よりも印象として哀しいじゃないか、折角のえびの天麩羅がだよ、衣がホロホロになってえびが剥き出しになっちゃって、っていうのは。それが好きな人がいるのは認めるけれどもさ。
で、社員食堂のえびの天麩羅は崩れなかった。まずそこに感動。しっとりしつつも天麩羅然としたそれをかじって蕎麦をすすって、一唸り。かき揚げは適度にホロホロになって、その油が溶け出したおつゆをすすって二唸り。
決して派手さはない、けれども、しみじみ旨い。
そんな一杯だった。
おつゆに溶け出した天麩羅の油が、照明を浴びてキラキラ輝いていた。節電の関係か少し寒い食堂も、胃袋の中からじんわり暖かくかんじられた。

社員食堂、最高。
我が社の社員食堂、大好き。

サイクリング、面接、福山雅治。

サイクリングの醍醐味は「どこかへ行く」の「どこか」の部分ではなく「行く」の部分にあるというのが持論。
お気に入りの自転車に跨ってペダルを漕ぐ行為そのものに目的がある。この一見、手段が目的であるという矛盾した発想がその実サイクリングを楽しむ上では根っこの部分で大事な事になっており、それがただの自転車移動をサイクリングたらしめる大きな要因だと思うのだ。
というわけで土曜日はstudio penne君(今やバンドメンバーとなった彼のwebはとても感じが良い。本当に、とても良い。ナイスセンス、だと思う)と大須→港区買取王国→名古屋ベイシティ→外資系大型玩具店→カインズホーム ブックオフバザールと大体そうだな、15kmくらいは自転車を漕いだ。ひょっとしたら、もっと。「リサイクルショップを巡る」という目的を据えた上でああでもないこうでもない言いながら寒空の下、移動行為を楽しむ。
結局買い物なんて僕は何一つせずに、studio penne君も漫画を二冊買っただけだった。
「次に行くリサイクルショップには何があるかな」なんて言いながらペダルをジャコジャコ漕いで移動する。
「車の中は移動する密室である」と言ったのは後藤喜一第二小隊隊長(機動警察パトレイバー)だったか。移動しながらだとオープンな自転車でも変にかしこまらずに話せる。ちょっと普段ではなかなかしないような、込み入ったというか繊細な話とかもしながら(そりゃあ僕達も良い年なので)、移動した。
普段は車移動の印象が強いstudio penne君もサイクリングを楽しんだようで何よりだった。長時間サドルに座って、お尻が痛いと言っていたけれども。
明け方まで映画を二本観て就寝。月額約千円で映画見放題って最高じゃないか。

昼頃起床。
仕事の関係で面接試験が入っていたので慣れないスーツ(体格がほぼ同じな課長が貸して下さった。自分所有のものはサイズが大き過ぎるのです)に身を包み、髪の毛もパリッと固め面接会場の支社へ。
三人待ちの廊下の、僕は何と三番目。前の二人がうまく喋ったり良い感じに人柄を発揮しているのをなんとなく声だけで聞きながら兎に角緊張する。
言ってもなかなか信用して貰えないのだけれど、基本的にはアガリ症で人前で自分の考えを話すのは得意ではない。ましてや面接試験なんて!心がボッキボキに折れそうになるのから必死に目を逸らして、どうにか退室。自分の不甲斐なさに畜生畜生次は次こそは、と口の中でブツブツ言いながら帰宅。
ヘアムースをシャワーで洗い流して、予定していた友人と出掛けた。
日付が変わるまで大いに遊んで帰宅。そして今、だ。

ドキュメンタリー番組で福山雅治が言っていた「ものづくりをする時は基本的に精神はアマチュアだ」という言葉にハッとなる。プロだから、これがお金になるから、とかではなくてそのものづくり自体が「楽しいから」というある種アマチュアの心意気で出来るか、という事。「表現が手段であってはいけない、表現は目的でなければいけない」というのは、意味が重なる。大変、刺激を受ける。
明日からまた一週間が始まる。
人生の刺激は、自分自身でどんどんと自分の進路上に置いていかねばならない。転がり込んでくるのを待つよりは、建設的だ。


スーツ姿、しかめっつらの私。

残るにはわけがある。

さて、久しぶりに機材の話でも。

ここに楽器やエフェクターの事を書いていない間にそれなりの数のペダルを試したし、実はアンプヘッドも買った。
アンプヘッドは抜群に気に入っているし(1Uサイズなのでラックケースに入れてそれをさらにリュックサックに入れて背負って持ち運んでいる。ギグケースもついていたのだけど取扱説明書に『ヘヴィーに移動するミュージシャンの皆様にはラックケースをお薦めします』と書いてあったので。ヘヴィーに移動するミュージシャン、かどうかはさておき、マウンテンバイクで移動しまくる薄汚いバンドマンである事に違いはない)、毎ライブ毎練習、本当にストレスがなくなったので演奏に集中出来る。
アンペグの破壊力はあるけど射程距離が短いどころか近接戦専用な音の飛び方は演奏する時にアンプにへばりつかないといけないし、ハートキーのあの何だか薄皮一枚隔てたような出音はどうにも性に合わない(それぞれのアンプの愛好家の皆様、ごめんなさい。僕が極端な音を出しているからというのも大いに関係があります)。
ギャリエン・クルーガー製のアンプを買ってからというもの、僕はズッコーーッンと飛び出してくるアタックとタイトな低音に毎回ニンマリしている。
いけない、話がいきなり本筋から大きく逸れた。アンプを買って快適ですよって話がしたかったわけではなくて、色々買ったりしている中で気付きも得ているという事を今日は書いておこうと思ってPCを立ち上げたのだった。

BIG MUFFというエフェクターには憧れもあるし、実際多くのギターリストから愛好されてきたそのペダルとしての存在感に畏敬の念と言ったら言い過ぎだろうか、僕は何がしかの特別な感情を抱いている。
某月某日、大型質屋でBIG MUFF Pi with Tone Wicker、通称白マフが中古で出ているのを発見、しばし悩んだ後に「前から気になってたし」という事で購入した。果たしてベースギターとの相性は、と一瞬気にはなったけれども



この動画が僕の背中を押してくれた。
その後、スタジオ練習にて自分の機材との組み合わせは如何に、と何度か鳴らしてみた。うん、悪くない。
けれども正直、毎回ガンガンいきたくなるような、そんな求心力はなかったのも確かだ。どうにもあと一歩、みたいな感覚が自分の中にあった。

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というわけで検証がてら、普段愛用しているベースビッグマフ(WAXX mod.)と比較。
ビッグマフの純粋な愛好家の方には怒られちゃうかもしれないけれども、やっぱりブレンド機能って自分の中では思っていた以上に大きな要因だった事がわかった。
ファズ単体だとどうしても音がへばりついた感じになるというか、奥行きがなくなるのが気になるのだ。今のこの時代、ブレンダー使えばいいじゃんという話なのだけれども、ペダル単体でブレンド出来るっていうのはやっぱりトラブルを防ぐという観点からも、持ち運びの観点からも、そして「多機能だなコイツ」と嬉しくなっちゃ観点からもおいしいものがある。
白マフのトーンバイパスモードのガツンとくる音量って凄いものがあるし(ベースビッグマフではフルアップしてやっと同じくらいになった)、ボリボリとした歪み方もおいしいけれど、ベースビッグマフの利便性に軍配が上がる。
というのもやっぱりどちらもBIG MUFFの匂いがするからなのだ。極端に音が違えば比較出来ない、となったのだろうけれども(少なくとも論調は変わっただろう。今回の比較は結果的に違いを楽しむ、ではなくどっちが自分にとって良いのかという点からの比較になってしまった)、どちらも歪ませた時の匂いというか雰囲気というか、どうにもBIG MUFFである。
ブッシャーと歪むベースビッグマフ、ボリボリ歪む白マフと同じビッグマフでも意識されたモデルが違うだけに音は異なる。
でもまあ、諸々込みで僕はやっぱりベースビッグマフ。重心低めであるながらブッシャーと煽るような歪ませ方が出来るのはこれならでは。もし自分がリードギターを弾くギタリストだったとしたら白マフ、滅茶苦茶気持ち良いんじゃないだろうか。

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以前も書いたBEHRINGER RV600 リバーブマシーン。もう、大好き。
最近漠然と感じているのだが、出音にも嗜好の変化が出てきたのかもしれない。
今までは過激な飛び道具ばかりを求めていたのだけど、最近は綺麗な空間系って良いよなあとディレイやリバーブに心奪われる。
このリバーブは、僕の肉声の一つになるくらい常用していこうと思う。

自分の手元にある良いペダルを時折その存在を忘れたり、というか意識しなかったり置きっぱなしにしたりもするけれど、新参者が来てそういう機材と二者を比較すると『なんとなく』手元に置いてある機材の良さに気付かされる。
あー、楽しい!

明るい日本の見本となりたい

毎日毎日その時々の可能な範囲ででも地に足つけて生きていれば、きっと多かれ少なかれ他人に影響を与えたり他人から与えられたりするのだろうなとは思うのだけれども、近頃はそれっていうのが結構、そう自分が思っていたよりかは人に影響を与えていたりするんじゃないかってそんな風に思う。
影響を与える、というと仰々しい事のように思えたりもするんだけど「あの人が旨いって言ってたからたまごかけご飯にめんつゆを使ってみようか」とか「そういえばこれが面白いってtwitterで誰かが言ってたな」とか、そんな何なら自分が出自のものなのかどうか明確でなくても良い、きっとそういう風に影響を与えた事って自分が思っていた以上にあったんじゃないかと、そんな風に考えている。ひょっとしたら、もっと大きく深く、人様の人生に影響を与える事だって。

ちょっとした自覚が芽生えてきたから、さあいけない。全力でそれを無視しないといけない。僕のように自尊心だったり自己顕示欲だったりの塊のような奴は誰かに何かをしたとわかったらさあ大変、「俺はこんな事をした」と気が大きくなってしまうからね。そこでグッとこられられたら少なくとも見た目は大人、何も感じず肌シャツを着るようにそんな自分を自然と受け止め、意識さえしなかったら本当の大人。
僕みたいに意識しないようにしようとしている奴は何とも中途半端だ。
大変、結構。どうせこんな事書いたのも忘れてしまうのだ。忘れてもいいように書いているわけだからね。


滅法旨いぞ、なか卯の京風山椒。
牛丼の良し、うどんに良しって君は最高か。

I want to ride my Bicycle



これ、僕のメイン移動ツールであるマウンテンバイク。
詳しい型番等は知らない、かれこれ2年程前になるだろうか、当時乗っていた、兄から譲り受けたプジョーのマウンテンバイク(刑事コロンボが好きだもんだからプジョーである事に興奮した)がもうボロボロになって乗り換えなきゃなあと思っていたところ、職場の上司のご学友が家業で自転車の卸をやってらっしゃるとの事で特価で譲って頂いたもの。
カタログを見ながら「兎に角ガンガン乗れて、扱いに神経質にならず、そして早くて楽なもの」とオーダーしたところ、これを薦めて貰った。
確か鶴舞K.Dハポンでライブがある日に入荷した、と報せが来て買いに行ったその足で会場入りしたのだった。後ろの荷台はエフェクター等を括り付けて運べたら便利だろうと後日追加注文したのだが、残念ながら僕のような荒い運転だとボードの中が衝撃でぐちゃぐちゃになるので、今は背負ったベースケースを支える台、くらいの役割しか果たしていない。外してしまってもいいんだけれども、なんとなくそのままだ。
チェーンも錆びていたしギアも酷い状態になっていたので最近近所の自転車屋さんでメンテナンスをして貰ったところ、恐ろしく具合が良くなりサイクリング熱再燃、通勤や移動だけでは飽き足らず夜な夜な自転車に乗っている。

サイクリング友達、というか単身でも考え事をする際等は自転車を乗り回しているらしい田中みな(ゲボゲボ/または田中)さんと「久しぶりにいっちょ行くか」という事で夜更けのサイクリングに繰り出した。
本番前になると集中してあまり人と出歩かなくなる(本人談)田中さんと、ここ最近の空白を埋めるように色々な話をした。
周囲に気を遣いつつもゲラゲラ笑ったりしながら夜道を走る二人は傍から見たらどんな二人に見えただろうか。実際のところ、僕達は性別という大きな差異と年齢差を超えた良い友人である。
夜の人間が多く集まる量販店から名古屋駅、そして人気のないシネマコンプレックスの屋外喫煙所と色々巡った。目的なんてない、強いて言うのであれば移動する事が目的だ。つまり過程こそが目的。こういうのを一緒に楽しめるのは良い友人だ、と僕は思う。いや、良い友人とだから一緒に楽しめるのか。

移動が楽しい、って幸せな事だ。目的を達するまでの、その過程も楽しめるのだから。

さぼった分一気に書こうってわけじゃあないけどさ。

土曜。
自動車学校で学科教習を二枠受講する。午後からの講義だったのだけれども、どちらの講義でも教習生の皆さん、眠そうで教官も定期的に眠らないよう、注意するのが忙しそうだった。
一方僕はというと、やはり眠たくはあったのだけれども背筋を伸ばしてニコニコするという攻略法を発見、無事に学科教習を乗り切ったのであった。
無事にto doを終えたので舟橋の週末が始まった。先週の京都の反省会(映像資料を参考に振り返ったのだけれども、この日この日では前の週の方が圧倒的に良い演奏をしていたように思う。理由は色々と思い当たるところもあるけれども、結局経験不足と練習不足、くらいにくくって置いた方がこういう場合は建設的だ。全員が全員、きちんと現状を理解しているのであれば重箱の隅をつつくような反省は必要ない)を金森君宅で行い、その足でspazio ritaにて行われたゲボゲボの公演を観に行った。
観終わった後には、これは全く否定的な意味ではなくって、疲れた。役者陣の演技がとても見応えというか「観せる力」があって、その力量たるや!脚本に関してはもっとえぐり込んでくるようなものを突き付けられるんじゃないか、と少し構えていただけに、ああいう(観てない人もいる中でこういう表現って不親切だよね、ごめんなさいね)王道エンタメ路線で終わるっていうのは何だかちょっと意外な感じがあった。
夕食は関西よりゲボゲボを観劇しに来た友人と一緒に山岡家へ。チェーン店のラーメン屋って申し訳ないけれどもあまり好きになる事がない、というか僕みたいなオタク気質の人間って「ここでしか食べられない」みたいな貧乏性を飲食に関しても欲してしまうというか、そういうのがあるんだけどれども今や深夜に食べたくなるラーメン第一位だ、山岡家。
山岡家の特製味噌ラーメンはしみじみと、旨い。

日曜。
正午より今池の練習スタジオにてパイプカツトマミヰズの練習。吉田君が妙に御洒落だった。
スタジオ常設のベースアンプを使ったのだが、ここ最近の常用で自分が如何にギャリエンクルーガーの音のキャラクターに慣れてしまったかを痛感出来た。マイアンプが楽、っていう、当たり前といえば当たり前なんだけど、そういう恵まれた環境を再認識する事が出来た。
楽器を担いで帰宅後、今度はエフェクターボードだけ担いで吹上 鑪ら場へ。この日はノイズバンド(この説明であってるかと言われたら多分間違っているのだけれど、一言で説明する時にはこれが楽だから便宜上こう言うようにしている)in the poolちゃん二度目のライブ。
前回の演奏後に行われたバンド会議で提案された「文字と音楽をバラバラにして再構築」云々を実践する試みとして「吉村さんが頭の中に浮かんできたテキストをプロジェクターで投影、同時に読み上げソフトを使って音声出力、そしてそれより刺激を受けた音楽を鈴木、舟橋が即興で構築、またその音楽がテキストに影響を与える」演目、題して『もじぴったん』を行った。
前回の演奏(ちなみに初回の演奏を完全ノーカットで音源化した『Live at前回1』という音源をこの日より販売した。吉村さん曰く"簡単"だけれども僕から見れば十分手の込んだ装丁込で200円。ミックスは鈴木君がしてくれた。まだ何枚かあるので今後のライブ会場でも売ります『Live at前回1』。多分、『2』も出てくるけど)よりもやりたかった事が出来た感があった。
もっと良くなるまだまだ良くなる。面白い事がまだまだ出来そうなのでin the poolちゃん、今後も宜しくお願いします。
肩の力を抜いてふわっとゆるっと面白そうな事に挑戦していきます。


この日共演した加藤美和子さんと。
ギターを初めて二ヶ月って言ってたけどあんなに弾けるもんなんだね!
実は同い年で、僕の良き理解者です。

ちなみに機材面での備忘録。この日はelectro-harmonixのRTG(ランダムアルペジエーターっていうのかな)にオクターバーをカマしてギターアンプより出力、mooger foogerのローパスフィルターを発信させてベースアンプより出力した。mooger foogerの自己発信は音楽的な音だったので、多分今後も使っていくだろう。でもやっぱり自作楽器に挑戦してみたい欲求がある。

月曜。
仕事後、欲求に忠実に、結果的にサイクリング。
一時間くらいかかるだろうと想定していた道程を40分程で走破したので、それってつまり直ったマウンテンバイク最高って事。
夜中のファミリーレストランで友人と差し向かいで話をしたのだけれども、なんだろう、言葉をそこに置いてその言葉で相手がどんな反応をするか、何ならそれを想定した上でその次を読む、みたいな対局のような会話をした。
意識的にしろ無意識にしろ、人間ってコミュニケーションに言語を用いる際は「自分のこの言葉がどのような影響を相手に与え得るか」を意識するものだと思うのだけど、この夜はほぼほぼずっと、それを意識したというかさせられたなあ。
悪い気はしないものだ。イタイところを突かれるっていうのもね。

「こそこそと」



僕の友人は絵を描く事が出来る。素直に羨ましい、と思う。
僕の友人は音楽を作る事が出来る。素直に羨ましい、と思う。
僕の友人は映像を作る事が出来る。素直に羨ましい、と思う。
僕の友人は写真を撮る事が出来る。素直に羨ましい、と思う。

僕が羨んでいるのはその腕前やその結果ではない。物事に打ち込む事自体を羨んでいる。
勿論僕だってそれらは出来るし(何ならちゃんと人前で披露するし時にはそれでお金を頂戴する水準のものだってある)、僕だってきっと人から見れば羨ましがられるものは持っているはずなのだ。
だけれども僕は素直に羨ましい。家で夜、一人で丁寧に丁寧に折り重ねて編み上げて製錬していく、その工程が羨ましい。
なんともそそるではないか、自室にて深夜、あーでもないこーでもないと自分自身のクリエイティビティだけを相棒に無限の可能性を秘めた表現の海原へ漕ぎ出していくだなんて、最高の贅沢な時間じゃなかろうか。
好きでその手段を選択した以上それは、どれだけ経済的対価を得ようとも本質的には趣味的な部分も持ち合わせているはずで、結局何が言いたいかというと僕は一人で自室で「こそこそと」楽しめる趣味らしい趣味がないというわけなのである。
僕って専ら人と交わらせて面白い、みたいなものの作り方をするもんだから自室で「こそこそと」っていうのは気質的には興味がない。だからこそ、羨ましい。
職人みたいで格好良いじゃないか、という、何、大した話じゃない、そんな次元の話だよ。
アイデンティティに関わったりは間違ってもしないし、何かを表現する際にその「羨ましい!」という感情が影響を及ぼすだなんて事も恐らくはないだろう。
昔でこそ自分一人で表現物を作る事に挑戦しようともしたけれども、続かない。出来上がる前に続かないっていうのはこれはもうそれがしたくないからだ、と諦めた。現状確認、前向きに、撤退!
悩んだりもしなかったわけじゃあないけれども(一時期は自分の中から出てきたもの、自分純度100%の表現に憧れ、それをどうにかして形に残したいと悪戦苦闘した。それに諦めた次はじゃあ自分のライフスタイル自体を作品にするしかないと思った。しばらくして、僕は自分の中から出てきた作品を人を巻き込んで形にする事に成功する)、どうせ世の中から他人がいなくなる事なんてまず在り得ない。そして他人から受ける刺激も自分の中から湧き起こる何かもそれを咀嚼する事で表現のきっかけとするのであれば材料という意味では結局は同じ、表現を成立させる段階で人を巻き込むという事はその行為自体が自分の表現の一部なわけだし、潔癖なまでに自分自身100%に固執する事が決してクリエイティブだとは思えなくなった。
僕が上記のような自室で「こそこそと」表現を重ねる事が出来る人間を羨むのは、きっと単純な憧れからだろう。
孤高のスナイパーを格好良い、というのと同じようなものだ。
一人で成立する趣味を持っている人間は格好良い。

じゃあなんでこんな事書いてるかっていうとだね、僕が夜中に自室で「こそこそと」楽しめる趣味の一つがこれだからだ。
ブログ更新。ふふふ、いいでしょう!!
あ、あとこんな趣味もあったな。

まるで、こんなんじゃあ。

昔程自分自身の話、つまり自意識や内面の葛藤(字面にすると何故ここまで青臭いのか)について長文でだらだらとまくし立てたり書き綴ったりしないのかというと、きっとそれは変に不安定でないからだろう。
昔このブログ(こういう時につくづく嬉しく思う、長い間ブログを書き綴ってきて良かった、と)に承認欲求剥き出しでそういうドロドロッとしたのを垂れ流していた頃と比べると、今の僕には当時よりかは成したものがあるしこの先成せるものも多いと感じている。自分自身をきっちり等身大で肯定出来るし必要量だけの否定も持ち合わせているつもりだ。
そうなってくると日々気付く事こそあれど、自分自身で声を大にして肯定してリカバリーしなきゃいけなくなる程の自己否定もしなくなってくるし、否定の後の、これまた声を大にして書き綴りたくなる程の気付きというのも得難くなってくる。
全ては積み重ね、どんどん研磨していった結果ではあるのだが、正直なあ。なんだかなあ。
安定こそはしているけれども、つまらないっちゃつまらないのだ。
日々の自分の行動や体験だけの記録だなんて、まるっきり日記じゃあないか。
僕はこのブログを僕並に僕に忠実にしたかったりするわけで、だからこそ日々の心境の変化や自意識と向き合った末の些末な変化も漏らさずに書き記しておきたいのだ。

ここ最近の、安定して、そりゃあ色々と失うものも得るものも多いけれども、それでも自分自身を決して裏切らないのは自分だけで、そこをクリアしたからこそ人と交わった際の自己に価値があるという本来の考え方を強く意識している僕はここ数年では一番安定しているのかもしれない。
日常の憂鬱も今まで生きてきた事とこれから生きていく事を考えると途端にその肉薄している生々しさを失い等身大のその姿を取り戻すわけだし、根拠もなくこれから先は昨日よりもっと楽しいと思っていた数年前よりかは今の方がその思いに根拠が感じられる、そんな時間を重ねている事を鑑みれば当然これから先の人生も自分がそうであろうと望めばそういう方向に向かうはずだ。

そして気付いた。こういう風に書き綴るというのは自慢であると同時に、きっちり今現在の自分の心情を書いているわけだし、ちゃんと記録だよな、書いた価値あるよな。
2014年11月の舟橋の忠実な記録。
ここまで読ませてごめん、特に展開する事もなく、ただの記述で終わってしまった。
お詫びに今夜撮影した吉村桜子さんの可愛い素敵な写真を貼っておきます。


女の子の可愛い画像が謝意の表明になる、と知ったのは同じく可愛い女の子が好きな遠方の友人の振舞からだった。

11月頭の三連休の巻。

舟橋は毎日元気に、あ、ごめん嘘だ、ここ最近は風邪をひいて相応にひいひい言っていましたが、生きております。
季節に変わり目になると毎回律儀に風邪をひいてしまう。栄養のある食べ物もよく摂っているしこれはもう完全に怠慢のせいですね。
さて、そんな体調を崩しつつも活動的だった三連休のお話。

三連休初日は自動車学校で技能教習からの、友人と静岡県のさわやかへ。
さわやかというハンバーグチェーン店の存在を知ったのは数年前だろうか。SNS上でさわやかという屋号と共に目に飛び込んできたそのげんこつハンバーグの写真は何だか妙に気になって心にずっと留まっており、その後何度もその写真や「俺も行った」「私も行った」という友人同士のやりとりを目にしたりしてるうちに「僕も食べたい!」と相成ったというわけ。
けれどもなかなか行く機会に恵まれず、in the poolちゃん(このノイズバンドについては遠くないうちにwebとか出来るんじゃないかな、多分、きっと)+かしやま君(孤独部)で「さわやかを食べに静岡へ行くツアー」を日程調節して計画、そしてこの日遂に舟橋は静岡の地へ降り立ったというわけ。
さわやかはチェーン店なのだけれども、何故だか東海圏には全くないんだなあ。というか静岡県下でしかチェーン展開していない。いや、本当に心待ちにしていたよ、さわやか。

45分の待ちをすぐ近くのリサイクルショップでやり過ごし、着席した我々は皆、一様にげんこつハンバーグセットを注文。
ハンバーグが席に運ばれナイフを入れられると(さわやかのげんこつハンバーグは外だけ焼いてあり中は赤いまま、それを席で切り開いて中も焼いてくれる。とってもジューシー)「ジューッ!!」というあの甘美なる音が鳴り響く中、もう皆目が期待で輝き、結局最後の一口を食べ終えるまで誰も言葉を発する事はなかった。
皆が皆、目の前のげんこつハンバーグに集中していた。
さわやかのげんこつハンバーグ、「肉」という感じがして物凄く旨かった。


たまらなかったよ、さわやかのげんこつハンバーグ。また喰らいたい。

翌日、連休二日目。
サポートでベースギターを弾いているMoNoSiRoの遠征で京都へ。
諸経費を負担するのは現在唯一の正規メンバーの金森君とい事で彼の負担を軽減するために行きは名阪国道を使う。時間的に想定よりも時間がかかってしまい、全員それなりに疲弊する。この辺りから体調不良をなんとなく感じており、リハーサル後には完全に風邪の初期症状に苛まれた。
この日のMoNoSiRoの演奏、そしてそれに向かう精神面での話等を帰りの車中でしたのだけど、いや、実にフィードバックの多い遠征だったと言えるだろう。バンド活動や音楽を作る上でのモチベーション等、金森君と沢山話が出来たのもこの日の演奏があったからこそ。
木屋町DEWEYは先月のパイプカツトマミヰズの遠征とこの日を含めてまだ二回しか行けていないけれど、音も良いし雰囲気も働く皆さんの人柄も素敵で大好きだ。
演奏終了後は発熱を感じたので面目ないけれども車の中で暖かくして寝ていた。

連休最終日、三日目。
盛り沢山だった連休最終日はONE BY ONE RECORDS柴山社長と奥さんの結婚5年目の結婚式後の二次会に参加。
伏見の地下に160人もの人が集まり、盛大なパーティーでした。集まった人達の人数も顔ぶれも、そのまま柴山ご夫妻の人柄を表している。素敵な場所でたらふく飲み食いして笑顔で過ごした、となるはずだったのに発熱を引きずって食欲がないまま、変な顔色で笑顔で過ごした。
熱に苦しみながらも柴山ご夫妻が入場してきた瞬間に「来て良かった!」と感動した。あんな幸せそうな柴山さんもそうそう見れないはずだ。いつも楽しそうな人だけれども、この日の柴山さんは幸せを噛み締めている、終始良い顔だった。

夜はウェディングギグという事で今池HUCK FINNにて柴山さんの大好きなバンドがガツガツお祝いがてら音楽を演奏するライブイベントにて、本当に本当に久しぶりのi GOでのサポートベースギター演奏。
練習スタジオに入る間もなく決まった話だったので(茜谷さんちで確認だけはしたけれど)バンドでの演奏はぶっつけ本番だったのだけれども、やっぱりこういう良い日には良いヴァイヴスが出る。久しぶりにHUCK FINNのベースアンプで鳴らした青色のSBVも、以前の記憶のままのアンプのセッティングにしてとりあえずガンッと弾いたら物凄く力強い、ヤンキーみたいな音が出た。あの音が出た瞬間に久しぶりの演奏である事の緊張感(やっぱりどれだけお祝いの席でパーティーであったとしても人前で弾くっていう行為には未だに緊張感を感じるのだよ)は消し飛んだ。良い演奏が出来ないはずがない。
友人の記念すべき日に、俺のベースギターよ、唸れ叫べ祝福せん、と思いの丈をこめて演奏した。
気付けばご夫妻がステージサイドで見守っていて、そして半ば想像していたけれども柴山社長もコーラスマイクで歌っており、そして昨夜のナイスヴァイヴスはとてもとても素敵な瞬間を僕にくれた。
実はね、昨年末に柴山さんとはちょっと諍いがあって。そこから数ヶ月間顔をあわせても話もしないし目も合わせない、みたいな時間を結構重ねてしまって。最終的には柴山さんが連絡を下さってその空白の数ヶ月を埋めんとばかりに3時間も話し込んで無事に仲直り出来たのだけれど。
昨夜、柴山さんが弾みで僕のシールドを抜いてしまい、当然音が出なくなって僕は思わず笑っちゃって、柴山さんも笑顔で「ごめんごめん」ってしてくれたんだけどその瞬間に思わず「ああ、本当に仲直り出来て良かったな」って思って、気付いたらHUCK FINNナベちゃんがすぐにリカバリーしてくれてもう音出てるのに、そして当然のようにその瞬間も演奏中なのに僕、柴山さんにハグしてた。
柴山さん、出会ってからがあって、あの空白の時間があって、それでその後があってこの日があって、あの瞬間があって。本当に有難うございました。
ご夫妻、末永くお幸せに!

多くの人の笑顔と歓声と、そして感動の涙に祝福されてイベントは無事終了。
終演後、演奏前にはあれだけ悪かった体調が嘘みたいにスッキリしていた。熱もきっと演奏でかいた汗と一緒に下がったのだろう。
とても健やかな気分で帰宅。

自己紹介

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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