ドン・マツオwith BLACK TEACHERSを観た!

昨夜は今池TOKUZOに紙コップスとドン・マツオさんを観に行った。
紙コップスは結成した頃から「知って」(決して続けて"観て"きたわけではない。それでも定期的にライブを観てる気がするけれど)いるけれども、バンドとしては当たり前の(だけれどもその当たり前がない事もままあるのだ)「オンリーワン」感がある。何かに例えるのが褒め言葉か、という論旨はよく耳にするけれども(これまたセンシティヴな話題ではあると思う)、つまりそれって例えようがないっていうのも褒め言葉にはならないという事を意味する。けれども褒め言葉として使っちまうぜ、紙コップス、他にないバンドである。癒しもあるし茶目っ気もあるし音楽的構築美もそして破壊もある。

そしてドン・マツオさん。
ソロアルバムを2月にリリースしたばかり、この日の名古屋から全国ツアーを開始されたドンさん。面白いのがバックバンドを連れていくでもなく全国各地でその土地のミュージシャンとその日限りのバンドを結成して、その場その時その空間の熱量、音楽を共有してその場でどんどん曲を発展させていくライブを展開されている。
それってなかなかない事だし凄いな、と思ってしかしいざ考えてみると、でも音楽って本質的にはそういうものなんじゃないだろうかだなんて思ったりする。
決められたフレーズを決められたように弾いたとしても、だ。その日の自分のバイオリズムと演奏メンバー(例えそれが固定メンバーであったとしても)のバイオリズム、呼吸の違い、それこそ演奏前の食事で何を食べたか、様々な要素でそのフレーズの鳴り方、他の演奏者への介在の仕方は変わってくるはずであり、だとすれば音楽というのはそもそもそういう「不確定であり変化し続けるもの」であるのかもしれない。否、あるのだろう。
勿論ドンさんのやられている事って誰でも出来るわけではないし、その場の空気や情熱、モチベーションや気配を読んでそれを膨らませたりもっと高次元(演奏の精度の話ではなく。ある一点を突破する快感というのが演奏する側、作る側には間違いなく、ある)へいこうと煽ったりというのはご本人も終演後に仰っていたけれども「海の波を見るようなもの」で、だからこそそれをツアーの夜毎に全部やろうというのがドンさん凄いというか、音楽に正面切って臨まれている姿勢がとても刺激的というかこちらの腹の底をグッと刺激されるというか金玉に響くというか、ガツンとやられたわけですね僕ァ。
とても刺激的な瞬間を目の当たりにして、一演奏者として良い意味でここ最近抱いていた発想がブチ壊されたというか。
構築と破壊を繰り返して残ったものをどんどんとアウトプットしていきたい。
そして、ドンさんのツアー四日市編では僕がベースギターを弾かせて頂く。
未知数の体験だしそりゃあ勿論緊張もするけれど、兎に角一緒に良いものを、と思っている。物凄く楽しみだ。
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手を動かせ、そして足を使え。

「世界がどのように回っているか、を貴方がどう考えているかを提示出来るものが演劇である」という一つの定義は至極しっくりときた、僕にとって。思えば僕はずっとそんな風に、その時々の自分の考え方を自分が作るものに織り込んできたのだった。
演劇とは何か、いや、そもそも自分にとって表現行動とは一体何なのかという事については今一度改めて考えてみるのも思考ゲームじゃあないけれど、面白い事だった。

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「表現欲求を元手に表現活動をしていればアーティストなのか」。
アーティスト、という言葉に何よりも先にまずある種の胡散臭さを感じるという事は、僕がその言葉に特別な何かを感じている/感じたいという事の証明になるだろう。つまりアーティストという肩書(別にここはなんでもいいだろう、ミュージシャンでもいいしクリエイターでもいいだろう)だけの、それ「だけの」人間は沢山いる、という風に感じる事が少なくなかったという事だ。
本来は敬称のように使いたい言葉ではあるはずなのだけれども、言葉の持つ意味さえ変質して僕の中に落ち着いているという事はそうでもない実例を相応に見たという、つまりこれは無意識から出てきた拒絶反応なのではないかという事。
僕?僕は自分を特別な何かだと思ってはいない。はっきり言ってしまえば謙遜でもなんでもなく、能力値で人間を均一化して比較するのであれば秀でているものなんてないと思うよ。あ、でも少しだけ他人より行動力があるのではないか、と思っている。
兎に角、積み上げてきただけである。面白い事をやってきた、やっているという自負だけは、ある。いやこれは気概かもしれないけれど。
僕がどういう存在なのかは僕が定義する事ではないのではないか、と言ってしまうとこれは巧妙な、或いはそうでもない逃げ口上のようかもしれないけれども、結局そういうのって他人がどう思っているかで、僕自身のやる事は変わらなかったりする。
ただただ面白い人間で在りたいな、とは毎日のように思っているけれども。
大変話が逸れた。なんにしても樫山君が行った「えんげきけんきゅうかい」は参加して良かったと思う。想像していた演劇の研究会とは違ったけれども、良い機会になった。
あと正午過ぎから行われたこのイベント、地下にあるお店から出た時の外の明るさが何だか妙に得した気分になって、あの瞬間の多幸感ったらなかった。

この週末は楽しく頭を動かす時間も多かったけれども、同時にベースギターをよく弾いた週末でもあった。
土曜はMoNoSiRo練、日曜日はかつてはMoNoSiRoでドラムをたたいていたコジマ君と二人で3月頭にあるサポート活動のためのスタジオ練習。
毎晩のようにシコシコと家でベースギターを弾いているのだけど、やはり録音データにあわせての演奏よりも生ドラムとのアンサンブルの方が自分の中に落とし込める情報量が圧倒的に多い。やっぱり手を動かさないと、というと家での練習は何なのだとなるけれども、やっぱりバンド演奏のための練習だもの、完全に自分の中に落とし込むのは合奏で、となるのは自然な事だとも思う。しかし彼がMoNoSiRoを去って以来久しぶりに一緒に演奏したけれども、何だか以前の彼よりもマッチョな出音になっていて大変具合が良かった。忙しいようでドラムを叩きまくる、って時間を最近はなかなかとれないでいるらしいのだけれども、流石。

kaleyyyyyyy
練習が終わった後、梶藤君(26時)の家へ。
前夜に彼がSNSにアップロードしていた手作りカレーの画像を見てどうしても食べたくなり、夜中にも関わらず彼の好意に甘えたというわけである。
「特に変わった事はやっていませんよ」という彼の手作りカレーは果たして、物凄く旨かった。
ジャガイモってカレーライスに於いてはポピュラーな具材じゃないか、それこそ存在感でいったらバンドアンサンブルの中に於けるバスドラムくらい当たり前に自然とそこに在る。
梶藤君のカレーはジャガイモのサックリホッコリした食感、そしてきっちりと「大地の味」を感じさせる後味といいジャガイモの存在感が丁寧に演出されていた。煮込む時間も、皮の剥き方も考えがあっての調理との事。お見事。カレーライスを食べて「肉嬉しいなあ」とか「ルーが秀逸!」となる事はあっても「ジャガイモって旨いんだな」という感想を抱いたのは初めて。勿論ルーも旨かったし、ばら肉の方に投入された挽肉も良い仕事していた=旨かった、けれどもジャガイモをジャガイモとしてきっちりアンサンブルの中で活かした、という事実がひどくインパクトがあって、そしてそれがとても食べ応えのある一杯の一因として機能していた。
大変おいしゅうございました。
カレーを食べた後、差し向かいでの話も大変面白かったし有意義だった。
一日の決着のつけ方としてはとても充実した時間だった。

岩井俊二『四月物語』に対する俗っぽい感想をバスバスッと書く。

岩井俊二監督作品『四月物語』を観た。
よく考えたら岩井俊二作品って『スワロウテイル』を大学生の頃(つまり今から10年程前だ。ぞっとするね)に観て以来だ。
これから『リリィ・シュシュのすべて』とか『PiCNiC』とか観ていくのだろうけれども、なんだろう、まだ二本しか観てないのだけどこの人の作品って良い意味で気の抜けた炭酸ジュースみたいな、そういう印象を受けるね。
これ、褒め言葉ね。そういうのが好きな人もいるし、僕もそういうの好きだもの。

映画は状況する主人公を駅のホームで見送る一家から始まる。
いやね、ここの初っ端からの大盤振る舞いには驚いた。松本幸四郎をはじめ主演の松たか子のご家族勢揃いですよ。
ああ、これはこの作品が映画初主演の女優・松たか子と上京して大学生活を始める主人公を、重ねざるを得ない。意図的な演出、なんだろうなあ。
で、そこから綺麗な絵が続く。桜の花びらが雨のように降る並木道、新入生で溢れかえる大学の瑞々しい様子、洒落た建物が並ぶ街並み。そこをちょっと野暮ったいセーターを着た松たか子が初々しい雰囲気を発散しながら歩いたり、ワンピースにリュックサックでママチャリを漕いで走ってくれたりするのだからたまらない。
松たか子のPVである、とこの作品を揶揄する声もネット上のレビュー記事では見かけたけれども、でもそんな範疇越えちゃってるよこの作品。物凄く綺麗だし、瑞々しいし、女優松たか子の貴重な一瞬の時間を切り取って作品に納めている、と感じた。光の使い方とか、目線の動かし方とか、会話の間とか、「ああ、あるある」ってなっちゃいそうな会話のキャッチボールを取り損なったあの気まずさとか、全体的に抑制が効いた印象だけれどもそれが変に映画に起伏を作らなくて、良い。
観ている最中は正直「ちょっとかったるいかな」と思ったものの、いやいやしかし、観終わった頃にはしっかり「何だか不思議と」「妙に」心に残るものがあるし、きっちり充実感というかそういうのまで味わっちゃっている。
物語的には何も始まっていない、というかさあここからでしょうというところで終わるのだけれども、僕って昔からそうやってエンドロールの後を想像させらるようなのって、自分の心の中で物語がずっと続いていくようでなかなか余韻から抜け出せなくて好きなのね。

この切なさやどこかにスンッと残る感覚は、瑞々しくて初々しくて、でも真っ直ぐなあの映画自体のベクトルと作品自体の美しさに対する羨望と、自分自身に全くそういった要素がない事に対する遣る瀬無さだったりするのかな、と思う。
こういう「ああああああ、綺麗だなあ良いなあ美しいなあ清々しいなあ、だからこそ辛いなあ切ないなあ」という感覚は、なかなか得難いものがある。


あとやっぱりさ。


この映画の松たか子を否定する事なんて、きっと誰にも出来ないはずだ。あらゆる意味で。

One ControlのHooker's Green Bass Machineを買った話。

なんだかんだでベースギターの歪みについては「ファズだろ、どうせ歪ませるならファズだろ」みたいな部分って、正直あったんですよ。
実際ここ最近はもうほとんどファズ。幸いにも色々とキャラクターの違うファズペダルは持ってたりするので(同じものを目指して作っただろうにその過程でブランドの色が出たのだろう、結果的に出音のキャラクターが全然違ったりして、やっぱりファズは面白い。これについてはまたいずれ)バンド毎とかその日の気分毎でとか、試行錯誤しつつ「オラァ!」な気分の時はファズのスイッチオン。ブリブリだったりブシャブシャだったりジャギーン!気味のブシャブシャだったりブリブリブブブブブブ…だったり、自分の表現にファズペダルって一役以上買ってくれてたと思う。

だけど、最近何故かふっとオーバードライブが欲しくなった。というか、持っててもいいんじゃないかと思うようになった。
しかも優秀で変に癖がなくてどんなシチュエーションでも対応出来て、とつまり汎用性が高くてずっと手元に否、足元に置いておけるような、噛み砕いて言ってしまえば「これが一つあればとりあえず他のはいらないやー」となれるような、そんなの。
そんなのと出会ったらいいな、探してみるかな、と頭の片隅で思いつつ舟橋は日々を重ねた。

green_bass_machine
数日前の事である。
行きつけのエフェクター専門店に新品で置いてあって「あー、これ(発売する前から触ってみたいと思いつつ最近SNSやらweb上で絶賛されてるのばかり見かけるから"本当かよ、そんなに良いのかよ"と半信半疑で)気になってたんだよね」とお店の試奏用のベースギターとアンプで試させて貰ったところ、うん、良かった、んだよね。絶賛されてるのが何だかちょっとわかっちゃったくらい、良かった。
で、それから妙に気になっちゃって考えれば考える程「あれいいんじゃないか。まさしく、ドンピシャなんじゃないのか。というか欲しいわ」となってしまい、本日、自分の楽器とプリアンプで試した末に購入。
とりあえずは自分の機材(ベースギター、プリアンプ、アンプヘッド)で鳴らした感想をザザザッと書いてみようと思う。

コントロールはLEVEL、DRIVE、TREBLE。あと筐体横面からドライバーを突っ込んで回せるようになっているトリマーがのぞいていて、それでBASSがコントロール出来る。
音量は時計でいう2時くらいで体感上(聴感上、ではない)ちょびっとブーストされたかな、気持ち良いなって感じになる。フルブーストしてみたけれど親の仇みたいにブーストしたい人も音量稼げるかと思う。
DRIVEはあげるとブリブリよりかはブシャブシャ、みたいな歪み方。こういうと物凄く歪む!みたいな印象を与えちゃうかもしれないけれどもファズみたいになるというよりかはオーバードライブからディストーションまで、という感じ。
TREBLEは全カットしても使える音だし、フルアップすると攻めた感じの音作りも出来る。けれどもここのコントロールはそんなに過激な効き方はせず、結構微調整って感じの効き方をする。けれどもその効く幅がベースギター的には実戦向けな範囲で効くので好印象。
TREBLE下げてDRIVE上げてもおいしいし、その逆もまたおいしい。こう言ってしまうとなんだけども、結構適当にセッティングしても「使える」音になっちゃう。勿論追い込みたいのであればコントロールは触りやすく、それぞれのコントロールの関係もかなりわかりやすいので感覚だけで音が作れると思う。
ベースギターの歪みペダルとして言及しなきゃいけないポイントだったりすると思うのだけど、低域は削げない。何が凄いって本当に削げない。TREBLEコントロールをどうしたって低域は削げない。多弦ベースとかどうしても気になる人用にトリマーでBASSをブースト出来るようにしてあると思うのだけど、これ言い換えれば凄い自信である。だって、トリマーにしちゃうんだぜ。
「あー、そんなにガンガン触らなくていいと思いますよ」と言われちゃってるよう。で、何が凄いって実際そうである事。
バイパス状態の音をそのままドライブさせたいよって時は全く触らなくて大丈夫なレベル。
オンにした時にもんの凄く攻めたかったりするのであればブーストしても面白いかと思う。実際ちょっと回しただけで結構低域がモリッとした。モコモコしないように低域だけモリッとする感じなので、これまたおいしい効き方をしてくれる。
僕の使い方としては、とりあえずブーストせずにいってみようかなと思っている。
いやー、ザザザッと書くつもりが結構しっかり書いてしまった。

物凄く好印象です。
自分の出音に満足してる人ならそのままこいつをカマしてちょちょいと触ればそのままナイスなサウンドになるんじゃないかな。まだバンドサウンドの中で鳴らしていないけれども、現状「音抜けがなぁ」とか「惜しいなあ」とかネガティヴな印象を抱くような予感が一切ない。
それにこのサイズ感!最高(もう最近何度も言ってる気がするけど僕はベースケースのポケットに入る限界の量が、一度に持ち運べるエフェクターの上限の量なのである)!
L字プラグを差した時にアダプタージャックと干渉しないように高さを変えてデザインされたインプットジャックの位置とかも、さり気なくユーザーの目線に立っていて嬉しいポイント。
ニクいなあ。

また思った事があったら改めて書くかもしれないです。

THE WHOの映画を観た話。

THE WHOのドキュメンタリー映画「ザ・フー:アメイジング・ジャーニー」を視聴。
最近専ら映画を観るのはコレ、ってな勢いで使っている映画配信サイトにて「音楽映画特集!」なるコーナーがありそこにピックアップされていたので存在を知った。
最初は「へー、THE WHOの映画かぁ」くらいの感じで観始めたのだけどメンバーの出会いからバンド結成、そして音楽性が出来上がっていく様、バンドがどんどん大きくなっていくにつれて生じてくるメンバー間の軋轢から人間関係の変化、メンバーの死とそれを受け入れてそれでもバンドを継続させていこうとするメンバーの言葉等、親切かつ丁寧に追っているのでファンでなくとも楽しめる内容だった。キース・ムーンが逝きジョン・エントウィッスルが逝き、残ったロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼントががっちり手をとりあって音楽を継続させていくラストのシークエンスは泣きそうになったものなあ。

キース・ムーンというドラマーについてほとんど知らなかったのだけど(ハイハットのないドラムセットを暴れまわるようにシバき叩く格好良い人、くらいの認識しかなかった)、あの人こういっちゃあなんだけど物凄く面白い人なんだね!
ホテルのプールに車で突っ込んだりTV出演した時もスタッフを買収してドラムセットに火薬仕込んだり。ちょっと、どころか相当変わった人だったみたい。それであのドラム演奏だもんな、身近にいたらヒヤヒヤするかもしれないけれど、後世の僕達が残されたエピソードから危険な香りとそれを放つ才気を感じてドキドキするには十分過ぎる人だ。

勿論、僕はベースギター奏者ですのでこの人の演奏シーンや人となりや、メンバーの彼に対する発言を聞けて嬉しかった。
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ミスターサンダーフィンガー!
高く構えたベースギターの、ネック寄りを指でバシバシ弾き倒す(しかもいつも澄まし顔、というかつまらなさそうに笑)姿は腕をぶんぶん振り回すピートとマイクをひっつかんで歌うロジャー、ドラムセットの中で猛り狂ってるキースと比較しても異質。でも演奏面でこの人がどれだけTHE WHOを引っ張っていたか、その辺も今回のドキュメンタリーでよくわかった。
興奮するとリズムが加速するキースにジョンがあわせていく事で曲が曲となり、バンドはどんどん加熱していく。そしてそして映画でもやっぱり、圧倒的にこの人のリードベースは目立つのだ。それこそ演奏シーンでこの人が画面にフレームインしていなくても。物凄い存在感。
ジョン・エントウィッスル先生、貴方にシビれたのでここ最近鍛錬していた指弾き、ちょっと猶更、頑張ってみますね。

「さあ皆さんご一緒に!」

ワインを飲みながら友達とビートルズのアニメーション映画「イエロー・サブマリン」を観た。
別に優雅にキメたいわけじゃあない、以前観た時の記憶をたぐってみたら「酔っ払いながら観たらさだめし素敵だろう」と、ふとそう思ったからだ(余談だがワインと書いた直後に優雅なわけじゃあない、と否定するその発想自体が安易で、まさしく優雅ではない!)。

アルコールでゆるゆると弛緩した脳味噌に「イエロー・サブマリン」のサイケデリックというか「深海を表現する時にこう描くか!?」という良い意味でぶっ飛んだ映像は最高にフィットして、僕は多分ずっと薄っすら微笑みながら画面を観ていたと思う。多分だらしなく口も開いていただろう。まっこと本当に、素敵な週末の時間だった。
それにしても「HELP!」に対して「間に合ってる」と切り返すリンゴ・スターのクールさったらなかった。
あとブルーミーニーズの可愛さ!グローブといいブルーミーニーズといい、ナイスな悪役。

ちゃんとゆっくりするのと、ガツッと遊ぶ時はきちんと遊ぶのが相応のバランスで同居していた週末だった。
思うところあって、とはよく使われる表現だけども、人間関係や対人関係に於いて特に理由はないけれども考える事がたまたま多く、それでもってそういう「思うところ」も多々あった週末でもあった。
思うところがない日だなんてそりゃあ勿論人間だもの、あるわけなんてないんだけど、さ。

コンパクトエフェクターの"コンパクト"の部分に執着して選んだディレイ。

ディレイを研究している。
(よいこのみんなへ。ディレイが好きでナンバーガールの洗礼を受けた人間はここを読もう。面白いから)

LINE6のDL-4をずっと使っていたけれども、あれってなんだかんだ重たいし大きいし(つい先日も書いた気がするけれどもここ数年はライブの日も練習の日も、兎に角自転車移動がメインなので僕が一日に運べるエフェクターの分量には上限がある。ベースのギグケースに入るだけ、だ)、しかもちょっと調子が悪かったりでここ最近は機材棚の肥やしになってしまっていた。そうなってくると自然とベースギター演奏でディレイを使ったアプローチを無意識に避けるようになっていたりして、まあ他に興味が向いていたっていうのもあるのだろうけれども、ディレイペダルに対するモチベーションは下がっていた。
しかし下がったものは上がる時が来る。
去年の秋頃かな、急にディレイのモチベーションが何の前触れもなく、上がった。
秋の夜長にDL-4を久しぶりに繋いで「やっぱり楽しいなあ」だなんてしみじみと感じ入ったり、した。
でもやはり大きい。これじゃあ運ぶ気にならない。でもやっぱり良い。そりゃあそうだ、なんだかんだで自分なりに吟味して購入したのだ、その多機能さも優秀さも利便性も、DL-4は納得の一台だ。
しかし、これでいいのか、結局持ち運ばないままだぞそれって持ってないのと同じじゃないかと一念発起。行きつけのエフェクター屋へDL-4を持ち込んで「このままじゃあDL-4に甘えっぱなしだッ!」と叫んでそのまま売っ払ってしまった。さようなら、DL-4。
で、代わりに目星をつけたのがこれ、BOSS DD-7。コンパクトデジタルディレイの最新モデル。

dd_7
僕がディレイを選ぶ時にポイントになるのはまず何よりも「エフェクトオフ時に」「簡単に」「タップテンポ入力可能」な事。
ベーシストだもの、クロマティックなフレーズとかディレイありきで弾きたい時とかあるじゃあないですか。そんな時に演奏中に2秒間長踏みとかしてられないし、オンにしてからテンポ入力するのでは遅れる事必至。あと僕は馬鹿だから操作も簡単なのが良い。でも色々出来た方が(精神衛生的に)良い、と我儘ばかりの僕にFS-5Uでのタップテンポ入力がバイパス時にも可能なDD-7は非常に魅力的であった。モードも色々あるし。
DD-7、その多機能さ(詳しく知りたい向きは是非インターネットで検索すると良い。詳しく書いている人が沢山いるから)とBOSSブランドの技術の粋があの小さな筐体に納められた事そのものが驚異的だけれども何が凄いってろくすっぽ研究せずに僕みたいな阿呆がそのまま演奏で使ってもそれなりに使えちゃった事なんだよね。多機能なのにシンプルにまとまってるって、お洒落だけど実用的!くらいニクい。ニクい、ニクいよDD-7。
世界で最初にコンパクトタイプのデジタルディレイを発売したメーカーの気概を感じる。

いやーしかし使いやすい、FS-5Uとの組み合わせで完全に僕の理想通りの使いやすさが実現出来た。
バイパス時でもLEDが赤色に点滅してちゃんとディレイタイムを教えてくれる(MODEセレクトで4分音符、付点8分音符、8分音符、三連と選べるよ)し、オンにするとLEDが赤と緑交互に点滅するからわかりやすい。コントロールも必要最低限の4つだし触りやすい。
DL-4みたいにモードをプリセット出来たりはしないけど、僕みたいに「単純にディレイ使いたい」みたいな人にはこれで十分。色々やりたい人はこういう時代だもの、もっとゴツいディレイ、買うでしょう。自転車運搬には丈夫でコンパクトで使いやすいDD-7がうってつけ、である。

音に関して。
恥ずかしながらBOSSのコンパクトディレイを使うのがDD-7が初めてなので音がどうなったとか前モデルと比較は出来ないけれども、僕が使う限り全く不自由ない。ディレイのサウンドクオリティと立体感にこだわる友人氏曰く「あ、今までのBOSSディレイと全然違う」との事。DD-7に懐疑的だった人がこういうくらいなんだもの、今までのとは本当に違うのでしょうね。
アンサンブル中でブライトに繰り返す事も出来るし相応に馴染ませる事も出来るし、スタンダードなディレイとして使うには十分過ぎる程十分です。
あとは想像力を刺激しながら、楽しんでいくばかり!

BOSS TU-2の健気さ

僕はエフェクターが好きです。
ベースギターを弾くようになってからしばらくして出会った、この繋いで踏みつければ音を変えてくれる機械は当時の僕には、いや、今の僕からしても「魔法の箱」なんて言葉では生易しい、クリエイティビティを刺激される大きな存在である。
エフェクターに触発されて生み出されたフレーズ。エフェクターで音が変わった事に興奮して演奏の熱量が変わる。それこそエフェクターを150個以上買った今だって頻繁に、ある。
学生時代は目に入るもの気になるもの手が届くものをそれこそ軒並み買ってやろう、という勢いで馬鹿みたいに買ったけれど、そういうのを繰り返すうちに経験値が蓄積されてきたのか「本当にその時の自分に使えるもの」だけを選んで買う、所謂審美眼というのかな(違うか)、そういうのも養われてきたように思える。
楽器の音色は演奏家の声と言われる。僕はご自慢の「声」が幾つか、ある。「声を大にして」主張する(時には怒りに任せて、時にはただ大きな声で、時には雄弁ながらも冷静に)、「含みを持たせて」(印象深くなるように繰り返したり、内容の背景を感じさせたり、暗にほのめかしたり)話す等、声と話し方には密接な関係があり、そしてそれらが有機的に結びついて巧みに運用された時にその声、話は説得力を持つのだと思っている。
同時に僕はそれらをないがしろにする人間も愛している。
「声なんてなんだっていい、俺は言いたい事を言う」という奴だ。実に潔くて、気持ちが良い。
それだからこそ持つパワーも、絶対にある。そして、なんなら僕にもそう思う時がある。根っこにある発想は「声=音は人に由来する」というものだからだ。

だけども、僕は自分のベースギターを完全にコントロールする事を目標の一つとしているし、エフェクターを愛するあまりライブ毎に足元を変える。
勿論完全に入れ替えるわけではない。プリアンプや「これだけは外せない」という類のものは固定だったりするけれども、場所に余裕のある時は最低でも一つは自分にとって新鮮味のあるものを忍ばせるようにしている。安定したアンサンブルの中で刺激を欲するがあまり不確定要素をそこに求めているのだ、と言えば聞こえは良いだろうけれども(そんな事しなくても演奏は毎回きちんと刺激的で、当たり前のようにそれまでと違うものになる。基本的に同じ演奏なんて二度と出来ない)残念ながらそうではない。
単純に、好きなのだ。面白い。刺激的で、魅力的だ。

長い前置きになった。ごめん、前置きなんだ、すまない。
そんなエフェクターを愛してやまない舟橋だけれども、では何が一番長く使っているのか、と改めて考えてみると一体何なのかしばし悩んだ。歪みものは時々変わるし空間系なんてもっと変わる。やっぱりサンズアンプか、と思った時に気が付いた。
「チューナーだ」。
そう、チューナーだ。サンズアンプよりも前に買って苦楽を共にしてきた、BOSS TU-2。これぞ間違いなく買った当初から今尚第一線、ずっと一緒に戦い続けてきた一台と言えるだろう。サンズアンプも、それこそかれこれもうすぐ10年近くの付き合いになるけれども。

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BOSS TU-2。
僕がフットタイプのステージチューナー(洒落た言い方をしたけれども要するに"踏むと音をミュートしてくれるチューナー"だ)を買い求めた時は、今のように多くのメーカーがステージチューナーを販売する前だったように思う。僕が他を知らなかっただけかもしれないけれども、当時はこのBOSSのTU-2とKORGのものが二大シェア巨頭だったような気がする。なかった、なかったよ。全弦ジャランと鳴らすとどれだけずれてるか一気に教えてくれるチューナーも、ZIPPOライターくらい小さいチューナーも。クリップチューナーなんてのもほとんど出回ってなかったんじゃなかろうか。
で、僕がどうしてこれにしたかっていうと何となく楽器屋で見かけたからだ。チューナーを買いに行ったら、これがあった。
踏むと音を完全にミュートしてくれる事だけを確認して、喜んで買った。チューニングの精度?それまでずっとカードタイプのやっすいの(それこそ入門セットに入っているようなのだ)を使ってたくらいだ、こだわるわけがない。
だけども僕は当時の自分を褒めてあげたい。何故かって?
TU-2は、今まで一度も壊れた事がない。激しくオン/オフする類のものでもないのでそりゃあそうかもしれないけれど、しかし今まで何度チューニングしただろう。そしてどれだけ持ち運びし、時には落とし、ぶつけ、ぞんざいに扱ってしまっただろう。チューナーの置かれる環境というのは少なくとも僕の場合はわりかし過酷だったと言って良い。けれどもTU-2はただの一度も壊れなかった。ただただ愚直に、送られてくる電気信号を識別、表示していた。

だけれども正直に言おう。
「チューナー持ってくくらいならファズ持ってくよ」という発想で(※僕はベースケースにエフェクターを入れて持ち運ぶ。ライブの時もスタジオ練習でもそうだ。つまり一度の演奏で使えるエフェクターの量には上限がある)、こいつを家においてスタジオに行った事がある。「スマートフォンにチューナーアプリ入ってるしいいや」って。
そこで僕は、TU-2が如何に僕を支えてくれていたか痛感する事になる。
確かにスマートフォンにチューナーアプリは入っていた。マイクで音を拾う形だけれども、精度も悪くなかった。ちゃんとチューニング出来た。けれども、アプリではどうしようもないものがあった。
バッファ、だ。
BOSSのコンパクトエフェクターには全てバッファが入っている。「長いシールド繋いでも大丈夫なようにしておいてあげよう」という開発者さんの親切心なのかはわからないが、BOSSのコンパクトエフェクターに入力された信号は例えエフェクトがバイパス時でもそのバッファを通過する事になる。それを嫌ってBOSSを毛嫌いする人もいるそうなのだが、僕の場合は違った。
僕は知る。僕のファズ達はBOSSのバッファを通過した後だからこそ、僕好みの音を出していた事に。
それまでの設定だとどうもモッサリしたというか、何だかガツンとこないファズ達。そうなのだ、ファズはインピーダンスの影響を受けやすい。僕のファズ達は足元先頭のTU-2のバッファ通過後のローインピーダンス変換された電気信号だからこそ、僕の愛する音を出していたのだ。それまでとは違った音を出すファズ達。調節すればそれまで通りの、僕の愛する音を出してくれたかもしれない。だけれども中には明らかにどうしようもないレベルで音が違うものもあった。迂闊、だった。ファズを使っているのにインピーダンスまで気が回らなかったなんて。
それ以来、僕はスタジオにもTU-2を必ず持っていくようにしている。今や僕にとってTU-2はチューナーなだけではない。音作りに深く関わるアイテムなのだ。

自分の音を真っ先に受け止め、調弦の手伝いをしてくれるばかりか、ローインピーダンス変換までしてくれるTU-2。
お前、どれだけ仕事してるんだよ!!

自己紹介

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。
以下、ライブ予定。


12/28(水) 新栄DAYTRIVE
犬栓耳畜生

2017/1/07(土) 今池HUCKFINN
ONE BY ONE RECORDS レーベル10周年イベント
JONNY

1/08(日) ミソフェス2017(http://www.misofes.com/)
パイプカツトマミヰズ

1/08(日) 新栄DAYTRIVE&TRIM
パイプカツトマミヰズ


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