色々と自分の楽器とか機材を見直した話。

ちょっと意識的に「いつもと違う状況で」演奏をしてみようと思い敢えて自分のアンプヘッドをスタジオに持ち込まず、常設のよりんもよって苦手なアンペグのアンプヘッドと格闘する。
その過程に於いて自分が愛用していたprovidenceのシールドが音量ダウンと高域の劣化をもたらしている事がわかった。専らエフェクトボードの最後段であるプリアンプからアンプヘッド(ライブの際はダイレクトボックスのインプット)への接続に使っていたものだ。昔はこんな音ではなかったはずなのだが、使っている間に劣化していたようだ。劣化に合わせて感性も耳もそれに慣れてしまっていたのだろう。
今までの音が不満なわけではないのだが、今まで程頑張らなくても音が前にゴンッと出てくれる予感もあるのでprovidenceのシールドケーブルは一旦お休み。
代わりにパッチケーブル以外のシールドケーブルは全てそれまでベースギターからエフェクトボード最前段であるチューナーへのインプットとして使っていた、カナレのものに変更する事にした。
丁度自宅にはこの時必要に駆られて購入した10メートルのカナレのシールドケーブルが2本転がっている。BOSSのエフェクター全てにbaffaが内蔵されている事を毛嫌いする方もいらっしゃるようだけれども、僕はこういう時に有難いと思うよBOSSのバッファ。チューナー挟むだけで倍の長さのシールドケーブルに変わっても問題なし。
ちなみにエフェクター好きなのにパッチケーブルやシールドケーブルにこだわりがない(最低限の質を保っていればあとは価格勝負)のは消耗品だと思っているから。だってブチッと千切れたりするじゃん、シールドケーブル。

で、何がショックだったかって自分が当たり前のように問題ないと思っていたものが実は結構なマイナス要素として働いていた可能性がある、という事。これは結構くるものがある。
他にもそういうものが、と思ったわけではないけれど気になっていた事を全部チェックしようと思い立って、深夜にドッタンバッタン自室にてあーでもないこーでもないと楽器チェック。
ストラップの長さ僅か数センチでも演奏性というのは変わる。演奏性が変わるという事は良くも悪くも演奏に影響し得る、という事。世の中にはなんだって同じ音を出すぜっていう人や弾きやすさとかどんな音が出るかは関係ない、楽器は演奏者の道具であり対話相手みたいなもんだっていう人もいるけれども、僕は割と楽器の状態とか弾きやすさとか細かい事が気になっちゃうんだよなあ。自分の楽器を弾くっていうのはそういうところを満たしている楽器をストレスなく弾くっていう事だとも思うので。
というわけで諸々再調整である。

前々から重さが違うなーと思っていた愛機二本をこの機会にチェック。
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その差、300g。
結構違うもんだ。
個体差というよりかはペグとかブリッジとか、ハードウェアの差である気がするけどね。

いやーやって良かった。楽器チェック。
普段なかなか気づかないところを洗い出せた。これで心機一転、また良い演奏を目指す事が出来る。
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『クレイマー、クレイマー』を観た。

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『クレイマー、クレイマー』を観た。
まずは粗筋を。


仕事第一の男テッドがある夜遅く帰宅すると、荷物をまとめた妻ジョアンナが彼を待ち受けていた。
「誰かの娘や妻ではない自自身を見つけたい」と言い残し、彼女は去って行った。
息子と二人残されたテッドは、失意のなか家事に奮闘。
数々の失敗やケンカを乗り越えて父と子の間に深い絆が生まれた頃、息子の養育権を主張するジョアンナがテッドの許を訪れた。



・冒頭で唐突に家を出ていく奥さん(演:メリル・ストリープ)の理由がいまいちわからないというか希薄なような気がして、なんだかなぁと思ってしまうのだけれども、その印象がひっくり返っていく実感があった。図らずもそんな奥さんの気持ちがわかるのが物々しい親権争いの法廷のシーンだというのが思わず唸った。巧みだなあ。

・ダスティン・ホフマンがいちいち格好良いしキュートだし、素敵過ぎる。

・父子の絆を描く作品、というのが第一印象だけれどもその実、きっちり夫婦間の信頼関係も描いているのが素晴らしいなと思う。裁判中でさえクレイマー夫妻が交わす視線が同じ時間を重ねた夫婦の慈しみを感じさせるもので、争っている内容が内容だけに観ているこちらは「もうやめちゃえよ裁判やめちゃえよ!」と複雑な気持ちになってしまう。そんな二人がそれぞれの弁護士から「手荒な真似」と形容される程の問答を仕掛けられて、それぞれが感情的になる。その結果浮き彫りになるのが二人とも息子を愛しているし二人とも悪い人間ではなかった、という点なのがギャップがあって良い。この映画、結局底意地の悪い人間なんて一人も出ていなかったっていうのが凄く好印象。

・母親の選択で幕を開け、母親の決断で幕を閉じる。そんな母親の愛情の姿を描いた映画でもあったと思う。ちょっと上の粗筋だと母親に対して軽薄な印象を抱きそうなんだけれども、実際のところそれだけの人じゃないよっていう描写もされていて。

・印象として「裁判」って「ドロゴロとした法廷闘争」みたいなのを連想するのだけれども、この夫婦に関しては裁判で争った結果お互いを認め合う事が出来たとまでは言わずとも、互いに踏み出すきっかけになったのかなという気がするのです。

・冒頭と終盤での父この18ヶ月間での変化を端的に、印象的に描くフレンチトーストのシーン。寂しそうな子供、そしてそれを受けつつ優しく、しかし寂しそうなダスティン・ホフマンが物凄く良い。

・メイキングドキュメンタリーがまた面白かった。実際に最初で最後の離婚調停中だったダスティン・ホフマンの起用。そんなダスティン・ホフマンも撮影直前に恋人を失ったメリル・ストリープに情感に訴える会話を仕掛けた事で彼女の繊細な表情を引き出したり。

・というかメイキングを観てダスティン・ホフマン凄いってなった。アドリブの応酬、演技以上の部分での情感を引き出す作業。

・それを許したり対応した監督も凄い。粗筋としては説明しづらい人間の心の機微がこの映画に感じられるのはダスティン・ホフマンや役者の演技以前、というか演技に向かう前段階での姿勢が大きく貢献しているんだな、とドキュメンタリーを観て思った。

憎悪さえ感じる話

ゆらゆらと立ち上っては消えてゆく靄やどこにいたって居心地が悪そうでだけれどもそれを主張する事さえしない/出来ない女の子のような儚くて美しいものにはどだいなれやしないって随分前から気付いていたけれども、そうさね、僕は僕自身の肉体の確定された感じであるとか、もう物凄い生活感であるとか杓子定規にしか世の中を見れない感じとか、結構疎ましいなって思う時ってあるわけなんですよ。
例えばの話。不確定で質量さえないような霧っていうのは森の中を流れる時そこに樹木が生えていようとなかろうと我関せず、触れているのかいないのかの距離感でそれらの間を行き渡って、遂には森全体を覆ってしまうとしようじゃあないか。それに引き換えこの俺は森の中をあっちにぶつかりこっちにぶつかり、木々に真正面から愚直にぶつかってはその存在に改めて気が付いたようにハッとして、あっちへバタバタこっちへバタバタやかましく走り廻る無様な生き物のようであるよ。
そういう霧のような存在は僕が見ているのとはきっと違った感覚で世界を見ているし違った感覚で物事を考えている。
そうであって貰わなくちゃあ困るのだ。憧れさえ抱けやしない。

そんな非常に実在的であって肉体性が物凄くある(思えば自分の体臭とか気にするのって、逆にそういう不確かなものに憧れるからなのかもしれないね)僕は今日、バンドの練習に勤しむ一日を送った。
お昼からスタジオでゴリゴリとベースギターを弾いて自分の音をバンドアンサンブルに馴染ませる努力をし、馴染んでいく過程を興奮しながら実感していた。ああもう、音でさえも僕は実在性が物凄いのである。
アイデンティティという言葉がある。自意識ばかり見つめてきた10代を送った僕からすると信じられない事に、これが確立出来ない方もいらっしゃるそうなので結局人間は自分にないものを欲しがるように出来ているのかもしれない、云々。
兎も角アイデンティティというのも考えものである。確立出来ていないとさ、何かと動き出せなかったりする癖にそこばっかり見ていると自家中毒気味になったりして途端に「存在」としては鮮度が失われていくような、そんな感覚に陥らせてくれるからだ。
自分のアイデンティティばかり見つめて、見つめ続けてきて育んで日々の変化をこうして記録しているわけなんだけれども、そうだね、たまにはこう「他人から色々と投影されやすいようにもっとフワッと?フワッとしていた方が口当たり?口当たり良いんじゃあないのか」だなんて思う。こう書くと僕は自分自身を「はい凄く個性的ですー自意識確立してますーどこにいたってー僕はー僕ぅー」みたいに言っているように感じられるかもしれないけれども、そこまでの話ではなくてもう目くそ鼻くその話で言えば「耳くそが出ないんじゃないかコイツは、くらい霧か霞かみたいになればもっと人はそこに自己の求める何かを投影出来たのかもしれない」っていう、つまりはそういう話である。

無い物ねだりが出来るから、人生は豊かなのかもしれないね。

豊橋まで観劇しに行ってきた。

久しぶりの観劇。
豊橋まで行ってきた。名鉄電車に乗ってのんびり向かい、連れ合いと豊橋カレーうどんを食べてからの観劇。ちょっとした小旅行気分である。夏の日差しが暑かったけれども、劇場内は冷房が効いており快適な観劇環境だった。
それにしてもとよはし芸術劇場、お洒落な空間だったな!いいなあ、ああいう施設が駅から隣接してるっていうのはとても足を運びやすい。機会があれば是非またあそこで観劇したい。

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マームとジプシー『COCOON 憧れも、初戀も、爆撃も、死も。』を観劇。
事前にどんな団体なのかどんな作品なのか予備知識を一切入れず、ただただ周りの友人達の評判をふんわりと受け止めて観劇を決意。結果的に予備知識を入れずに観に行って良かった、と感じている。
原作があるんですね。
上演が始まってすぐに何だろう、不吉な死の気配が漂ってきてでも舞台の上で砂の上を走る少女達(身体能力凄いなって思ったよ今回観劇して)の無垢さ(少女特有の残酷さとかそういうのも含めて無垢って言っちゃうよ僕は)とそれが結びつかなくって。だからこそ後半の女学校を出てからのガマ(沖縄の方言で洞窟を指すそうですね)以降の展開が凄く、凄惨に感じられて。
洞窟を出てからの女学生達の姿が本当に、辛くって。ある子は足手まといになるのが嫌で自ら死を選んだり、ある子は栄養失調で命を無くし、ある子達は純潔を守るために自ら死を選ぶ。
マームとジプシー、というか演出の方の特徴が様々な角度から同じシーンを見せるリフレインであったりするそうなのだけれども、シーン毎によってそのリフレインの効果が違っていて、死ぬ直前に前半の元気な姿で喋ってるシーンとかリフレインされるとそりゃあ泣いちゃうよって感じで(客席でも目元を拭っている方、多かったです)、ああいう雰囲気になってる劇場にいるのは初めてだった。
だけれども舞台上の役者さん達、本当に精魂込めて演られてるのが伝わってきて。もう号泣しながら、息も絶え絶えになりながら芝居を続けられていて。演技的に泣いているスポーツ的に肉体を酷使している、ではなくて体の底から振り絞っているような、そんなのも初めて観た。

戦争。
かつては過去の出来事だったこのワードが作品中で時代設定が明文化されていないだけで「作り手からのこの国の行く先へのメッセージ」と捉えてしまえるくらいには(実際にそうであるかは別の話)僕もこの先について、不安なんだなと再認識した。
力の籠った良い作品だった。
原作も読んでみたい、と思う。

東狂アルゴリズムの企画にVSMYBLUESで出演した話。

三連休も間もなく終わろうとしている。
4年ぶりにかつて同じ情熱を共有し行動し自信と気概を以て事にあたった仲間と飲んだりエモーショナルな時間を過ごしたり、その翌日はまたしても飲酒、得三の半額デーに出掛けて行ってライムチューハイ一杯でベロベロになってしまったりと大いに連休を満喫した。三連休最終日はVSMYBLUESのお手伝いで滋賀へ行った。今日はその備忘録。

目覚まし時計で予定通りの時間に起床、しかし昨夜の飲酒行為が影響を及ぼしているのかどうにもすぐに起き上がろうと思えない。何だかボーッとしてしまった。幸い二度寝する事もなく半ば無理やりお茶漬けを食べて(無理やりでも美味いのはお茶漬けの美徳の一つと言って良いだろう)シャワーを浴び、ベースギターを背中に、アンプヘッドを左手にぶら下げてマウンテンバイクで千種駅へ向かった。茜谷さんと合流し昌吾さんの実家方面へ。VSMYBLUESの遠征お馴染みのコースである。
今回幸いにも初めて滋賀は大津での演奏の機会を得たのだけれども(先輩、こうして僕を色々な場所へ連れて行ってくれて有難うございます)、初めての滋賀、特に名物の鮒寿司を食べたり琵琶湖を見物したりする事もなく、それでも長年いつかは行ってみたいと思っていたB-FLATへ遂に行く事が出来、感無量だった。
何故B-FLATに対して憧れに近い感情があったかと言えば、僕は夏の風物詩的なアレ、そうアレですよ、怪談話を聞いたりするのが好きでバンドマン同士でそんな話をしていたりすると当然のようにライブハウスでの怪奇現象の話になったりする。で、B-FLATの名前がそういう折に度々出てきて(今ちょっと調べてみたら心霊ライブハウス、なんて形容している人もいた笑)そこで話されるB-FLATの様子、それを僕は頭の中に思い浮かべちゃったりしてたのね。で、あんなかなこんなかなって想像するといつかは行ってみたくなるじゃない。実際にそういう経験をしたいとかそういうのではないにしても、だ。
舟橋の中でB-FLATで演奏するというのは、そういう長年の夢を叶える行為でもあったのである。
ちなみに、それらしい体験は何一つしなかった。僕ってそういうの、一切ないんだよな。
心霊体験めいたものはなかったけれど、B-FLAT、とても過ごしやすくて居心地の良いライブハウスだった。音はゴツくてスカッとするし、ステージ脇の機材置場も広い(かつ動線が明示されているので皆そこを避けて機材を置き、動きやすい)し、楽屋もくつろげる。怪談話抜きにしてまた行きたいライブハウスです。

持ち込みで持って行ったアンプヘッドと常設のキャビの相性なのか、それともライブハウスでの鳴り方の特性(ライブハウス毎によってスッキリ音が飛んでいくところ、低音がズドーンと飛んでいくところ、ステージ上のアンプ類の音が回りまくってすぐに飽和状態になるところ、音が全然飛ばないところ等、ライブハウス毎に同じ機材を持ち込んでも音の飛び方が違ってくる=違った聴こえ方をしてくる)に巧く対処出来なかったのか、自分の中で100点満点というよりかは70点くらいの出音だったのだけれども(何だかこう、ローばかりがブワアッと鳴ってしまいアタック感が後ろの方に引っ込むというか、何だか弾いていて煮え切らない感じではあった。悪い音ではないんだけどね。あの機材ならもっと良い音が出せるはずである)、良い意味で吹っ切る事が出来て演奏中はさしてナーバスになる事もなく、そういう意味で割り切れる性格で良かったと思う。昔は結構そういうところから演奏も崩れる事が少なくなかったので。最近音作りに関しては落ち着いていた部分があったので慢心しないための良い機会をB-FLATでの演奏で貰ったと思う。
あと歌心のあるドラマーと演奏する際にはドラムに合わせにいくよりも歌に合わせに行った方が「合わせにいって合った」的なぎこちなさを自分自身感じる事なく「気付いたら合ったor合っちゃった」という(少なくとも自分的には)理想的なリズムの合い方をするという発見もあった。勿論、耳のどこかでドラマーの出す一拍の長さと感じ続ける必要はあるのだけれども。
音楽を演奏する上でリズムにばかり注意して演奏するっていうのはやっぱり僕的に健全だとは思えない。そういうところに気を使わないで済むように練習してるんでしょうがよ、と思うのである。ここまで大きな事言ったんだから頑張らないとね、僕。

東狂アルゴリズムのライブ、月並みな表現になってしまうけれども物凄く良かった。
真摯さと誠実さと熱さ、エンターテイメントと押しつけがましくない思想があった。今池HUCK FINNで観た時も良いバンドだと思ったけれども本拠地である滋賀でのライブを観てますますその思いを強くした。
最高だったなあ!

名古屋モドリの途中、多賀SAで豚汁定食を食べた。600円なのにコスパ良過ぎ。
流石に疲れたので(文章がどんどん短くなっているのはそういうところからきているかと思います)、最後にサウナ→水風呂→サウナ→水風呂を繰り返した昌吾さんと僕の写真でお別れしましょう。

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町の銭湯感あったのにサウナは暑く、また水風呂は冷たかった。
時間があったらもっとリピートしてサウナトランスに突入したかったところである。

ロシアンマフっていうの?SOVTEK BIG MUFFっていうの?それともBIG MUFF russianで合ってるの?この時期のって何ていうの?

今から10年前、20歳の頃に無垢な憧れを抱いた当初からそれ以外にも様々なファズを使ったり試したりした今日に至るまで、ずっと僕の心の中にはビッグマフという存在がある。
そりゃあ使わずに演奏した時もあるよ?だけれども新しい曲を試す時、何故だかその時の自分の音にしっくりこない時、レコーディングで足元を厳選する時、転換時間に余裕がなくフレキシブルな対応を求められる時、様々な局面でその都度その時に「ハマッて」いるビッグマフを持ち込んでは(ちなみにここ数年はずっとモディファイされたベースビッグマフばかりである)「やっぱりこれ、これだよ」とニンマリしてその信頼性を強化されたり、時々は「うーん今日はこいつではないな」と選から漏れたり。
極論してしまえば概念的には「オクターブファズとビッグマフ」で自分の中の「ファズ」という概念の6割、いや7割は占められている気さえするのです。ビッグマフという数々の演奏者の出音を彩ったアイテムに対する憧れも含めて。
とはいえ、今やビンテージペダルの仲間入りした感さえあるアーミーグリーンのビッグマフをロシアンマフ(黒)とベースビッグマフと比較した結果(その時の記録がこちら)「やっぱりベースビッグマフが一番」と売っ払ってしまった事さえあるので「私はビッグマフキ○ガイ、あるいはビッグマフコレクターです」みたいな事は言うつもりはないし、そりゃあJ・マスキスみたいにビンテージペダルが並んでる店に入っていって「ここからここまでのビッグマフ全部下さい」とか言ってみたいけどさ、それとこれとは話が別ってもんだよ。

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右が今回手に入れたロシアンマフ。

で、SNSがきっかけで手に入れた壊れたロシアンマフを修理に預けていたのだけども、先日無事に修理及びお願いしていた改造が完了し、受け取ってからというもの楽しくなって何度か鳴らしていたのだが感想を書いておく。
古いビッグマフは個体差が激しい、それどころか同じ音がするものは二つとないのは有名な話だけれどもロシアンマフについてそれが当てはまるかは定かではないものの、外見からして明らかに僕が知っているロシアンマフと違う(筐体の質感が違うしネジでの蓋の仕方も違う。一見同じなんだけど)今回のブツ、果たして出音も僕の知っているそれとは微妙に異なっていた。
比較に使用したのは今となっては生産完了品となってしまった、僕くらいの世代の人間ならば普通に手に入れる事が出来た最高期の黒マフ、ロシアンマフである。
まず歪み方で言えば今回のブツの方がゲインが高い。サスティーンツマミを0にして比較しても明らかに差がある。トーンコントロールについてはさして差は感じなかったけれども、歪んだサウンドの毛羽立ち具合というかエッジというか、古いものの方が切れ味がある。比較したロシアンマフより今回のものの方がジリジリいいます。
音の壁を作る、みたいな使い方も良いのだけれども自分自身一番しっくりきたのがサスティーン0にしてトーンも下げ目、ボリューム上げて甘めに歪ませるみたいな使い方。ロシアンマフの美味しい感じと扱いやすさの丁度良い着地点を目指したところ(こういう発想があるあたり僕自身、ビッグマフキ○ガイではないなあと思う)そういう使い方に落ち着きました。低域のモリッとした感じも音抜けも現状特に不満はないです。
LEDは「眩し過ぎるくらい明るい白」に取り換えて貰い、アダプターが使えるようにジャックもつけて貰った。電池をいちいち入れ替えたり残量を気にしながら使うのが億劫な身としては今回の改造、非常に有難い。
黒マフのツマミって大きい割にすぎに回るから、踏んづけ方によってはすぐに回っちゃう。そこだけどうにかしないといけないけれども(こういう時にガムテープとか透明テープって物凄く便利だな、と思う)、非常に使いやすいし音も気に入っているので何かと重宝しそうです。
お気に入りだったベースビッグマフともキャラクター、操作性で差があるので比較して売っ払っちゃったりもしないと思う。
耳が肥えたというか違いがわかるようになったのか、昔の比較も怪しいもんだとちょっと思っちゃってるもんな、僕。古いロシアンマフも色々触ってみたいなと思います。コピー品も沢山出回っているので機会を見つけて弾き比べしていきたいな、と思う程ロシアンマフに興味がある。
そういったきっかけをくれた一台としても有意義だったと思う。

わたしはあなたのなにものでもない

現在名古屋は台風接近の影響下にあるそうで、突然豪雨が降ったり風が強かったり湿気が凄かったり、そんな感じだ。
「気圧の関係だろうか、機嫌が悪い」と嘯く事は簡単だけれどもよくよく考えれば普段から些細な事で機嫌を悪くするたちであった。

昨夜は久しぶりの耳栓犬畜生(過去の演奏の様子はこちらから)のスタジオ練習(何故か未だにスタジオ練習の事を「リハ」と言う事が気恥ずかしくて出来ない。リ↑ハだと練習でリ↓ハだとライブ前のリハーサルという事になるようである。そうでもないのか。知らんがな)だった。
もう一人のベーシスト森野君(彼のブログは良い。言葉少ないけれども彼の雰囲気そのままだ。そして犬栓耳畜生についても前進バンド耳栓犬畜生時代から今日現在までの流れが彼目線でまとめてあるのでご参照下さい。ちなみに別に俺は大御所じゃない。ただ活動歴だけが長いだけである)を「俺にベースアンプを使わせろ」と恫喝した事で舟橋、この日からちょっとしばらくの間は多分ベースアンプを使える事になる。ギターアンプはギターアンプで面白いけれども、やっぱり使い慣れたアンプリファイヤーだと良いね!落ち着くね!落ち着き過ぎないように気をつけないとな、とは思うものの、やっぱり出ている音が違うと演奏内容も違ってくるもので、この辺は森野君とお互いの旬を見極めながら取り替えっこしつつやっていければ良いと思う。
で、かねてから前進バンド名の通り耳栓をして演奏していたのだけれども、この度イヤーマフを導入。

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映画『ゴールデンスランバー』で永島敏行さん(ガメラ2といい世にも奇妙な物語といい、自衛官役が本当に様になるねこの方は)が演じてらっしゃった警察管なのに殺し屋って人がイヤーマフつけてショットガンをブッ放してくるのを目にした瞬間に「これだ!」と思っていたんだよ。スタジオで早速使ってみたんだけど防音性、良し。爆音で耳の奥が痒くなる事もないし、体力の消耗もない。あと衣装って考えても面白いんじゃないのかな、だなんて一人で悦に入っている。
練習後は鳥貴族に行ったのであった。

今日はVSMYBLUESの練習。
20日に滋賀での演奏に向けた練習と8月頭に控えているレコーディングで録音する新曲の詰め作業を行った。
僕は放っておかれるとルート、兎に角ルート弾きで攻めたくなるのだけれども茜谷さんから「この曲は動いて欲しい」とリクエストを頂き舟橋、自宅でPCを前にシコシコと練ったぜベースライン。ベースランニングに挑戦!という事でスケールとか色々調べて「これは結構イケてるんじゃないか」と次週のスタジオに持って行ったら「動き過ぎやで」と。
ちょっとはしゃぎ過ぎたようですネ。
でも茜谷さんの意向を受けつつ、弾いていて最高に楽しいベースラインに仕上がったので(勿論曲も良い。楽しくてキャッチーな名曲です)達成感がある。不協和音連発、スケールのスの字も、ごめんちょっと言い過ぎたわ、スケの字も知らない僕に挑戦させて下さったし「ちょっと突飛かもな」と思いつつ持っていったフレーズをバンドに馴染むように皆であーでもないこーでもないと時間割いて頂けたのは演奏者冥利に尽きます。サポートベーシストなのに尊重して頂けて有難い限りですレコーディング頑張ります。

というように日夜楽しくバンド活動に精を出しています。
明日は朝から仕事!
豪雨でない事を願うばかりです。

投げっぱなしの演奏を志した話。

自宅から自転車で1分の炭酸さん(DGTP/犬栓耳畜生 等)の家にベースギター担いで出掛けて行った。
犬栓耳畜生の音源作品を製作しており、随分と遅くなったが僕の分の録音を炭酸さんちでしようと相成ったわけである。
炭酸さんがメンバーと時間を重ねる中で録り貯めた生活音(居酒屋での会話等もこのカテゴリーで良いのであろうか)とスタジオでのセッション等、様々な音素材をコラージュして一つの作品とするようで(ちなみに前作はスタジオテイクをコラージュしたものだった)、僕はベースギターをビッグマフ(これについてはまた後日)とクライベイビーのベースワウ、サンズアンプに通したものをアンプヘッドに入力、そのラインアウトからMTRに繋いで録音した。
兎に角、迷いたくなかった。事前に炭酸さんと「他のテイクとか何が鳴ってるか、とか知らずに録音した方が面白そうですね」みたいな話をしていたので一つの素材として徹する事にしていた。
ガシガシッと機材を繋いだら、音作りなんかせずにもうすぐに録音スタート。自分の演奏を特にモニタリングする事なく「こう鳴っているだろう、鳴っているかもしれないね、鳴っているのかな」ってな具合で時折炭酸さんがつけているヘッドフォンから漏れてくる音をチラッと聴きながらの演奏。
自分の出音さえ聴かない事に炭酸さんはちょっと驚かれていたようだけれども、今回の場合そこにそんなに意味を感じなかった。
厳密に書けば、演奏者の出した音と演奏者の間にはコミュニケーションがあり、例えば自分の出音で興奮するのもそう、演奏ミスで動揺するのもそうだし、ピッキングをしてアンプから音が出てその音を聴きながらニュアンスをつけて、とかっていうのもそうである。そういう演奏者としての自分と自分の出した音、その間のコミュニケーションも遮断した上で演奏した方が面白いと思った。
何の主張もなく、自然現象のような(勿論そうはいかないのだけど)一方通行。僕としても初めての試みだったので、それをどう炭酸さんが料理するのか楽しみです。

帰宅して作業、ここ最近課題となっている8月にレコーディングを控えた曲のベースラインを練る。こう書くと仰々しいが、パソコンに向き合ってああでもないこうでもない、ベースを弾きながらフレーズをザクザクと作っていくような作業だ。
一区切りついた頃に犬栓耳畜生の大島優子似から連絡があり、ベースギターを貸す事になった。舟橋家に楽器を取りに来たついでに今池の大型チェーン居酒屋で軽く飲む事になった。喫茶店感覚で使えば鬼のように安い、という事がわかってから僕もこういった居酒屋には随分と気楽に乗り込めるようになった。
二人で乾杯していると偶然近くに森野メンバーがいるという。合流して、結局終電を逃すような時間まで良い意味でダラダラと過ごした。

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平日も何だかんだで楽しめている。

今日食べたもの:新味覚 桑名店にて餃子8個、ドーナツ二つ、山岡家にて特製味噌ラーメン

昨夜地元の駅近くのコンビニにて偶然にも牛乳と食パンを購入する伊藤誠人(いとまとあやこ/palitextdestroy 他)と偶然出会った。立ち話を二言三言し、別れたのだけどもその後暇だったので「コンビニで買い物するくらいならきっと空いてるだろう」と暴論振りかざして連絡したら二人で飲みに行く事になった。
一件目の居酒屋チェーン(昨夜気付いたのだが某鳥の貴族、喫茶店感覚で使うと物凄く安上がりだね)が25時で閉店したので二人であわせて千円分も飲んでいない僕達はそのまま今池の同じ系列のお店へ向かった。
「どうせなら女性もいて欲しい」と誘った今池の姐さんも快く来てくれ、ダラッと飲んでいたのだが。
「あー、明日珍しく予定ないんだよね」という伊藤君の言葉に本当に、ほんっとに軽いノリで「じゃあ四日市行こうぜ」と誘ったらまさkのOK、こうして本日四日市はドレミファといろはでの舟橋孝裕ソロは伊藤誠人君を鍵盤に迎え、二人がかりで挑む事になった。

折角伊藤君が来てくれるなら(しかも車も出してくれた。優しい男である)、という事でそれまで想定していた内容から切り替える事にした。
伊藤君は相対音感の持ち主で、鍵盤演奏の腕前も相当あるので直前で無茶ぶりしても対応してくれるだろう、というのがあったのは事実。某季節の変わり目に二時間特番として放送される奇妙な物語のオムニバス番組のテーマと、その番組でサングラスをかけた語り部が登場するアバンタイトル的なシーンで流れる音楽の二曲を良い感じに演奏してくれ、という僕の難題(これは難題と言ってよ良いと思う。最早国民的に耳馴染みのある曲ではあるけれども演奏する手の動きを見ていたら難易度高そうだったしそもそもあの曲、不協和音が入ってるので耳で音を拾いづらい)に彼は、正味15分の練習で見事に対応してくれた。恐るべし伊藤誠人。
会場入りするまで、そしてした後も適時修正を入れつつ、8割くらい流れを作っておいて本番に臨む。
本質的に僕という人間は真面目な人間でそれというのはきっと良い事だと思うのだけれども、物作りや表現活動に於いてその真面目さが裏目に出たりする事もあったり、その真面目さ故に柔軟性に欠けたり事前に予想、予定していたレールから自分自身が外れだすとそれを楽しめなかったりする事が(そここそが面白い瞬間だったりするにも関わらず、だ。自己表現をする人間はそういう瞬間から見つけるものというのが後々大きな糧となったりする事がとても多い、と思う)ままある。
今日は「どうせ会場入りしたら考えるんだし」とか「どうせいざやるってなったらどうにかするだろうからその時の自分に任せよう」とか適当である事に少しは真面目に向き合えたのではないかと思う。物作りに向き合う姿勢は真摯に、中身については良い意味で適当に在りたいものだと感じている。

ドレミファといろはのゴウさんはきっと僕を伸ばそうとしてくれていて、毎回毎回僕が何かをするとその度に「ここが良かったけどここがいまいちだったな」とか「こうしたらきっともっと良くなるのにな」とか、耳が痛くも有難いコメントを下さる。
これって今現在の僕にとっては大変有難い事で、人前で何かをやる事が10年を過ぎてくるとこちらのアクションに対してポジティヴな感情を抱いた方が「良かった」と好的な反応を示して下さる事はあっても、俗にいうダメ出しみたいなのって頻度でいえば圧倒的に減ってくる。減ってきてしまう。それは「きっと言わなくてもわかってるだろう」だったり「言えないな」だったり「言ってももう無駄だろう」だったりするのだろうけれども。
勿論自戒や自分自身での反省点は忘れずに書き付けたりするようにはしているけれども、そんな中で客観視した意見って本当に有難い。
ゴウさんからある夜に頂いたアドバイス(ちなみに本人は泥酔していたため記憶にないそうである。まったく!笑)は結構心に残っていて、定期的に振り返ってはその夜のゴウさんの言葉にどう向き合えているのか、みたいな事を考えたりもするのだけれども、そういう意味で今夜の一人芝居は挑戦をした方が面白い事になる、という気持ちもあった。

ここ最近やってきた(一度目はこの日、二度目はこの日だ)この演目もひとまず今日でおしまい。
難しかったけれども(多分僕にとって容易い事なんて何一つないのだろうけれども)面白かった。やってみて得るものがあった。空気の作り方もTPOだし、その日その場所その時間に相応しい提供の仕方というのはアウトプットする側として少しだけでも留意するとグンと結果が違ってくるのだろう。勿論それは「その気」がない人間さえも力強いものならば振り回してブン回して引き込める云々とは別の観点の話である。
今後はちょっと自分の堅ッ苦しい雰囲気をどうにかブッ壊したいもんだなあ、だなんて漠然と思っている。そういうのがあれば僕はもっと客席との精神的な距離感を縮められる気がするのですよ。

2015_07_13
さよならパリス
村上君とは「お互いに相手の方が怖いと思ってた」事が判明して僕、ショックです。
僕、印象的には絶対に村上君より怖くないよ。

大暴れの夜。

今日は暑い。話によると30度を超えるそうだ。道理で暑いわけだよ。

昨夜は華金という事で「大いに暴れまわりたい」という衝動に駆られ、練習後に杏花村へ行った。
一杯付き合うと金森君(moNoSiRo)がいうので二人で千円ずつ持ち寄って「今夜はこれだけな」と決めてビールを胃に流し込もうと洒落こんだわけである。思うに、飲食代の上限を決めての飲食というのはそれはそれで面白味がある。
予算の中でどう楽しむか、という戦略的ペース配分とどれだけいってもそこ以上にはいかないぞ、という安心感。「金額の上限を守れないのは演奏時間を守れないバンドと同じだぜ」だなんて嘯きながらもうすぐ日付も変わろうという杏花村へドッカと腰を据えた。
案の定、友人知人で賑わっている。

そのうち呼びつけた大島優子似(犬栓耳畜生)やら昔JONNYでサポートドラムを叩いていたG君(諸々の事情で名前は伏せ字)が集ってき、宴の席はいよいよ熱を帯びてくる。
G君が五千円札を取り出して「これでいけるだけ瓶ビールを!」と叫ぶ。流石にそんな真似はしなかったけれども、それくらいの気概がある僕達には「上限千円」なんて縛りからはとっくの昔に解き放たれていたのであった。

その後ラーメンをG君に奢って貰ったりして、気が付けば早朝5時である。
もう明るい中ベースギターを背負っての帰路、思えば27歳くらいまではこういうのを当たり前のように繰り返していたな、だなんて思いつつ時間の経過を愛おしく思った。

『殺人の追憶』を観た。

satsujin_no_tuioku
時には陰惨な映画を好き好んで観たくなる時がある。
そういう時っていうのは気分が絶不調の時か絶好調の時か、だ。あ、断定口調で書いたけどそうでもないかな、いつだって観るかもしれないな、僕ってそういうの好きだったりするから。
のっけから二転三転する論調で書き始めた今日のブログですが韓国映画『殺人の追憶』を観た直後、感動が生々しいうちに書こうと思います。

公開当時から「凄い映画だ」と話題になった(記憶がある)『殺人の追憶』、これってもう今から12年前の映画なんだね。
10人もの被害者を出した未解決事件「華城連続殺人事件」を元にしたフィクション。
実際に起きた未解決事件をフィクション化する時は製作側なりの回答を提示するタイプか(「フロム・ヘル」は研究者達の意見を参考にしながらこのパターンでしたね)史実に沿って「未解決」のままにするかしかないと思うのだけど、本作は史実に則って未解決のまま。
容疑者は何人か浮上するけれどもそのどれも作中でその容疑を否定されている。
というか実際のところはどうだったのかわからないけれども、この映画で描かれる韓国警察は杜撰というか無能というか何というか。
容疑者をボコるし(こんなに跳び蹴りが炸裂しまくる映画だとは思わなかった)、証拠はねつ造するし(そもそも初動捜査で現場保存も出来ないし本当にやる気あるのかいこの人達は!ってツッコミたくなる)、自白を強要してとっとと犯人をデッチ上げようとするし、まあ兎に角序盤から中盤にかけてはこの辺の「テキトー」さをソン・ガンホさん演じる小太りの中年刑事(この人怪獣映画でも出てたけど特に顔に特徴があるってわけじゃないけど凄く印象に残る人だ)を中心にコミカルに描く。

「課長!この事件はおかしな点があります!」→「強姦殺人にも関わらず現場に陰毛が一本も落ちていないのはおかしい」→「つまり犯人はつんつるてんか、無毛症の可能性があります!」→「坊さんが下をつんつるてんにしたら完全犯罪じゃないか」→「そういえば近くに寺があったな...」

もう演出的に爆笑を狙っているのか微妙にハズしたギャグなのかスレスレ感が凄い。腐乱死体を映した後にそのまま焼肉のシーンにバシッと切り替わったりするし。
だけどこの映画の何が凄いってそういうコミカルなテイストを入れつつ、終盤の拳に力が入る展開までスムーズに違和感なく惹きつけていくところ。
容疑者が出てくる→こいつは犯人じゃない、を二回くらい繰り返しつつ、少しずつ真犯人の存在に近づいているように感じさせるのが巧み。半笑いで観ていたら気が付けば拳に力入れて観ていました。

そして最後、最後のシーンですよ。
この余韻、凄い余韻。
真犯人は結局姿を現さないのだけど最後のシーンまで観た後に映画の事を思い出そうとすると不在故に(あ、でも一瞬姿映ったか)その存在感が凄い。
用水路とトンネル、とか色々と暗喩なのかなってシーンとか構図も沢山あったので時間を置いてもう一度観てみようと思います。

『ロンドンゾンビ紀行』を観た。

london_zonbie_kikou
いやっほう!やっぱりゾンビ映画は最高だぜ!

というわけで前々から試写室で並んでいるのを目にして気になっていた『ロンドンゾンビ紀行』を観た。
あ、試写室ではなく自宅で、だよ。
2012年英国発、という事でここ最近観たゾンビ映画の中では新しい部類に入るのではないかと。
原題は『Cockneys vs Zombies』、これを直訳すると『英国労働者階級 VS ゾンビ』になるわけで、登場人物はその通り労働者階級の老若男女。
定職に就かずに老人ホームへの食事配達をアルバイトにしている兄弟に、その老人ホームを経営する二人の祖父(『スナッチ』で殺した相手を豚に食わせてた怖いおじいちゃん=アラン・フォードが本作でも目をギョロつかせて口汚く活躍する!ホッコリする役でもあったので嬉しかった)、しっかり者でガタイの良い姉ちゃんにちょっとキレやすいしアレな街の乱暴者、間抜けな元強盗他、一癖ある連中しか出てこない。
最終的には若者チームと老人チームが合流して一緒に街から脱出を図るわけなんだけれども、この映画圧倒的に老人パワーに目を見張る映画である。立て籠もる事しか出来なかった老人達が(それでも相当にパワフルなんだけど)孫達が持ち込んだ銃器を目にした瞬間に目をキラキラさせて力強くなるっていうのは、単純に楽しい。

あとゾンビ発生のくだりもサクサクッと終わらせてくれるし(ここが特に変化球でない場合時間割くっていうのもアレでしょ?って多分わかってるんだろうなあ、製作サイドは)「どうすれば殺せるんだ!」みたいなやりとりも特になく「頭を撃て!」みたいにゾンビをいきなりゾンビとして捉えている登場人物の描写等、無駄を出来るだけ排して兎に角ユルく笑わせてやろうという気概が伝わってくる小気味よい作品だった。
かといってゾンビの描き方が適当かと言われれば全然そんな事もなく、特にチープさも感じなかったしゴア描写も手を抜いた感はない。ゾンビ映画好きならこれくらいは欲しいよねっていう水準をきっちり満たしている。
英国特有のギャグセンスにお洒落な音楽(の使われ方)にユルい雰囲気、そしてアラン・フォードの目力が楽しいゾンビ映画の秀作ですね。

あ、少し前に観たゾンビ映画まとめはこちらです。
ゾンビ映画って本数観れば観る程楽しくなってくるんだもんなあ。

感無量過ぎて写真を撮るのを忘れたわ俺とした事が。

はい、自動車免許を取得したのでひぃひぃ言ったりニヤニヤしながら父親の車を運転しつつ家族三人でショッピングモールに行ったりしましたよ。一日10分程度のこの運転も積み重ねれば良い経験になるんじゃないかと思っている。

パイプカツトマミヰズ練習(ライブは勿論、早ければ秋にやろうぜってメンバー内で話をしているレコーディングに向けて色々と詰めたりしています)の後、一度自宅へ戻り着替えて鈴木君(studio penne)とエフェクター専門店へ。眺めたり気になるファズを試奏しつつ過ごす。鈴木君はオーバードライブを試していた。
最近パイプカツトマミヰズで闘うためか歪みモノに興味津々な様子で、その向き合う姿勢が彼らしく真面目でありがてぇなぁと思う。

金山へ移動し友人の結婚パーティーへ。
その前に福井から遥々パーティー参加のためにやってきた山田君(ex.不完全密室殺人)が旧知の友人にして僕の中学校時代の同級生のドラマーH君(近々この国でいうところの夏フェスに参加するために渡英するそうだ。ヘッドライナー扱いらしい。いけいけH君)とコメダ珈琲で談笑しているというので顔を出す。
...一瞬心配したけど、山田君案の定ジャージで来てやんの。招待メールに「平服でお越し下さい」って書いてあったじゃん!
それを踏まえた上であえてラフな格好で参加しているのなら兎も角、話を聞くと思いっきり見落としていた模様。彼はステージ上では大胆不敵かつ思い切った事をするけれども、オフステージでは心優しい繊細な小心者でもあるので、その事実に思い当るや途端に動揺していた。
いざ会場入りすると結構ラフな服装の人も多くて彼の心配は杞憂に終わったのだけど。山田君、相変わらずナイスだ。

新郎はバンドで対バンした事もあったしライブハウスで思いっきり弾けているのも見ていたし、爽やかな酔っ払いである彼が良い人なんだろうなっていうのは共有した時間や空間がそんなに多くない僕でもわかっていたけれども、それにしても旧姓谷川よ、良い旦那さんと結ばれたね。
旧姓谷川とはそれこそ彼女が学生時代からの友人で結構長い付き合いになる。出会ってからゆるゆるとした時間を一緒に重ねて、そうこうしている間に仲良くなって、大いにはしゃいだしお互い言いたい事言い合ったり結構性別を超えた友情を、うん、ゆるゆると育んでくれた有難い友人だ。
そりゃあ若かったもの、紆余曲折あるよ。僕達は結構しっかり友人でいたもんだからお互いの色々な瞬間瞬間を見たり話したりしてきたけれども、今夜の旧姓谷川は今まで見てきたどんな旧姓谷川よりも綺麗だったし幸せそうだった。あの笑顔だけで旧姓谷川の末永い幸せを確信したのはきっと僕だけではないと思う。
夫婦並んで皆に祝福される光景が幸せという言葉を絵に描いたようで僕も心の底から嬉しかった。
紋切り型の言葉ではあるけれども、どうか末永くお幸せに!

旧姓谷川が、旦那さんの肩をグッと掴んでドレス姿のまま身を乗り出してキスをしたのは本当にシビレた。
旧姓谷川よ、君、最高に格好良かったぜ。

31歳にして

舟橋孝裕、普通自動車運転免許を取得しました。


平針試験場にて9時半からの試験を受験しようと試験申込みをしたところ、住民票に本籍が記載されていないと受験出来ない事が判明、慌ててタクシーにて徳重の区役所支室にて住民票を発行、当初の予定の次枠の試験を受験する事が出来ました。
合格点ジャストの90点で合格、見直ししてあのマークミスを発見していなかったら、とヒヤヒヤしたものの合格は合格、ホッと胸を撫で下ろした次第です。
安全運転を心掛け、譲り合いの気持ちを持つドライバーになるよう努めます。

帰宅後、早速父親の原付に乗ってみたり父に助手席に乗ってもらい近所をぐるっと車で一周したりしてみました。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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