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奈良へ。

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先日、鈴木実貴子ズの手伝いで奈良NEVERLANDにて演奏してきた。
写真はその往路での休憩中の様子。名阪国道を使っての奈良入りだったのだが、国道沿いの休憩所はどこか懐かしい感じがする。ちなみにここで食べた醤油ラーメンは甘めの味付けで物凄く美味しかった。変に奇をてらったラーメンよりノスタルジーが勝つ瞬間というのは結構ある。

この日は物販スタッフとして妻も同行。となると当然娘を連れての家族での移動となる。往復、2台での移動となった。NEVERLANDは敷地内に駐車場が沢山あり滅茶苦茶助かった。5キロ程離れたところにイオンもある(このイオンが馬鹿でかくて最高だった。子供が生まれるとイオンの有難味がわかる。そりゃあ休日に家族連れが多いはずだよ)ので鹿こそ見に行けなかったけれども妻と娘にこの遠征の別の付加価値を感じて貰えたような気が(勝手に)している。

この日の中音もここ数回のライブのトレンドを踏まえての抑え目の音量で。
けれども音の分離が良いので全員の音がはっきりと明瞭に聴き取れた。いや実際凄かった。こんなに分離して聴こえたのは人生で初めてじゃないかってくらい、やりやすかったもの。ステージ上で音がごった煮になったり飽和感を感じながらの演奏が良い方向に進む事も多いけれども、この日はこの方向性の音作りで大正解!な気がしている。挑戦してみようと思っていたサンズアンプのブレンドを全カットしてからのEQを用いた「素材の良さをより活かした音作り」はリハの際に試しにブレンドをいつもの位置にしてみた時に感じてしまった痛快さのせいで霧散した。なかなか大人になれない。

奈良の地にはそこまで足繁く通っていない、との話だったけれどもダブルアンコールまで頂いて、二人がこの地でも確実に色々なものを重ねてきたんだな、と感じた。サポートメンバーという立ち位置は演奏中こそサポートであるとかあまり考えずにやっているけれども、演奏外の出来事に関してはドラマを最前列で見ているようなそんな面白い関係である、と感じる。
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Guyatone AC105を物々交換の果てに入手した。

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基本的にエフェクターってより新しいものの方が機能的には優秀である、と断言して良いと考えている。
勿論それが「=音楽的に良い」というわけではない事は明らかであるが、音ではなく技術面で機材を捉えた際にそりゃあより新しいものの方が優れているのは当たり前の事である。
音という観点で捉えるとそれが必ずしもそうではない。「この時代のこのパーツならでは」という部品的な点から古いものの方が評価される部分はあるであろうし、あとは信仰的な部分、というと聞こえは良いが要するにもう所有者それぞれの好みの範疇で新しいものを超えて旧いものが評価される瞬間は多々存在する。音響的には恐らく新しいものの方が優れているだろうに、優れているものが良いものではなく、人の心を動かすものこそが良いものであるのはそれらが扱われる現場が音楽であるからであろう。
御託を述べた。要するに、技術的に新しいものよりも古いものの方が重宝される瞬間というのは音楽の現場ではあって、僕が自分で購入して以来愛用していたパワーサプライからわざわざそれよりも旧型のパワーサプライに乗り換えたのはまさしくそういう事で、原因はもう一言でいうと「好み」だからだ。

これまでずっとPOWERALL PA-9というアダプタータイプのパワーサプライを使っていた。デイジーチェーンすれば相当な台数のエフェクターを歪み系、空間系問わずガンガン繋げる事が出来、一頃はそれ一口からどんどん分岐して20台近くエフェクターを繋ぐ事に挑戦していただろうか。兎に角要領不足とは無縁の素晴らしく扱いやすいサプライだった。
少し前に手に入れてから楽しんで使っているGuyatone AC105は技術的にも要領的にもそれには遠く及ばないだろう。けれども見た目が格好良く、内心憧れていたのだこのサプライ。で、鈴木実貴子さんが使っていたところを新品のPOWERALL PA-9と交換して貰った。憧れのサプライゲット!
導入以来、エフェクターを8台以上繋ぐ現場をあまり経験していないのでそこまでガンガン供給しているわけではないけれども、今のところ不足は感じていない。電源ケーブルが長い事が気にかかるくらいか。
これから直接各ペダルにケーブルを接続するのでデイジーチェーンケーブルの取り回しに気を遣う事もなく、楽チンに感じる。あとこれはもう完全に男のロマンなんだろうけれども電源供給をする機材にスイッチが付いている、というのはポイントが高い。

鈴木さんにも「これは舟橋さんの足元にあった方が似つかわしいね」と言われたし、うん、これが足元にあるとグッとくる。
ちょっと荷物になるけれど(笑)。でも、ロマンだしね。

鈴木実貴子ズのバンド編成で東京へ行った話。

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こうして並んでみると顔のサイズが物凄く違いますね鈴木実貴子さんと僕。

というわけで鈴木実貴子ズのバンド編成にて臨んだリリースツアー東京編、無事に終えた。鈴木実貴子ズには二人を手伝うようになってからというものの、色々な場所に連れて行って貰っているけれども、思えばバンド編成で東京遠征というのは初めてだった。遠征当日は金曜日であったけれどもお陰様で職場でも肩身が狭い思いなんかはしていないので有給休暇の申請は快く許可が下り、意気揚々と東京へ出掛けたのであった。

同じくサポートメンバーの各務君(紙コップス)の実家の車を借りての遠征だったのだが、その昔彼とバンドを一緒にやっていた頃によくお借りしていた車から新車へと買い替えされており、それはそれは運転しやすくストレスなく運転する事が出来た。車が良いと運転も楽しいというものだ。とはいえ、往路復路のほとんどを僕はゆったりと過ごさせて貰って、全く何て怠惰なサポートメンバー!と思えども、いやはや、実に快適な旅なのであった。

この日の会場は吉祥寺Planet K。初めて演奏するライブハウスだ。というか吉祥寺のライブハウスでの演奏が初めてかもしれない。以前偶然立ち寄った大型質店が吉祥寺だった事にこの日再訪して気がついたが、それ以外特に吉祥寺に訪れた記憶がない。リハーサル後に銭湯がてら少し近くをぶらついたけれども、雰囲気の良い街だった。ステッキ専門店を謳うお洒落なお店もあった。銭湯の脱衣所ではNUMBER GIRLの(元、とつけなくても良い悦びよ)向井さんと田渕さんのパネルが展示してあった。どうやらその銭湯で音楽イベントが開催されたらしい。いやそれ絶対楽しい奴じゃん。

この日の鈴木実貴子ズの演奏は演奏後に皆が口を揃えたように「良かった」と言う程、良かった。僕は割と「汗を沢山かくと良い演奏!」みたいな馬鹿げた判断基準を無意識化で用いて演奏を評価反省しがちなのだけれども、この日はちゃんと冷静と情熱の間で適度に逸脱して、かつしっかりと構築する演奏が出来たという自負があった。曲が曲として呼吸する、というと陳腐な表現であるし書けば書く程本質から遠ざかる気もしないでもないけれども、何にしても良い演奏だったと思う。
バンド編成はこの頃、ステージ上のアンプ類から発せられる音が小音量化しており、それに伴って演奏もタイトさを増してきているように感じる。大音量でブッ飛ばす、感情的にブッ飛ばす、だけではなくて鈴木さんの歌をグッと押し出して曲の広がりも出るように色々な試行錯誤が可能な音量で演奏しているのではないだろうか、等と分析する。
挑戦と試行錯誤は続けていきたい。何かを作る人間としてそれが本懐である、と思っている。

『SEE SHE SEA』

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6月8日、9日と名古屋市青少年交流センター ユースクエアで上演となった音楽家 いちろー君の『SEE SHE SEA』という作品に演奏で参加した。

この作品、普段は廃墟文藝部に所属して劇伴を書いたり他団体に作曲で参加したり、僕も参加する白線の内側でキーボードを弾いたりと大忙しのいちろー君が珍しく主導で作り上げたもの。当初こそ「僕の音楽のライブ演奏を行うので手伝って下さい」というオファーで音楽メインの公演が想定されていたようだけれど、結果的には俳優によるテキストの体現も含めた一つの作品となったのであった。
オファー時は「あー、今まで彼が書いた曲をバーッと演奏するのかな」とシンプルにライブを想像したのだが、そりゃ演劇が好きで演劇を愛してクリエイションを重ねてる彼だもの、単純に曲だけを淡々とやるよりそこに意思と意味を込める事でとても彼らしい作品となったな、と感じた。

稽古自体は少し前から入っていたのだけど振り返ってみれば各参加メンバーの出自というか、どういった人でその人から成る表現は何なのか、をいちろー君が探る時間が多かったように思う。その最中はその行為にどんな意味があるのかこちらとしては捉えきれない部分もあったのだけど、作品の初稿が提示された際にそこに演奏者それぞれのソロコーナー(というか厳密には役者と演奏者2人のアンサンブルだが)が記されていた事で、重ねられてきた時間がそういう形で帰結したのかとストンと腹に落ちたのであった。ああ、思っていたよりもこれはそれぞれの表現が求められていて、集団としての物作りなんだな、と。いちろー君の作品の中でその人の色、時間と空間が求められているんだなと僕は(勝手に)そう解釈した。
変な話ではあるけれど、それによって他のシークエンスとの繋がり、「演奏」する上での軸みたいな部分がスッと出来上がったのであった。

あと非常に印象に残っているのが出演者の大半を占めるのが演奏家である中で、作品に関わるのが舞台に上がる面々だけであるわけはなく、舞台を作り上げるというか司るというか、そういったわかりやすく言うと音響であったり照明であったり舞台監督であったり制作であったり、そういったプロフェッショナル達の仕事の丁寧さとその所作の美しさであった。瞬間を積み重ねて積み重ねて積み重ねて積み重ねて、そうやって作り上げていってるんだこの人達は。普段ある種その場その場というか、瞬間的にどうあるのか、どうするのか、どう弾くのかを考えて演奏に臨んでいる自分からするとその姿勢というのは自分や周りの人間とはまた違った種類のストイックさを感じたのであった。
今回の座組は大変ストイックで、そして円滑で、普段不慣れな環境での演奏に対するストレスや会場にいて演奏する時間以外の時間、所謂待ち時間のストレス等は微塵もなかった。普段結構、会場入りしてから本番までの時間って所在に困る事があるのだけどね。

作品そのものについて触れるのはある種の野暮さも感じてしまうので言及は避けるけれども、いちろー君の在り方というか一つの集大成だと思うのでそういった機会に声をかけて貰って作品に参加出来たのは大変嬉しかった。

演奏の半分は即興であるが故に、仕掛けたい時に仕掛けられるように足元も色々とそれなりに詰め込んだ。
ソロコーナーはホットタッチ(音響の堀場眼助さんがこのために抜き差しの際に自動でミュートされるサイレントプラグを使ったシールドケーブルを作って下さった。滅茶苦茶便利だったので普段使いで欲しいくらい)にリングモジュレーターをかけて電子音のリズムを作り、ミートボックスをかけて重低音のリズムを打ち、その上でファズをかけて即興で演奏した。会場入りする道すがら、アート・リンゼイの音楽を聴いていたのでそういう演奏になった。影響受け過ぎ。
完全暗転(こういう現場の暗転はライブハウスのそれの比ではない。本当に真っ暗)の中での演奏に舞台からの撤収、となかなかない経験も出来た。演奏家としてはどんどんと経験値を重ねていきたい。

個人的にも挑戦のし甲斐のある公演であったし、何より楽しい人達と出会えたのでそれがとても嬉しかった。
「またね」と言ってお別れした。「また」の機会は公私ともに作っていかないといけないなァ、とぼんやり思いながら。

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犬栓耳畜生ライブ、それとそれぞれのバランス。

6月2日の日記である。
この日は新栄DAYTRIVE&TRIMにてちょこたんとDAYTRIVE稲垣さんの共同企画に犬栓耳畜生で出演。
毎回演奏曲はおろかライブの構成を考える人間も変わる犬栓耳畜生、今回のコンダクトは炭酸さん。内容としては炭酸さんらしい実験精神と挑戦意欲に満ち溢れたものになった。炭酸さんは割とその時の旬をぶつけてくる、というよりかはそれまでの活動を踏まえた上で更に挑戦する内容をコンダクトとして仕掛けてくる事が多い。セットリストにずらりと並んだ曲目を見ただけでは内容は「?」となるものばかりだったけれど、いざスタジオに一度入って内容について説明を受けると「ああ、成程」と思えるものばかりだった。
体力の限界に挑戦したい=スクワットをしながら演奏、海外で子ども達がある種の罰ゲームに使用するという極端に酸っぱい味から極端に甘い味に変化する飴をいっせーのーでで口に含んで、味の変化に併せての即興演奏等、どのタイミングでどのようにこのアイデアを思いついたのか想像出来ないものばかりだ。挑戦し甲斐がある。
本番当日、まさかの炭酸さんが個人輸入してまで手に入れた件の飴を忘れてきてしまい急遽コンビニで購入したグミで演奏する事になった事以外はさしてトラブルもなく(笑)、僕達は予想通り予測不可能な演奏を披露したのであった。犬栓耳畜生のライブ中に限って偶発的に格好良いノイズを出してくれる俺のエフェクター達、愛してる。

さて、この時期はこの後に差し迫った現場だったりこの日のライブだったり、と娘の体調不良やら仕事で立て込んだりが重なり、ちょっと色々なもののバランス感覚を見つめ直さないとなあと思った時期であった。
僕は一人の人間であると同時に夫であり父なので仕事=お金を稼ぐ事をしないといけないし、同時に妻と分担して娘の育児や家事にも向き合わねばならない。ただこの時期はちょっと家を空ける事が連続したように感じ「これじゃあいかん」と思ったのであった。
表現活動は完全に僕の趣味であるし、妻も活動に理解があるから現状問題はないはずなのだがそこに甘え過ぎてしまったと思うし、同時に仕事についても僕は必要以上にオフの日にも仕事についての勉強会等の予定を入れてしまっていた。これもこの先のキャリアプランや先々の家計について関係ある事なので妻は理解があるのだが、これまたそこに甘えてしまっていた。
僕が楽器を弾いたり仕事の勉強会に出たりしている間、妻は家で一人で娘の世話をしている。娘はまだ数ヶ月だしいざという時に動ける人間がもう一人いないと不安でしょうがない事は明らかだろう。すまない、妻よ。
僕みたいなお気楽野郎はたまにでもこうして自戒しないとな。

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犬栓耳畜生のライブ後、迎えに来てくれた妻の膝の上ではしゃぐ娘。赤ちゃんって凄い。熱があってもそこまでテンションが落ちているように見えない。この日はバンドメンバーだったり色々な人に愛嬌を振りまいていた。

娘の情操教育とサカエスプリング。

6月1日、この日はサカエスプリングに出演する鈴木実貴子ズの手伝いで演奏。
入り時間が遅めで、会場入りの前に練習を一時間するにしても夕方から家を出れば良い程だったのでそれまで家で家族とゆったり過ごすか、と思っていると朝方、妻から「今日はタキナオさんの個展に行こう」とお誘いが。
成程、確かにこのタイミングなら行ける、と早速準備して家を出る。かしやま君(あたらしいまち)にも声をかけてみるとたまたま予定がなかったそうなので一緒に出掛ける事になった。

改めて振り返るとタキナオさんの作品でじっくり拝見したものってそのほとんどがタキナオさんのライトドローだった事に気がつく。
何ならタキナオさんのライトドローイングと一緒に演奏した事がきっかけで始まったご縁なので「タキナオさん=ライトドローイング」という印象が強いけれども画家なんだもの、キャンバスに感性を投影しないはずがなかった。
で、何が凄いってやっぱりタキナオさんの作品ってタキナオさんそのもので。じっと作品を観ているとそれこそライトドローイングのように立体的に動いて感じられるし、同時にライトドローイングってキャンバスに描かれた瞬間の連続なんだな、とも感じた。
娘を抱っこしながらボーッと観ていると、何だか心のひだの中に染み渡ってくるようでサウナと水風呂を行き来した時のような感覚に陥った。滅茶苦茶良い。あの絵が部屋に一枚飾ってあるだけで毎日リラックスする時間が作れそうだ。
生憎と持ち合わせがなかったのだが(ポストカードを買うには買ったけれども、なんだろう、キャンバスに描かれたものと立体感が違うように感じてしまった。素人ながら)、タキナオさんの作品はいずれ絶対に拙宅に一枚飾りたい、と心に決めた日であった。

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8ヶ月の娘の情操教育について考える。
僕は自宅のリビングでゾンビを撃ち殺したり殴り殺したりするゲームを最近遊んでいるのだが、こういうゲームがリビングのTVで遊べるのも今のうちかもしれない、と最近思う。娘もそろそろ自分が目にしているものが何であるのか理解出来るようになってくるはずだからだ。
ゾンビゲームが教育上子供に与える影響について是非を問いたいわけではない。暴力的なゲームや映画、表現物が子供に与える影響なんてものを僕はここで言いたいのではなくて、娘には自分の趣味嗜好を自分で手元に手繰り寄せる権利があると考えているだけだ。幼い頃からゾンビものに慣れ親しんでみろ、そういうのが好きになってしまうかもしれない、自分が好もうと好まざると。ゾンビものを好きになるなら自分で行き着いて欲しい。それもきっと親のエゴではあるけれども、彼女には自分の「好き」を自分の手で自分の感性で構築して欲しいからこそ、僕は彼女の前でゾンビゲームで遊んだりしないようにしようと思っているし楽器演奏も無理にさせようとは思わない。何を好きになるか、見守りたいなあと思う。
そういう意味ではこの日のタキナオさんの作品展然り、僕の周りの友人知人にはとても刺激的な才人が多いので娘の情操教育には困る事はなさそうだ。一体誰から刺激を受けてどうなっていくのか、楽しみである。

夕方、鈴木実貴子ズの練習に一時間ばかし入りこの日のセットリストのおさらいをする。
先日も思ったばかりだがサーキットフェスは会場入りしてからあっという間だ。この日の会場は新栄TweeHall。CBCのすぐ近くにあるのだが恥ずかしながらこの日初めて足を踏み入れた。普段はパーティー等で使われているそうで、確かにバーカウンターにその片鱗は見られた。鈴木実貴子ズはこの会場のトリ。
この日の演奏は自分の中でも今後、突き詰めて考えていくべき課題が浮き彫りとなる演奏だった。つまり、結果的に収穫は多かった。

娘もそうだけれども、僕も感性をもっともっと磨かないといけない。

京都にて旧友と再会。

5月26日は京都へ。
サーキットフェス『いつまでも世界は...』に鈴木実貴子ズが出演、有難くもサポートで演奏に参加してきた。
今回は京都での滞在時間も短そうだし帰宅時間も早めで済みそうだったので妻と娘も同行、鈴木実貴子ズと同じくサポート参加の各務君(紙コップス)とは現地集合する事になった。
新名神高速が開通してかた関西方面への遠征は体感上、移動時間が短くなったように思える。この日は日曜だからなのかスポーツカーの集団が物凄い速度で追い越し車線を疾走していった。ッビューーーーン!って音がするもんだからたまげちゃった。

娘用のイヤーマフも用意してバッチリだ、と準備していたのだが肝心の抱っこ紐を忘れてしまった。広いわけでもないライブハウスの中、ベビーカーはいかがなものか。妻が機転を利かせて風呂敷で抱っこ紐のようにしてくれた。こういう時に行動力と決断力、そして機転の利くパートナーで本当に有難い。僕は演奏前には気持ちが急いて駄目だ。普段でも頭の回転が良いわけでもないのに余計に機転が利かなくなってしまう。
ちなみにこういう時の鈴木実貴子ズの二人は本当に優しい。自分達も演奏前だっていうのに妻と娘にまで気を遣ってくれる。気を遣わせてしまった、わけなんだけれども演奏でその分お返しせにゃあ、と気張る。

転換中、持ち込んだベースアンプヘッドから音が鳴らず焦る。足元のエフェクターが原因なのかそれともアンプ側なのかトラブルシューティングに時間を割くよりサーキットフェスの限られた転換時間、出来るだけバンドの音作りに時間を割いた方が良い結果が得られるのは明らかで、ライブハウス常設のアンプヘッドに接続を差し替えて足元も必要最低限のシステムに組み直す。
よし、音が出た。気持ちをブーストしてくれるファズペダルに突き刺すようなオーバードライブは失ったけれども、プリアンプに直接入力した愛用の楽器の音は、うん、なかなか良いじゃあないか。やれる、やろう。

サーキットフェスだから、ではないのだろうけれども転換から演奏終了までの体感時間はこういう日は物凄く短い。
この日もあっという間に演奏が終わった。タイムテーブルとにらめっこしながら多くの人が会場を行き来するサーキットフェス、多くのお客さんは何を観るか聴くか「選ぶ」事になるわけなのだが鈴木実貴子ズの音楽は多くの人に選ばれていた。
演奏の良し悪しについては最近、毎回こう思う。「もっとやれたのに」と。こればっかりは悪い事じゃないし気持ちに実感が追いつく日というのは来るのか果たして来ないのか。到達した時にのみそれがわかるだろう。
演奏を終えてまだフロアに人が残っている中、急いで片付ける。物販を手伝っている妻から娘を引き取らなければならない。
慌てて物販スペースへ向かうと妻がニコニコしながら娘を抱いていた。聞くとライブハウスのスタッフさんや何ならお客さんも娘を可愛がってくれたらしい。人の親になって痛感するけれども世の中、本当に優しい人が多い。本当に有難いし頭が上がらない。
汗をかきかき地上へ出ると、往来の向こうの方を昔共演した知人のバンドマンが歩いて行った。何人か見た事があるようなないような、そんなバンドマンも見かけた。そりゃそうだ、サーキットフェスだものな。

娘にミルクを上げ、折角京都で一緒に演奏したのだから帰りの時間は調節して、中途のサービスエリアで一緒に夕食でもとってから解散しようと時間をやりくりしていると各務君から電話。彼は演奏終了後、近くの会場で演奏していた太平洋不知火楽団を観に行っていたようだ。ベースの大内君と久しぶりに会ったので良かったら顔を出さないか、との事。妻と娘とそちらへ向かった。

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完全に丸顔になっている僕と娘、怪奇大作戦オマージュの大内君と各務君。

旧友は、果たして全然変わっていなかった。前に会ったのがいつだったのか忘れてしまうくらいには大内君と僕はそれぞれ別の場所で時間を経てきたはずなのだが、以前と全く同じ感覚で話せたのは驚いた。下手すると同じ名古屋で月に一度会ってる人よりも気楽にお話出来ちゃうんだから、これは一体何なんだろう。決してお互い言葉が多いわけではなかったけれど、近況を話したりゴジラやスターウォーズの話をチラチラしたり、した。
大内君は色々経た上で太平洋不知火楽団で再びベースギターを振り回している。僕は転々としながらもマイペースに色々と演奏している。共演が楽しみだな、旧友よ。

自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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