fc2ブログ

オーバードライブの沼 その1.DOD Overdrive preamp250

嗜好品又はそれに類するものに耽溺する事を、或いはその嗜好品自体を「沼」とか「沼にハマる」という。
テレビ番組のタイトルにも冠される程なので最早これは一般的な言い回しなのだろう。事実、僕や僕の友人達も沼という表現は日常生活でよく使う。
2019年は相も変わらずエフェクターという沼にハマった、ハマり続けた。1
数える事なんて既にしていないけれどそれなりの個数を購入しただろう。「演奏行為をする上で必要とされる」以上のものを購入している自覚がある以上これはもう蒐集が購入目的の半分以上であると言って良いだろう。
それを自覚してからというものそれまでのように必要に応じて何が最適解か調査検討して購入するという一般的な新しい道具の導入経緯や偶然にも素晴らしい出会いがあってそれを既存の道具と入れ替えるという機会以外、即ち「何か面白い、刺激的なものはないか調べて物欲を刺激されに行く」事を僕は日常的に続けていた。理解ある妻がいてくれて助かった、時に寄り添い背中を押し、時に僕を諫め僕の蒐集が生活を破綻させないように表立って支援してくれた彼女には感謝してもしきれない。

さてそんなエフェクター沼だがここ最近はそんな沼の中でも特に「オーバードライブ沼」にハマりかけていた。
幸いにもそれは必要性と明確な到達点があった上での探究行為ではあったので無尽蔵にオーバードライブを買い漁る事にはならずに済んだ。その上僕が本当に幸運だったのは「これだ」と思えるオーバードライブペダルに比較的すんなり出会えてしまった事であった。

その日その瞬間の演奏に必要と思われる、或いは演奏に臨む際に足元に転がしておきたいと思われるペダルを演奏の前に準備して臨機応変に足元を入れ替えるスタイルで足元を構築する僕は、当然ながら歪み物は相応の種類を用意しているし一言で歪み物と言ってもそこには色々な種類がそもそもあるからして、所有ペダルの中でも歪みが占める割合は結構高い。
その中でオーバードライブの範疇に入る物はどれだけあるか厳密に数えた事はないけれど、自覚の上では決して多いわけではない。というのもやっぱりギャンギャンに歪んでいる、ブッシャンブシャンに歪んでいる音に興奮する気質からするとオーバードライブは地味に感じてしまっていたし、手持ちの幾つかのペダルでこれまでは十分だったのだ。そもそもそんなにオーバードライブを使う機会はなかった気がする。
されど最近では活動の頻度が高くなっている鈴木実貴子ズのサポートではファズも使用するけれども所謂オーバードライブ的な音が必要だと思われる瞬間が多く、その際はOCDを使用して欲するニュアンスを実現してきた。

ある日の事である。当たり前のように使っているOCDに不満、という程でもないけれども「もっとこうだったらいいのにな」的な感覚を抱いてしまった。即ち「もっと音量調節がしやすいと良いのにな」「もっと欲する音にアクセスしやすいと良いのにな」と。
或いはこれは率先して沼にハマりたいがために安定した日常に自ら投じた小石だったのかもしれない。だけれども水面に放り込まれたその小石は波紋を呼び、もう日が経つにつれ最初こそは些末な感情であった「こうだったらいいのにな」は徐々に不満に変わりつつあった。
人は状況を改善して向上していく生き物である。好きでやっている演奏活動に対するストレスは、それが好きでやっている事であるが故に放置するべきでないし放置する事は出来ようはずもない。
改めて、オーバードライブについて考えるべき時が来た。
元手にするのは好奇心と欲求、それだけだ。いや予算とかは勿論あるけれどもね。

真っ先に思いついた、というか思い出しのがDOD Overdrive Preamp250である。
楽器を弾き始めた頃から楽器屋の店頭、中古売り場の棚の中、質屋の売り場で見かけた、値段は決して高くはなくむしろ手頃、あの見た目もアメリカンな黄色で良い意味でちょっとチープなペダル。ベースに使っても良い、という評価を耳にしたのは2014年に復刻版が出た頃だっただろうか。
ベース専用機ではなく、どちらかというとギタリストが使う範疇のペダルにいったのは単純に僕がへそ曲がりだからである。
そういえば、実家の近くのチェーン展開する質屋に良心的な価格で並んでいた気がする。
家族で出歩いた際、自然に、極めて自然に妻と娘を誘導して僕は質屋を訪れた。自然に、これまた極めて自然に店員さんに試奏の申し込みをし、売り場の隅に置かれたギターアンプで僕はそれをベースに繋いで鳴らす事が出来た。ギターアンプで鳴らしてもオフ時の音を損なう事なくそのまま鳴らしてくれる事は十分わかった。少し試走して、僕はそれを持ち帰る事に決めた。妻には「クリスマスが近いし」とその後再び口にする事になる文句を言って購入の意思を伝えた。値段がまだ安価ではあったので妻は了承してくれた。有難う、妻よ。

2019_12_28_001
さて、DOD Overdrive preamp250である。
今回僕が購入したのは復刻版ではなくそれ以前のもの、なので本来であればLEDがついていないはずなのだけれどこれは前オーナーが使用上の利便性を求めてか改造を施したようでLEDが付いている。それと同時に音的にも改良を施してあるかもしれないしLEDを付ける事で他にも回路に手を入れている可能性があるのでこれが純粋にオリジナルのOverdrive preamp250の音かは定かではないけれども、いや成る程、確かにこれは扱いやすい。
実際触ってみるまでコントロールがGAINとLEVELの2つである事に対して調節する上で不便さを感じないか若干気がかりではあったのだけど、むしろこの2つで十分である。
GAINは12時までは音が太くなる味わいを付加してくれる。で、12時を超えた辺りから徐々に歪み始める。フルアップすると結構ジャギッ!と歪んでくれる。LEVELも割と繊細なコントロールが出来る印象。
トーンはついていない割り切りの良さがむしろこの場合アクセスのしやすさに繋がっている印象がある。ただGAINを上げていくとそのまま高域も結構前に出てくるので滅茶苦茶歪んでるけどイナタい!みたいな音は出せない。GAINを抑え目に設定すれば「あ、歪んじゃったのね」みたいな音は作れるしむしろpreampと銘打ってるだけあってそちら寄りの音の方が得意なのだろうなと思う。なんでも回路的にはMXR Distoition +を元にしているそうで、そちらもいつか機会を見つけて触ってみたいなと思った。

OCDと比較して音量調節がしやすいというところでの課題はクリアした。音のキャラクター的には結果的に比較するものではないと思うけれど、これは使う瞬間が出てくる音である。
ただ、高域がギャンギャン出てくるっていうところで僕の求めている歪み具合では音が限定されるなあというのはある。

この段階ではオーバードライブの沼から、まだ抜け出せないでいた。
スポンサーサイト



オルタナティヴなギタリストとの共演編。

12月8日はYONONACAで新栄DAYTRIVEに出演。

この日はex.Rain caughtsの山下君をサポートギターとして迎えての4人編成だった。
山下君、一緒に演奏するまではジャズとかそういう音楽に強いタイプなのかと勝手に思っていたのだけど、実はバリバリに根っからのオルタナティヴ派で演奏もそれが少なくない量で滲んでいて一緒に演奏していてとても楽しかった。
やっぱりここぞ!という時にガッツのある演奏をされる方とアンサンブルしているとこちらの演奏もどんどんと「その気」になったものになる。
演奏前までは「今日は落ち着いて、冷静と情熱の間で、ね?」と自分に言い聞かせるようにしていたのだが気がつけば良い意味でも悪い意味でも落ち着きを欠いた演奏をしている自分がいた。
山下君、とても素晴らしい演奏でした。またご一緒しましょう!

YONONACAでの演奏は毎回「自分が何であるか」を考えさせられるものとなる。出自が全く違う人達で演奏しているからこそお互いに良い意味での尊重が生まれ「そうするのか、ではこう応じよう」という精神的なアンサンブルが生じているように思える。
僕はまだまだ自分の表現をするための技術力が足りない。

演奏が終わり次第、帰宅。
遠征とか企画とか以外ではなかなか終演まで、とか終演後も会場にて過ごすという時間は減ってきたなあと思う。
勿体無い気もするけれど、僕は欲張りだからしょうがない。

2019_12_16_001
この日のエフェクトボード。
普段はディレイ(飛び道具用)でまかなっている役割をEarthQuakerDevicesのRainbowMachineで。まだまだセッティングには追い込む余地があるものの、期待していた役割を全うしてくれた。良いペダルだ、想像力を刺激される。
BOSS BC-1Xを入力最前段に接続してのバッファー機能とそれ以降のペダルへのゲインコントロールはBC-1Xのレベルコントロールがセンシティヴ過ぎるので辞めた。BC-1X以前の、TU-2→ボリュームコントロール(ローインピーダンス受け専用)でBOSSのバッファを活かしながらゲインコントロールを実現した。足元がかさばるけれども、コントロールしやすい快適な演奏をするためにはしょうがない。それにゴテゴテとペダルを繋ぐのは決して嫌いではない、どころか大好きである事を思い出した。

深夜のレコーディング

11月29日(金)、仕事を終え急いで帰宅し晩ご飯を食べ娘を風呂に入れ、寝かしつけをし興奮気味に準備をして妻に声をかけて家を出た。

この日は深夜に市内某所にて鈴木実貴子ズのベースレコーディング。わざわざベースレコーディングと書いたのは僕以外のパートは全パート録り終えているからである。

鈴木実貴子ズの作品はバンド編成で録音されたもの(有難い事にここ数作はほぼ全曲バンド編成で録音されたものである)は録音の工程がちょっと変わっており、まずアコギとボーカルとドラム、つまり鈴木実貴子ズとして録音がされ次にギターないしはベースを録音するという、リズムセクションから録音して重ねていくよく採られる方法とは違った順番で音が重なっていく。で、これらはノークリックにて曲のテンポなり加速減速がされているのでギター、ベースは完全に呼吸であわせていく事になり、僕が思うにその「二人の呼吸に合わせる事」でちゃんと鈴木実貴子ズの作品らしさが出ているというか、やっぱり二人だろうがバンド編成だろうが曲自体がブレないのはそういうところも関係しているのではないか。

クリックなしでアコギと歌とドラムに自分の演奏を重ねていくという方法は最初こそ少しだけ面食らったものの慣れてしまえば何ていう事はなく、まあ普段一緒に演奏している通りというか今となっては違和感なくやれてしまえているのでやっぱり人間、何でもやってみないといけないなと改めて思い知らされた。あ、でも勿論細かいところは現代技術=ソフト上での修正を施してあるのだけれど。曲の8割9割を二人の呼吸にあわせて弾く事で「らしさ」みたいなものが出るんじゃないかとそんな風に感じている。

話が長くなった。
というわけで今回は各務君がギターを録音し終えていたので残すは僕のベースパートのみ、各務君が録音を担当してミックスエンジニア氏へデータをお渡しするという前作と同じ流れになったわけである。やり慣れた方法が一番。

「エレクトリックベースギターの素のラインシグナル」「エフェクト(主にコンプ)を通した信号をサンズアンプ、アンプシュミレーターを通して音作りをした僕の意志が反映されたシグナル」の二つの音をライン録音。アンプをボンボン鳴らすわけでもないから気楽だし、何より今時のアンプシュミレーターって凄いね、アンプをマイク録りした音と遜色ない、というかちゃんとアンサンブルの中ではそれらしさが十二分に出ている。実際アンプヘッドを持ち込んでそれを通した音も検討してみたんだけど他の音と混ざった際にはアンプシュミレーター通したシグナルの方が馴染みが良い感じがあった。
あ、勿論楽器はいつものYAMAHA SBV-550改。

セッティングと音作りに一時間くらいかけさせて貰って(何と贅沢!)、その後はなんだかんだ4時間近くかかったのかな、合計5曲分のペースパートを録音した。これだけ時間をかける事が出来る贅沢!
プレイバックを聴いている段階で「今回は前より音良いねえ」だなんて言葉が出るくらい良い手応え。
録音しながらでもベースフレーズが再構築されていく瞬間があってやっぱり録音する事で精査される側面はあるな、と再認識した。

いっせーの、でのレコーディングは少し前にやっていたけれど、こうやって各パート毎の別録りは久しぶりだったが大変手応えのある、良い時間となったと思う。
仕上がりが楽しみである。

父として、演奏家として。

少し前の事になるが演奏、又はそれに臨む際に非常に印象深い時間を過ごした経験があるのでそれについて書いておく。
初めてベースギターという楽器を握った高校3年生の頃からずっと楽しく続けてきた『道楽』であるところの演奏活動だが、結婚そして妻の出産と所謂ライフステージを経た事によって生じた環境の変化、それに伴う責任の変化を強く痛感させられる一日を過ごした。今から一週間程前の事である。

11月23日は鈴木実貴子ズが静岡で開催されるサーキットイベントに出演する、という事で僕もサポート参加する予定だったのだが懸念材料は娘の体調不良だった。
娘も一歳になり以前より大いに歩きまわるし感情表現も益々豊かになり我が家は大変賑やかなのだが、あの年頃の子どもというのはやはり体調を崩しやすい。保育園に通っている娘は尚更である。風邪を引きやっとそれが治ったと思えば次の風邪を貰ってくる。そうやって免疫力を高めているわけだし人からも「3歳を超えると物凄く丈夫な子になるよ」と励まして貰えるが、その頃娘は一週間以上風邪をこじらせていた。鼻水がぐずぐずいうのはまだいいのだが、39度近くの高熱が出ていた。かかりつけの先生曰く「風邪をこじらせている」と大病であるわけではないとお墨付きを貰ったのだが、それでもやはり高熱を発しながら普段よりグッタリしている娘は妻と僕を心配させるには十分だった。加えて痰が喉に絡まるのか眠っていても苦しそうに咳をしているので僕達夫婦の娘に対する同情は募るばかりであった。
処方薬を飲ませ、夜咳で目が覚めて泣いている娘を抱き、揺らして眠りにつかせる。
22日から23日にかけての夜中も高熱が出ており(日中は下がるのだがどういうわけか夜中になると熱が上がる。子どもってそういう子、多いみたいね)妻もナーバスになっていた。ただの風邪ではあれども高熱を出す娘の世話を妻一人に託すのもあまりにも負担が大きかろう。
物凄い葛藤があったが、夜中に高橋君に連絡。現状を伝える。場合によっては静岡に行けないかもしれない。自分の中での演奏に対する矜持と父親としての想いがぐっちゃんぐちゃんに入り乱れ、結構動揺したわよ僕も。

翌朝、娘は幸い熱が下がった。
妻と相談した結果、集団行動ではなく単身静岡入りをし演奏が終わり次第現場を離れ少しでも早く戻るという事で演奏に参加出来る事となった。
有難い事に娘の熱はそれきり上がらず、体調も安定し鼻水も処方して頂いた薬が効いたのかどんどんと減少し娘は再びはちきれんばかりの元気さを取り戻したのだが、今回の一件は今後起こり得る事態を想定させるには十分過ぎるものであった。咄嗟の時には迷わず冷静に判断を下せる男でいたい、と思うのだが果たしてそう出来るだろうか。
そもそもからして事前にもっと出来る事があったのではないか。事無きを得た今でも悔いが残るのだが、きっとどう行動した所でもっと最善の行動が、と思うに違いない。
今後もその都度その都度、イレギュラーな事態にぶつかるだろうしその度に判断を迫られるに違いない。人生とは得てしてそういうものなのだろうから。
だが娘にとって父親は僕一人だし妻にとって夫は僕一人だ、という事は今回の一件で強く痛感した。

往復の名古屋静岡間の運転は思ったよりも平穏に過ぎた。
往路は妻へ定期的に報告を入れながら、そして妻から緊急の連絡がないのは娘が無事であるという証明であると理解しながら、ではいざ臨む演奏に対してどのように向き合うかと考えながら。
復路は終えた演奏の反芻をしながら妻とハンズフリーで通話をしつつ娘の体調を聞き、単身娘の世話をしてくれた妻へ如何に報いようかと探りを入れながら。
満腹状態でなければ意外と眠気は襲ってこない事、単身での浜松入りは意外といける事、運転中は独り言が増える事等知った。

この日の演奏は大きなステージに大きな音、ゴージャスな環境での演奏だった。
演奏が始まると同時に、感謝しながら思い切り弦を殴りつけるように気持ちを込めてピッキングした。

自己紹介

フナハシタカヒロ

Author:フナハシタカヒロ
愛知県在住、ベースギター奏者です。

お問い合わせ

お問い合わせ、出演オファー、サポート依頼等はこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ

検索フォーム