学生時代の研究室での思い出

大学時代に黄ばんだ白衣を着て研究していたのは『ラットのアルコール嗜好にアルコール・デプリベーションが与える影響』だった。

これは行動心理学領域の研究で、ラットは実験用の鼠、アルコール・デプリベーションはアルコール剥奪、とでも訳そうか。要するにアルコール中毒のメカニズムを鼠を使って検証する仮説検証実験だったのである。

これは条件、形を変えて我らがゼミで何年も何年も続けられてきた実験で、それってつまりは毎年実験用の白鼠24匹が処分されている事を意味する。隣室のゼミでも動物実験を行っており、2つ並んだそのゼミ室は畏怖と蔑称を込めて「鼠ゼミ」と呼ばれていた。

動物実験といえば冷酷無比、残虐なものを想像するかもしれない。前年度の実験動物をエーテルを用いて安楽死させ、屋上にて乾燥させる作業は何だか妙に事務的で淡々としており『動物実験』というそのどこか無機質な言葉に似つかわしい内容であったし、僕の友人等は義憤のあまり署名運動まで起こしたくらいであった。

ここで動物実験の是非について書くつもりはさらさらないし、倫理的問題も問う気はないけれども、当時学生の間で臭くて汚くてしかも「動物実験」を行う我らが研究室は、どこか敬遠されていたように思う。

事実、希望者が少ない事で有名な我らがゼミ、僕の学年は4人しかいなかったのだ。しかもそのうち一人は、担当教授が教えている一年次の必修科目さえ単位を取得しておらず、その時点で3度目の再履修に挑戦中だったのだ。彼は一年次に学部の半数(鬼の○○、と呼ばれている教授だったので実際講義は難しかった。しかし教授の実像を知ると鬼呼ばわりされる程の方ではなかった。極めて正当な研究者、指導者であった)がクリアするその科目を「講義がつまらん」という単純な理由で毎週のように自主休講にし、その講義の間はサークルの部室に引き篭もってベースの運指練習をひたすらにしていたという。

言ってしまえばそれが彼の落ちこぼれカレッジライフの始まりでもあったのだけれど(それと同時にサークル活動に打ち込んで得難い経験もしたのだが)、まあ今の僕からは「僕は本当に運が良かったなあ」としか言いようがない。教授のお目こぼしもあったのだろう、1年から最履修を何度も繰り返し、4年生でようやく単位を取得、あとは卒業論文の口頭試問だけとなった。


さて、ここで我々が行っていた研究内容について少し触れよう。

24匹のラットを24個のゲージの中に入れ、そのゲージには二つの飲料瓶がとりつけられるようになっている。それらの飲み口はゲージの中に引き込まれており、ラットは任意のタイミングで任意の分量だけその中身を飲む事が出来る。二つの飲料瓶、一つには水道水、もう一つには5%アルコール溶液を入れる。

12匹ずつ2群(A群、B群とする)に分けられたラットの明暗を分けるのはここからである。A群には毎日常に水道水と5%アルコール溶液の両方の飲料瓶をゲージに差し込んでおく。対してB群は毎週火曜、木曜、土曜の3日間だけはアルコール飲料瓶を取り除き、水道水だけにしておく。つまりB群は火曜、木曜、土曜の三日間だけ強制的に「禁酒」状態に置かれる事となる。

さて、どうなるか。

何年にもわたって繰り返されてきた結果から、そして先人達が蓄積してきた行動心理学の知識から導き出される結果としては、A群に比べてB群のアルコール摂取量はどんどん増加していくのではないか、そしてそれはアルコール・デプリベーション(アルコール剥奪)が行われる火曜、木曜、土曜の翌日に数値として顕著に顕れ、定期的にアルコール・デプリベーションを繰り返された結果、月曜、水曜、日曜の基本的な飲酒量さえ増えていくのではないか。そしてこれこそが依存症に至るメカニズムの一つ「中毒性のある刺激は一度剥奪される事でその刺激への欲求を強化されてしまう」という事の証明になるのではないか。

しかして、残念ながら我々の学年が行ったこの実験、些末なミスや鼠の脱走、装置の取り扱いミスや鼠の不可解な行動から満足な数値は得られなかった。統計的な判断下では仮説は実証されなかったのである。

アルコール中毒に陥り、ゲージに近づくだけで牙を剥いて威嚇してくるB群のラットを眺めながら、僕達はため息をついた。卒業論文にどうオチをつけるべきか。4人共通のデータを用いるのである程度は気が楽なれども、それというのはつまりどれだけ深く考察したかによって内容に大きく差が生じる可能性があるという事でもあった。

僕は無理やり20枚でっち上げ、それを提出した。同期の男子学生は僕より数枚多い程度。安心したけれどもその後に、学部内でも才媛に位置する同期の女学生二人は僕達を大きく引き離す枚数を仕上げたと聞いて不安になった。

いずれにしても実験結果は満足に得られず、卒業論文最終ステージにて待つ口頭試問では全員それなりの苦戦を強いられるはずだった。


しかし我らがゼミ生は普段から厳しく指導して下さった教授のお陰で、拍子抜けする程簡単に口頭試問を終え、無事に全員卒業出来たのである。そして数年後、「僕が卒業出来たのだから君だって出来ないはずがない」と薦められてそのゼミを選ぶのが各務君(不完全密室殺人/紙コップス)である。


僕らの代では検証の結果、実証出来なかったけれども、本質的には依存症のメカニズムというのは「刺激が剥奪されればその分だけ刺激への嗜好が強化される」事から成る。

つまり禁酒、禁煙に失敗する事でリスクを背負う可能性が否定しきれないし、かといって辞めないと体に悪い。


もうすぐ、煙草が値上がりしますね。

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自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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