とかくこの世は無責任!

ストレスというものについて考える。

僕ってつくづくストレスって抱えてなくて、これも一つの才能の一つだと思うんだけどそれによって自分が「健やかに」「楽しく」「新鮮な気持ちで」公私ともに動き回ってこられた部分は少なくないと思うのだ。悩みながら何かをやる、作るっていう経験は勿論した事あるし、葛藤する事もなくはないのだけど、その最中でさえ「これを乗り越えたら楽しい」という確信があるし「これは今楽しい行為、時期なのだ」と思ったりもする。
根本にあるのは「きっと一年後、最低でも10年後にはあの時(つまり悩んだり葛藤したりしている最中だ)があって良かったと思えているだろうな」という自分のポジティヴシンキングに対する自信なのだけど、それを裏付けするのが自分のストレス耐性だ。
そもそも大抵の事というのは(それこそ人生に大きく関わる一大事=命に関わるような事等)以外は見方を変えればポジティヴに変換出来る。

「誰も自分に興味がない」=「自分だけは興味があり、それをこれから他人に伝えていく事を考える余地がある」
「人に嫌われた」=「(自分に非がないと心の底から思えるのであれば)対人関係に於ける指標の一つを手に入れた。そして覆すべき物事、人が現れた」
「仕事がうまくいかない」=「うまくいくにはどうするか考えれば良いという事が明確である」
「毎日、妙に面白くない」=「面白くする事が出来るし退屈な時程、人は思い切った事が出来るはず」

わかってる、暴論だっていう事も必要最低限を持っている人間の楽観的な発想だというのもわかっている。
けれど、例えそれらを心の底から肯定する事は出来なくとも「変換出来る」事を知っている間は人は完全に打ちのめされる事はないはずだと僕は信仰しているのだ。
この思想は危険なものだとも思う。ストレスを感じないように生きるあまりにないがしろにされるものもきっと、少なくはないだろう。あと、こういう考え方が自分の中に定着した人間程、それで対処出来ない事態になると腑抜けになる(なっちまったんだよ)。

こういう人間だからこそ、ストレスを抱えながらそれでも生きていく人間は尊く、そして自分よりも力強いと感じる。
脅威、でさえあると言って良い。
僕には出来ないもんなあ。きっと。
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自己紹介

舟橋孝裕

Author:舟橋孝裕
愛知県在住、ベースギター奏者です。
・JONNY
・パイプカツトマミヰズ
・犬栓耳畜生
・白線の内側
 やサポートでベースを弾きます。

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